<広告に出演する人の責任>

pressココロ上




ときたま書いていますが、僕は「宮藤さんに言ってもしょうがないんですけど」というラジオ番組を毎週聴いています。この番組は「愚痴をしゃべりたい人」が出演する番組ですが、その「愚痴」とは主に仕事関係についてです。どんな業種であろうとも仕事ともなれば愚痴の一つや二つはあって不思議ではありません。そういう人たちが宮藤さんに愚痴をこぼすのですが、先日は「キャリアコンサルタント」の職に就いている方が出演していました。

「キャリアコンサルタント」とは転職を考えている人にアドバイスをする仕事のようですが、その方が話していた最後の愚痴は、キャリアコンサルタント自身が「非正規という雇用形態」であることした。つまり、「仕事が安定していない」と愚痴をこぼしていたのですが、そのような人に相談をして、的確な正しい回答を得られるか不安になります。

僕は基本的に「コンサルティング」と名のつく業種に不信感を持っているのですが、そのきっかけは松永真理さんの「iモード事件」という本を読んだことです。もしかしたならそれ以前にもなにかしらで「コンサルティング業」に疑問をもっていたのかもしれませんが、この本で確信したように記憶しています。

この本は今から20年以上前に出版された本ですが、簡単に説明しますと、NTTで「iモード」という携帯電話が開発される過程を描いたものです。今の若い人は「iモード」と聞いてもピンとこないかもしれませんが、今のスマホの原型のようなものです。スティーブ・ジョブズ氏がiphoneを出すずっと前に、実は日本では通信データができる携帯電話が開発されていました。

それはともかく、「iモード」が開発されるにあたっては、NTT本体の人たち、外部から招かれた人たち、コンサルティング会社の人たちという3つの組織が三つ巴で侃侃諤諤していました。それらを取りまとめていたのが松永真理さんなのですが、この本を読んで思ったのは、「コンサルティング会社はいなくてもよかったじゃん」ということでした。ちなみに松永さんは元リクルートの編集者で「とらばーゆ」などの編集長を務めていた方です。

昨年末ごろだったと思いますが、「経営コンサルタント業の倒産急増」という報道がありました。このような報道を目にしますと「経営をサポートするコンサルティング会社が潰れてどうすんねん」と思ってしまいます。僕が「コンサルティング」がつく業種に不信感を持つのは、結果責任を負わなくても済む立ち位置にいるからです。つまり、うまくいけば自らの功績にしますし、失敗してもそれは回答をしたコンサルティングではなく実行した人の責任となります。相談を受けた側は責任を追及されることはない立ち位置で、それはつまり「絶対に責任を負わない立ち位置」ということになります。僕には、それが卑怯のように映ります。

株式会社ディー・エヌ・エーを創業した南場智子さんは大手コンサルティング会社の役員を務めていた方です。南場さんの自伝にもコンサルティング会社の限界が書いてありました。本当にコンサルティング会社が的確で正しい経営サポートができるなら、コンサルティング会社自らが経営したほうが何倍も充実するように思います。

コンサルティング会社は経営をサポートするのが仕事ですが、数年前からほかの分野で活躍している人が経営をサポートするようになってきました。正確には「経営」というよりは「仕事術」といったほうが的確ですが、経営の一部であることには違いありません。

本屋さんに行きますとわかりやすいのですが、ビジネスの棚にはコピーライターの肩書がついた著者の本がたくさん並んでいます。僕に最初にそのことを意識させたのはデザイナーの佐藤可士和さんでした。佐藤さんはユニクロやセブンイレブンで成功していますが、デザイナーを本業としている人が仕事術・経営の分野に入ってきたのが印象的でした。

その後コピーライターの参入があり、最近は編集者が経営に携わるようになっています。編集者の場合は、経営者の考えを社会に発信するお手伝いをしているのですが、昨今の不況が続いている出版界から飛び出そうとしているように見えます。「iモード」を成功に導いた松永さんも元編集者ですが、のちにいろいろな企業の社外取締役に就いています。松永さんがそうした道を作ったのかもしれません。最近では、マーケッターという肩書の経営者も人気を集めています。

少しばかり趣が異なる業種からの経営分野への参画の例として、元プロサッカー選手の中田英寿さんがいます。中田さんは菓子メーカー株式会社東ハトの非常勤執行役員を務めていました。なにかの記事で中田さんが書いたビジネス指南書を読みましたが、経営・ビジネスの専門家でもないスポーツ選手がそれなりのビジネス書を書いていることに驚かされました。

どのような分野であろうとも、なにかで成功した著名人はその実績で多くの人を引きつけることができます。ある意味、今のトランプ元大統領の状況が最たる例かもしれませんが、著名人には多くの人を引きつける魅力があります。

著名人がCMに出演するのはその魅力があるからですが、そうであるからこそ社会的責任について考えてほしいと思っています。大分前ですが、ある大物演歌歌手が「詐欺まがいの罪を犯していた会社の広告に出演していた」として非難・批判されたことがあります。自分が応援している著名人が宣伝している製品・商品を購入したくなるのはファンの心理です。その責任は大きなものがあります。

つい最近でもビッグモーターのCMに出演していた有名俳優が非難の対象になりそうなことがありました。しかし、このケースでは反対に同情する意見も出ましたので非難の広がりには至りませんでした。そうではありますが、この俳優さんが出演していたことでビッグモーターを利用していた人もいるはずですから、社会的責任は免れないと思います。

宣伝・広告の社会的責任の大きさで言いますと、広告代理店は最たる存在です。広告代理店が企業に対してコンサルタントするわけですから、企業よりも責任は多いといえなくもありません。実際、どのような広告・宣伝にするかのほとんどを広告代理店が決めています。企業はいくつか提示される案の中から選ぶだけです。広告代理店と企業は一蓮托生の間柄といっても過言ではありません。そして、その広告に出演する著名人も同じ関係です。

よくCMに出演すると「高額な報酬がもらえる」と言われますが、それを裏返すならそれだけの大きなリスクを負っていることでもあります。仮に、犯罪企業の宣伝に出演することになれば、それは著名人も犯罪に加担したことになります。「知らなかった」では済まされないことを肝に銘じておく必要があります。

だからこそ、著名人はCM出演の依頼がきたなら、単に喜ぶだけではなくその企業についてしっかりと調査をする義務があります。昨年か一昨年か忘れましたが、一時期大谷翔平選手が金融商品の「ビットコイン」のCMに出演していたことがあります。正直なところ少しばかり不安を感じていました。すでに高額な報酬を手にしている人が出演する広告するにしてはあまりにリスクが大きいように思っていたからです。それこそ周りにコンサルティングスタッフはいなかったのでしょうか。

どれほど的確なサポート・アドバイスを受けようが、最後に決めるのは自分です。そして、責任を負うのも自分です。そして著名であればあるほどそのリスクは大きくなります。

じゃ、また。




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