<伝言マスコミ>

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「以前なにかで読んだんだけど、どこでだったっけなぁ…」とか「いつだったっけなぁ…」って思うことありませんか? 実はつい先ほど、僕がそういう状況に陥っていました。思い出せそうで思い出せない気分って本当につらいものがあります。もちろん、今の時代はネット検索という便利なツールがありますので調べることは可能ですが、問題は「キーワード」です。

おぼろげな記憶ですので、どんなキーワードで検索するべきなのか思案しました。試しに関係のありそうな言葉を2つ~3つほど並べて検索したのですが、求めていた記事は出てきませんでした。幾度かそれを繰り返したのですが、好結果を得られませんでしたのでやり方を変えてみることにしました。

実際は「新しいやり方」というほど大げさでもないのですが、要はこれまでの「単語を複数並べて検索する」のではなく、頭の中に浮かんでいる思いをそのまま検索窓に記入してみることにしました。

「クローズアップ現代の作られ方」

僕が今回のコラムの冒頭の部分に使おうと思ったのは、NHKの「クローズアップ現代」という番組の過程を取材した記事でした。そこで至極シンプルに、単語ではなく文章で検索したところ、本当にすごいことに、探し求めていた記事にたどり着くことができた次第です。数多という表現でも足りないくらいのネット情報の中からピンポイントでこの記事を表示させたのです。まさにgoogleの「検索能力恐るべし」です。

僕が探し求めていた記事は、「『クローズアップ現代』放送までの24時間に2年目カメラマンの私が潜入してみた」(https://note.com/nhk_pr/n/n3142d1faa7d9)というタイトルでした。タイトルさえも忘れていたのですが、文字通り現在NHKで放映されている「クローズアップ現代」の制作過程をまだ入局2年目の新人の方が取材して書いた記事・写真です。僕が気になったのは記事の内容ではなく、制作する過程を公にする許可を出した上層部の感性でした。

この記事は、取材者が新人ながらもとても丁寧に番組の制作過程を伝えているのですが、過程を伝えているがゆえに、本人の意識とは関係なく制作における問題点も露わにしています。そして、僕が気になったのは、そうした制作する過程を公にすることが「リスクになり得る」ということに対する鈍感さです。「上層部の感性」とはそのことを指しています。おそらく上層部の方々は自分たちの制作過程に問題が潜んでいるとは微塵も思っていないのでしょうが、そこにこそ問題の根源があります。

記事によりますと、取材した内容・記事は取材者の手から離れ、映像編集担当者やディレクター、プロデューサーへと引き渡されていくのですが、引き渡されていくことはすなわち現場を見ていない、経験していない人が映像や記事といった素材を選別することを意味します。僕はそこに問題点を感じたのですが、長らくそのような作り方をしてきたディレクター氏やプロデューサー氏からしますと、そうした流れは当然の作業と思っているようです。

確かに、「番組に対する責任」という観点で言いますと、役職が上の方のほうが大きいのですから、記事や写真を決定する権限はあってしかるべきです。しかし、そうしたやり方には大きなリスクが伴います。それは、上層部に行けば行くほど現場から離れてしまうことです。

例えば、現場で取材した記者が感じた違和感とか熱気といった、そこにいなければ感じられない空気感は上層部に行くほど薄れていく可能性があります。仮に、直接取材した記者の力量が足りず、伝え方が拙かったなら間違いなく上層部に実際とは異なった事実を伝えることになります。つまり、実際とは異なった記事・写真の中からディレクターなりプロデューサーは選ぶことになります。

子供のゲームに「伝言ゲーム」というものがありますが、このゲームの面白さは伝言していく間に、最初に伝えた言葉がどんどん変わっていくようすです。しかし、ゲームとしては面白いですが、メディア・マスコミではあってはならないことです。「クローズアップ現代」での制作過程の中で記事・写真が上層部に引き渡されることが、僕には「伝言ゲーム」と同じ構造に見えます。

「伝言ゲーム」で内容が変わってしまうのは、情報を受ける側に自分の考えや思いが加わるからです。なにかの理由でよく聞きとれなかった場合、推測をするしかありませんが、その際は自分の持っている知識の中からしか推測することはできません。そして、自分が持っている知識とは自分が経験した範囲内に限られてきます。

僕は「宮藤さんに言ってもしょうがないんですけど」というラジオ番組を毎週radikoで聴いているのですが、この番組は「愚痴を言いたい人」が2~3人出演する番組です。先日は「育児休暇をとった男性」2人の出演でしたが、男性が育児休暇をとることの大変さを愚痴っていました。

番組内では「同僚や上司、会社が冷たい」というエピソードを出演者それぞれが話し、それに対して宮藤さんも面白おかしく賛同していたのですが、番組の終了間際に「僕のようなフリーランスはどうすればいいんですかね?」と2人に疑問を投げかけていました。僕も自営業者ですので、宮藤さんと同じ発想をしていたのですが、育児休暇は基本的に企業に勤めている人が受けられる制度です。育児休暇をとることで周りに及ぼす影響についての思いが全くなかったことに違和感を持っていました。2人がそうした発想になるのも会社勤めをしているからで、もしフリーランスや自営業者を経験したなら、考え方も変わるのではないでしょうか。

このように、経験していないことを知ることはできません。テレビ番組制作も同様のはずです。現場で取材した記者から手を離れていった記事・写真が、ときには事実とは異なる印象になることもあります。事実、今年4月の放送について「クローズアップ現代」は放送内容について謝罪をしています。取材を受けた女性から「事実と違う」と指摘を受けたからですが、こうしたことが起きたのも、番組の制作手法に改善の余地があるからにほかなりません。

以前より指摘されていますが、テレビ局は自分たちの都合のいいように、もしくは自分たちが考えているように番組を制作する傾向があります。その証拠にテレビ局により同じニュースでも異なった印象を与えるような伝え方になっていることがあります。恣意的といっては言い過ぎかもしれませんが、自分たちが伝えたいように伝えるのは報道ではありません。

今のIT時代の世の中ではフェイクニュースを流すのは簡単です。そうした中でファクトチェックはとても重要ですが、本来、ファクトチェックはマスコミがするべきものと思っています。SNSなどで拡散されたフェイクニュースをテレビなどマスコミがファクトチェックするのが本来のあり方と思っています。

よくテレビ局によって保守系とか革新系などと言われることがありますが、テレビ局によって情報が異なっていては一般の人はどれを信じていいのか迷うことになります。トランプ前大統領の報道官は「もう一つの真実」などと話していましたが、真実が2つもあるはずがありません。マスコミは決して「伝言ゲーム」に成り下がってはいけないのです。

じゃ、また。




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