<努力と賜物>

pressココロ上




ガザ地区へのイスラエルの攻撃が激しさを増している中で、イスラエルに対する批判の声が世界的に起きています。僕はそのニュースを聞くたびに心が重くなり、なにをしていてもそのことが頭の隅に残っていて心から楽しめません。いったい、どうすれば世界から争いをなくすことができるのでしょう。僕のようななんの力もないオジサン一人が悩んでも仕方ありませんし、できることなどもありませんが、「社会に対する関心は持っていなければ」、と思っています。そうでないと、プーチン大統領やトランプ前大統領を熱烈に支持するような人間になってしまうと思うからです。

そんな僕が最近よく目にするのはプロ野球界を去る選手たちのニュースです。毎年今の時期はそうした記事が出るのですが、一つの風物詩のようになっている感があります。そうした記事が毎年報じられるのは多くの人が関心・興味を持つからですが、関心・興味を持たれない記事は淘汰されていくのはメディアではよくあることです。

そうした記事を読んでいて昔と今では違ってきていることがあります。それは、昔は単に球界を去る選手たちの動向を伝えるだけでしたが、今の報道の仕方は入団したときのドラフトの順位を強調するようになっています。こうした報道の仕方は、ある意味、辛辣なやり方ですが、そうしたやり方のほうが読者なり視聴者から注目を集めやすいからだろうと推測します。基本的に、マスコミは取材者の心境を慮るよりも読者・視聴者から注目を集めるほうを優先するのが常です。

例えば「ドラフト6位」の選手が4年で球界を去る記事と、「ドラフト1位」の選手が4年で球界を去る記事ではインパクトが違います。昔から「人の不幸は蜜の味」といいますが、評価の高かった選手がその地位から転げ落ちる光景は、その落差が大ければ大きいほど大衆は興味をそそられます。僕自身も脱サラでラーメン店を開業して廃業した際に、人の持つ「心の闇」を経験しました。それほど悪人でなくとも「人の不幸を喜ぶ」気質を持っているのが人の性といえそうです。

僕はスポーツ大好き人間ですので、スポーツ関連の記事をよく読むのですが、かなり昔の記事で印象に残っているプロ野球選手のエピソードがあります。その選手は1軍でも実績を残した有名な選手でしたが、その選手が2軍時代に感じた「1軍に上がれる選手と上がれない選手の違い」を語っていました。

その違いを一言でいうなら「慣れ」です。これはいろいろな意味での「慣れ」を指しているのですが、例えば「練習の慣れ」であり「2軍にいることの慣れ」です。高校・大学、または社会人で華々しい成績を残してきた選手がプロの世界に入ったのですから、全員が1軍で活躍することを夢見ているはずです。ところが、時間が過ぎていくうちにそうした強い熱意がだんだんと少なくなっていくそうです。

つまりは、「1軍に上がりたい」という気持が薄れていくことを意味し、言い方を変えるなら「2軍に安住する心地よさ」を感じている心境です。このような心境の変化は、「1軍で活躍したい」という気持をいつまでも持ち続けることの困難さを教えてくれています。昔から言われていることわざ、「初心忘るべからず」は簡単ではありません。

そうした意志の弱い選手がいそうなことは想像できなくもありませんが、初心を忘れずに精進を続ける選手がいることも事実です。小さいころから野球の神童と呼ばれてきた選手たちの中で、年を重ねる中でもその地位を失っていない選手だけがプロの世界に入れるのです。その年を重ねる間には「努力が実を結んだ」経験もしているはずで、そうした成功体験を持っている選手が簡単に努力を手放すはずがありません。そうした選手は2軍にいても、誰よりも練習に力を注いできたはずです。

しかし、それでも1軍に上がれず、球界を去らねばならない選手がいます。それが現実です。1軍で活躍している選手と同じくらい、もしくはそれ以上の練習をしているにもかかわらず2軍から這い上がれない現実があるのがプロの世界です。プロの世界は学校ではありません。努力の過程などなんの関係もなく結果だけがすべてです。もちろん、プロの世界といえども実力以外の部分が結果に影響を与えることもあります。

例えば、2軍のコーチや監督との人間関係がうまくいかず1軍に上がれない人もいるでしょう。先日、「最高のコーチは、教えない。」という現・ロッテ監督の吉井理人さんの本を紹介しましたが、コーチがすべて優れたコーチングスキルを持っているとは限りません。ときには、選手の個性ではなく自らの考え方を押しつけるコーチにあたることもあります。そのような自分のエゴで教える人がコーチにあたってしまった選手は技術を伸ばすどころか、反対にやる気を失わせることにもなりかねません。

今年、メジャーで活躍した元・阪神の藤浪晋太郎投手は日本ではあまり活躍できないでいました。しかし、現在のメジャーでの躍動ぶりを見ていますと、当時の阪神のコーチ・監督の力量に疑いの念を持たずにはいられません。諦めずに腐らずに野球を続けていたことが藤浪投手の一番の功績です。

藤浪投手は逆境であろうとも諦めなかったことが今の活躍の源ですが、それを可能にしたのは、元々持っていた藤浪投手の才能・実力です。もし、才能・実力がなかったなら逆境の中でプロの選手とし生き残っていることはできなかったはずで、間違いなくプロの実力がない選手は淘汰されます。

「どんなに努力をしようとも」1軍の実力を身につけられない選手がいます。スカウトがそれを見抜くことができないのはこれまでのプロ野球界の歴史が証明しています。スカウトの評価がどんなに高かろうとも、プロの世界で結果を残せるとは限りません。反対に、ドラフト下位で入団しながら成績を残した選手もたくさんいます。こうしたときによく引き合いに出されるのがメジャーでも確固たる地位を築いた「イチロー選手」ですが、イチロー選手の入団時の評価はドラフト4位でした。

今メジャーで最も活躍している日本人選手と言いますと、間違いなく大谷翔平選手です。日本人では体格的・パワー的に不可能と思われていたホームラン王を獲得しました。そんな不可能なことを可能にしたのは本人の努力もあるでしょうが、それだけでは説明できないものがあります。

日本にいた時代、先輩にパワーでならしていた中田翔選手がいました。その中田選手は観客席の奥深く飛ばす大谷選手の打球を指して「あの打球を見ていると、おれらが練習しているのがバカらしくなる」と笑いながら話していました。あの打球の飛距離はまさに「日本人離れ」と表現されていましたが、メジャーでもトップを極めたのですから「日本人離れ」という表現を超越したパワー選手になっていることになります。

そのような選手になる際に欠かせないのが肉体ですが、大谷選手は日本にいた当時から肉体改造をしていたそうです。そうした努力が実った結果が今年のホームラン王ですが、実は昨年からメジャーに移籍している鈴木誠也選手も今年の肉体は昨年を上回る大きさになっているそうです。おそらく大谷選手に勝るとも劣らない練習・肉体改造を行ってきたのでしょうが、結果は大谷選手に大きく離されています。しかし、この結果を見て、鈴木選手が大谷選手よりも努力をしていないとは誰も思わないでしょう。

どんなに練習をして肉体を鍛え上げたとしても、バッターボックスに入ったときには、もっと大切なことがあります。それは、ボールをバットに当てることです。0コンマ何秒で18.44m先から投じられる直径70ミリあまりのボールを太さ6.6ミリ以下のバットで当てるのです。これは努力ではいかんともしがたいのではないでしょうか。

こんな至難な業をこなしているのですから、プロで活躍している選手たちがいかにすごいことをやってのけているのかがわかります。そうであるがゆえに思うんですよねぇ。努力だけでは限界があるって。

「努力は裏切らない」を否定はしませんが、努力が賜物になるとは限らないと思うのです。

じゃ、また。




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