<国民年金申し立て委員会>

pressココロ上




僕のコラムを昔から読み続けていてくださっている方は覚えているかもしれませんが、僕は6年ほど前に国民年金の「第三者委員会」に出席したことがあります。「第三者委員会」とは年金記録に納得がいかない人が異議を申し立てる機関です。

もう少し詳しく説明しますと、年金の納付記録に納得できない人は最初は年金機構の担当者といろいろな資料のやりとりなどをして自分の主張をすることになります。しかし、それでも認めてもらえなときは次の手段として「第三者委員会」に訴えることができます。つまり「第三者委員会」は年金記録に異議を唱えることができる最後の手段ということになります。

6年前のコラムで詳しく書いていますので大まかに説明しますと、弁護士さんを委員長とした5人の裁判官のような審査をする人が並んだ向かいに座らされ、30年前の支払い状況などを質問されます。審査する人たちは僕たちの返答の内容などを吟味して僕たちの主張の信ぴょう性を判断します。しかし、30年前のことを覚えている人などほとんどいないはずです。それでも委員会は粛々と進められます。委員会は30分ほどの時間でした。

僕たち夫婦が異議を申し立てたのは僕が約3年、妻は8年も消えていた期間でした。結局、あとから来た審査決定通知書には夫婦ともども「3ヶ月だけ認定する」と記されていました。もちろん僕たち夫婦にとっては納得できる内容ではありませんが、それ以上究明するには裁判を起こすしか術はないようでした。

それ以来ずっと気にはなっていたのですが、どのようにして年金機構に相対してよいのかわからないでいました。ところが、今年の2月に年金の受給手続きの書類が届き、年金機構に出向く機会がありました。そこで、試しに「納付期間の不備」を申告してみました。すると、年金納付期間について「申し立て」をする機関への手続きを教えてくれました。

正確かどうかはわかりませんが、現在は「第三者委員会」ではなく「〇〇申し立て委員会」という名称になっているようです。そこで「申し立て」の書類を提出することにしました。

年金機構に行き、「申し立て書類」を窓口に提出しようとしましたところ、「部署が違うので『〇〇課』へ提出してください」と言われました。そこで『〇〇課』の窓口に行き、番号札を取り順番を待っていますと呼ばれました。

その窓口の担当者は20代半ばの男性でしたが、僕が書類を提出すると書類の表紙を一瞥して「こちらではありませんので、『△△課』へ行ってください」と告げました。

僕が最初に向かったのが『△△課』です。そこで「担当が違う」と言われ『〇〇課』に来たのです。僕の頭に真っ先に浮かんだのは「たらいまわし」です。役所などを批判するときによく使われる言葉ですが、まさにその状態になったように感じました。

正直に言いますと、この段階でかなり頭にきていました。

ですが、できるだけ怒りを表情に出さすに「あのぉ、先ほど『△△課』の人にこちらに行くように言われたんですけど…」。そう言いますと、その担当者は「あ、そうですか。それでは少々お待ちください」とその場を離れました。

僕たち夫婦はカウンターの前にいたのですが、そこからその担当者を見ていますと、カウンター内のかなり広めの室内を右へ左へと歩き回っていました。そして、ついには奥のドアの中に入って行きました。5分~6分ほど待ったでしょうか。その担当者がカウンターに戻って来て「それでは、こちらで受け取ります」と告げたのです。

僕はつい尋ねてしまいました。

「どうして、最初は受け取らなかったんですか?」
担当者は僕が発した言葉に初めて、僕が不快な気分になっているのを察知したようです。姿勢を正して「誠に申し訳ありません。私の知識不足でした」と謝罪しました。

「第三者委員会」では認められませんでしたが、妻の主張は「僕たち夫婦の納付記録が消えたのは、当時の市役所の担当者が手続きを間違えたから」というものです。これを証明するのは不可能ですが、妻はそのことについて自信を持っています。そのような気持ちでいるときに、また今回担当者が「知識不足により対応を間違えた」のです。僕が怒りを覚えるのも当然です。

手続き書類を提出してから2週間ほど経ったころに、「申し立て委員会」から電話がありました。内容は僕たちの主張をいろいろな角度から調査するために「話を聞かせてほしい」というものでした。

調査方法は僕と妻の双方に質問をしたり、書類を郵送したりなど資料や情報をやり取りする方法でした。調査内容は6年前に行った「年金機構の調査」とほぼ同じでした。つまり前回の調査と同じことをやったわけですが、一つだけ前回と違っていたことがありました。それは調査をする担当者の物腰と言いますか接し方と言いますか姿勢でした。

前回の年金機構の担当者はいかにも「お役所勤め」という表現が似合っている対応で、マニュアルどおりに一つずつ片付けている印象でした。しかし、今回の担当者は全く違っていました。僕が違う印象を受けたのは、前回と今回の担当者の年齢が違うことも影響しているのかもしれません。前回の担当者は60才前後で、今回の方は30代後半ぐらいのようでした。ですが、それ以上に僕が感じたことは、僕に対する受け答えの雰囲気が「単に業務をこなしている」感じではなかったことです。

業務内容は違いますが、いい意味で「クレーマーに接するように」相対している雰囲気がありました。まるでコールセンターの研修を受けたかのようでした。どんな仕事であろうと、最終的には人と人が接するのが基本です。相手の身になって接するのは基本中の基本です。今回の担当者はそれが完璧にできていました。

調査の結論を言いますと、今回も僕たちの消えた年金記録が訂正されることはありませんでした。もう30年以上も前のことですので今後証拠が見つかったり証明することは難しいと思います。そうは言いつつも、一縷の望みを持ちながら生きて行こうと思っています。

結局、思い通りにはならなかったのですが、このようなときに僕が思い出すのは藤原ていさんや澤地久恵さんという作家です。この方々に共通するのは戦後に敗戦の中で満州から日本に戻るという悲惨な体験をしていることです。

特に澤地さんは「戦争で負けたとき民間人をほっぽらかして真っ先に逃げて行った軍人の狡さ」を書いています。また、「国家に騙されていた」とも書いていますが、国家というのが常に正しいとは限らないことを教えてくれています。人々は、そうした環境の中でも生きてきました。

そうした経験に比べますと、僕の年金記録が消されたことなど大した問題ではないと思ってしまうのです。思いどおりにならない中を生きていくのが人生なのかもしれません。

じゃ、また。




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