<podcast>

pressココロ上




僕は車で移動しているときはいつもラジオを聴いているのですが、いろいろな情報に接することができてとても重宝しています。しかも、今の時代は「radiko」というアプリや「youtube」「podcast」などがあり、聞き逃したときもあとから好きなときに聴くことができ、科学の進歩に感謝しています。本当に便利な世の中になったものです。

そのラジオを聴いていて、先週久しぶりに強い憤りを感じたことがありました。僕は「ジェーン・スーさんの番組内の『相談は踊る』コーナーを楽しみにしているのですが、その日はいつもの杉山アナウンサーではなく、若手の喜入友浩アナウンサー(男性)が代理で出ていました。

その日の相談内容は女子高校生からで、受験に関係する話だったのですが、その流れで喜入アナウンサーが自身の受験時の話をしていました。高校受験には一般入試と推薦入試があるらしいのですが、その喜入アナウンサーは推薦で合格したそうです。すると、あるとき同級生の母親から「あなたは実力があるってわけではなくて、ただの世渡り上手なんだからね」と言われたそうです。

こんな大人がいるでしょうか!

学校から推薦を受けられなかった生徒や一般入試で受験する生徒は、やはり推薦で合格が決まった生徒に対して「羨ましい」という気持が出てくることは容易に想像がつきます。ときには妬みや嫉妬という負の感情が芽生えることも人間なのですからあるかもしれません。ですが、合格が決まった生徒に対して面と向かって言う言葉ではありません。しかも、大人であるならなおさらです。

そのエピソードを聞いて、MCのスーさんも「それ、かなりひどくない!」と怒っていました。大谷選手は「日本人離れした」活躍をしましたが、この母親は「人間離れした」発言をしていました。いい意味での「人間離れ」ならいいですが、悪い意味での「人間離れ」は最悪です。こんな大人がいるから世の中から戦争がなくならないんだ!と一人で怒っていました。

実はこのときの番組はリアルタイムではなく「radiko」で少し時間遅れで聴いたのですが、「こんな酷い大人がいた」ことを知ることができたのも「radiko」のおかげです。ですが、その「radiko」にも難点があります。それは1週間しか期間がないことです。そういえば、テレビの見逃しを見ることができるTverも1週間でした。もしかしたなら、期限を設けないとコストの面などで採算が取れないのかもしれません。

しかし、放送を受ける側からしましても、「1週間」という期限はちょうどよいのかもしれません。なぜなら、あまりに前の番組ですと「見たい」「聞きたい」という気持ちが薄れてしまうこともあるからです。実際、僕は聞き逃した番組でもあまりに前のものですと、面倒に感じてしまい聞き逃したままにしていることもあります。その意味で言いますと、「1週間」という期限はどちらにとってもちょうどよい期間といえそうです。

そうは言いつつも、ときには期限が過ぎたあとも聴きたくなる場合があります。そうしたとき僕は「podcast」や「youtube」で聴いています。期限の制限がありませんので、いくら前の放送でも聴くことができます。こうした自分の行動を考えたとき、僕はあることを思いました。それは、将来的に「ラジオ」はなくなるのではないか、ということです。毎日もしくは毎週決まった時間に番組を聴ける人はそう多くはいないはずですから、自分の好きなときに聴けるほうが絶対に便利です。

実は「podcast」が登場した当初、僕は関心を持つことはありませんでした。「radiko」だけで十分に事足りていたからですが、今年の3月に「たまむすび」が終了したことがきっかけです。その経緯については6月のコラムでも書きましたが、「たまむすび」が終わることを残念に思う聴取者はとても多く、そうしたファンの気持ちを汲み取った博多大吉さんが「podcast」で「いったんここにいます」という後継番組をはじめました。それがなければ、僕は今でも「podcast」を聴くようにはなっていなかったかもしれません。

この番組がはじまったのは、大吉さんが番組のスタッフに働きかけたことが大きな要因だと思いますが、「いったんここにいます」の意味は、おそらく「赤江さんが復帰するまで待っている」ということだと思います。こうしたところにも大吉さんの優しさが感じられますが、口先だけではなく行動も伴っているところを見ますと、僕は大吉さんをこれまで以上に「大吉」に、いえ「大好き」になりました。

「podcast」を利用するようになって、「youtube」でも聴けることを知ったのですが、どちらにも共通していることは、幾度も書きますが、時間に縛られないことです。好きなときに好きなように聴くことができます。「好きなように」とは細切れでも聴けることですが、10分ずつに分けて聴けたりもして、とても便利です。ちなみに、町田智弘さんの「アメリカ流れ者」も一時期聴いていなかったのですが、「podcast」を知ってからまた聴くようになりました。

このような経験をしていますと、将来的には「ラジオはなくなるのではないか」と思ってしまいます。「podcast」について調べてみますと、海外から日本に入ってきたのは2000年だそうで、10年ほど前に一度は下火になり、数年前から再び注目されるようになったようです。

「podcast」は「音声版のブログ」と呼ばれているそうですが、ブログと同じくインターネットで自由に情報発信ができるのですからラジオと同じ機能を有していることになります。しかも、ラジオのように届けられる範囲に制限があるわけではなく、インターネットですから世界中に情報を発信することができます。これではラジオが存在する意味がありません。それが僕が「ラジオがなくなる」と考える理由です。

「podcast」を聴いていて「おや?」と思うことがあります。それは「コマーシャル」がないことです。「スポンサーがいない」ということは、発生するコストを自らが負担していることですが、そうまでして「podcast」を活用する意味がつい最近までわかりませんでした。ちなみに、「いったんここにいます」はTBSが制作しているのですが、それを番組の最後にメロディーつきのナレーションで知らせています。

つまり、TBSは自前で「podcast」番組を制作していることになりますが、その理由を考えたところ、僕が考えたように「ラジオというメディアがなくなる」ことを想定していることが思い浮かびます。機能的にラジオが「podcast」に勝っているところはないのですから、ラジオが「podcast」にとって代わられる可能性は高いはずです。そうした将来を見越して、TBSに限らずほとんどのラジオ局が「podcast」番組を制作している、と推測しています。現在はスポンサーがついていませんが、将来的に「podcast」でもスポンサーを募集するための準備・練習段階というわけです。

しかし、よくよく考えてみますと、僕はこのコラムのようにサイトを運営していますが、これは個人が自由に文字で情報を発信していることです。また、僕は動画も作成し公開していますが、これも動画で情報を発信していることですが、それの音声版が「podcast」です。個人でもできることが重要な点です。

youtubeは広告料を得ることで職業とすることができますが、「podcast」でも同じことが起こりそうです。youtubeはメディアとしてテレビと競争していますが、「podcast」はラジオと競争することになるでしょう。adoさんというアーティストは顔を出さずに活動し成功していますが、顔を出さずにすむ「podcast」は元々から顔を出す必要がありません。いつか、「podcast」でも成功者が出て、子供たちがなりたい職業の上位に「podcaster」が入ることもありそうです。

自慢ではありませんが、僕は活舌が悪いのではじめる予定はありません。

じゃ、また。




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