<配属ガチャ>

pressココロ上




僕は「ホリエモン」こと堀江貴文さんの動画をよく見ているのですが、こうした動画を見ていますと、テレビのつまらなさを思わずにはいられません。動画はすでに十分にテレビの代替メディア、もしかしたならそれ以上のレベルになっていることを実感しています。

ホリエモン氏のチャンネルにはいろいろな形式のものがあるのですが、最近最も印象に残った動画は「バリキャリ金融女子」として有名な川村真木子さんとの対談です。その中でホリエモン氏は「東大生が就職の際にどうしてMARCHレベルの学生と同じ土俵に立とうとするのか」と自らが思っている疑問を述べていました。これは「東大を出るほどの頭の良さがあるなら就職ではなく起業をしたほうがよい」という意図を含んでの発言でした。

確かに、就職するということは野球のドラフトでいうなら同じスタートラインに立つことを意味していそうです。しかし、実際の東大生の就活は、ホリエモン氏が思っているような採用状況とはなっていません。そもそも東大生とMARCHの学生では就活をする企業群が違っています。簡単に言ってしまいますと、大企業として括られる、いわゆる一流企業ではMARCHレベルはエントリーシートの段階で落とされます。東大生が就活するような企業は規模においても能力においてもランクが一つ上の企業群です。

そもそも周りが東大生ばかりの同僚がいる職場では、MARCH出身の学生は肩身の狭い思いをすることになります。例えるなら、文系の学生がプログラミング言語が飛び交う職場に溶け込めないのと似ています。プログラミングをわからない人がプログラミング職場で働けるはずがありません。

このように東大出身者とMARCH出身者は実際は同じ土俵には立っていないのですが、最近同じ土俵に立っている学生の間で「配属ガチャ」という言葉が広がっているそうです。「配属ガチャ」とは「新入社員がどの部署に配属されるかわからない不安な気持ちを表した言葉」だそうですが、日本では希望どおりの部署に配属されるとは限らないシステムになっています。

日本では「就職」というよりも「就社」という表現のほうがふさわしい労働環境になっています。つまり、職業・職種に就くのではなく会社に勤めることが前提の採用ですので、入社当初はどういった職業・職種、わかりやすく言いますと「仕事内容」に従事するのかは決まっていません。だいたいにおいては、入社数年は幾つかの部署を経験させて企業の全体を把握、もしくは自らの適性を判断することになっています。

普通に考えて、将来出世したときに一つの部署だけを知っているのではなく、幾つかの部署を経験していたほうが総合的な判断ができそうな気はします。その意味において企業にとっては「就社」という考え方も一つのやり方ではあるように思います。それに対して、いろいろな記事や書籍などを読みますと、欧米では「就社」という考え方はなく、あくまで一つの職種に従事するために勤めるそうで、いろいろな部署を経験するようなことはないようです。

欧米の話はともかく日本では「就社」が実態ですので、新入社員が「配属ガチャ」を不安に思うのもわかります。ですが、そもそも社会経験のない学生が考えた「就きたい仕事」が本人の適性に合っているかは甚だ疑問です。おそらく30才前後、つまり社会人を7~8年経験している人たちのほとんどは「学生時代・新入社員時代の自分」に的確なアドバイスをしたいと思うのではないでしょうか。

このように言っては学生の方々に失礼ですが、実際の話として「社会人として働く」ことを経験していない人が考える「就きたい仕事」など多くの場合勘違いしています。中には学生時代から将来に渡って就きたい仕事が見つかっている人もいるでしょう。それは否定しませんが、そうした人は1%以下です。いや、もっと低いかもしれません。しかも社会経験を積むうちに自らが変化することもあり得ます。学生時代とは違う自分になっているのですから、「就きたい仕事」が変わっても不思議ではありません。

冒頭でホリエモン氏のことを書きましたが、ホリエモン氏も30代前後のときと10年後では全く違った人生観になっているはずです。ホリエモン氏は一般の人とは違う劇的で稀有な人生を歩んでいる方ですが、ホリエモン氏ほどの高い能力の持ち主でも30代ではまだ正しい判断をしていなかったのですから20代ではましていわんやです。ホリエモン氏でさえそうなのですから、東大生も含めた普通の学生が真に自分に見合った仕事を見つけられるはずがありません。

その意味で言いますと、入社時に配属先が決まっていない日本の就業システムは新入社員にとってもそれほど悪いやり方ではないように思えます。最近気に入った言葉に出会いました。

「人間は、生まれるときも死ぬときも決められないけど、生き方だけは自分で決めることができる」

配属先も同様で配属先を自分で決めることはできませんが、働き方は自分で決めることができます。どんな配属先になろうとも自分の糧になるように働くならその配属は正しかったことになります。新入社員の配属とは異なりますが、仕事上で上司と対立し地方へ左遷されながら、その左遷された職場で生き生きと働いたことで本社に戻りトップまで上りつめたビジネス物語を幾つか読んだことがあります。僕がそうしたビジネス本が好きなこともありますが、そうした例は意外と多くあります。

新入社員の方々も「配属ガチャ」などに不安にならずにどんな配属先であろうとも生き生きと働くことが大切ではないでしょうか。そもそもよくよく考えてみますと、「配属ガチャ」以前に、学生さんは全員が「自分の第一志望の会社」に入社できているわけではありません。採用試験という難関をくぐり抜けて入社しています。

そこには「配属ガチャ」同様、「採用ガチャ」があったのは間違いありません。採用試験に際してもコネ入社でないなら、採用の合否は企業側のいろいろな思惑や都合を経て決められています。そうした思惑や都合は自分のあずかり知らぬところで行われているのですから、自分ではどうすることもできず、まさに「採用ガチャ」だったはずです。

僕のサイトには「心に残る言葉」というコーナーがあるのですが、ちょうど最近1000回を超えました。僕は文章を読むのが好きなのですが、そうした中で文字どおり「心に残る言葉」に出会ったときは書きとめています。それを集めたのがそのコーナーなのですが、その中で「ベスト10」に入る言葉がこれです。

「自分でコントロールできないことに思いわずらうな」

僕は心配性で小心者ですので、日々ドキドキしながら生きておりとても疲れる場面が多々ありました。しかし、この言葉に出会えてようやく心がスッと落ち着くようになってきました。同じ性格の人はわかると思いますが、心配なことがありますると悩みに悩んで、一日中頭から離れなくなります。ですが、「心配なこと」が自分ではどうすることもできないのなら悩むだけ損です。だって、自分ではどうすることもできないのですから。…と、この言葉は教えてくれました。

「配属ガチャ」で悩んでいる新入社員の皆さん、自分ではどうすることもできなことは忘れてサッサと寝るのが正解です。ちなみに、どうしても職場や同僚、上司と合わないときはサッサと場所を変わることを考えましょう。たかが仕事のことで人生が苦しくなるなんて、こんなもったいないことはありません。働き方は自分で決めることができるのです。

たまに仕事を苦にして亡くなるニュースなどを見ますが、仕事場も自分で選ぶことができることを忘れてはいけません。

間違っても、会社に洗脳されませんように…。

じゃ、また。




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