<ライバル視>

pressココロ上




僕に原因があるのかもしれませんし、そうではなくただ単に相手の人が競争心が強いだけなのかもしれませんが、なぜか僕は競争相手として見られることが間々あります。最初にそうした思いになったのは、小学校5年生のときでした。

当時、運動会では徒競走という5~6人でいっせいに100m(50mだったかもしれません)を走る競技がありました。この徒競走をするにあたって学校はある工夫をしていました。一緒に走る人を同じくらいの足の速さの生徒にすることです。足の速さがあまりに違いますと徒競走がつまらない競技になるからです。親御さんにしても生徒にしてもその組み合わせは安心または納得できるものでした。あまりに差がありすぎますと足の遅い生徒が一人だけ取り残され、一人ぽつんとグランドを走ることにもなりかねません。そのような状況になってしまいますと、生徒本人もその親御さんも恥ずかしい思いをすることになります。とてもいいやり方だと思っていました。

そうなりますと生徒の足の速さを事前に把握しておく必要があります。ですので運動会の1~2週間前の体育の時間に担任が生徒のタイムを計っていました。計り方は生徒二人ずつが順番に走るのですが、そのゴールで担任がストップウォッチでそれぞれの速さを計測していました。

僕は足が遅いほうではありませんが、それほど早いほうでもありません。まぁ、中間といったところでしょうか。その僕がなんと担任のストップウォッチではクラスで一番早いタイムになっていました。担任がストップウォッチの押し方を間違えたのだと思います。担任が僕のタイムを読み上げたとき、周りの生徒は「おお!」と声を上げましたが、一番驚いたのはなにを隠そうこの僕です。

確かに一緒に走ったクラスメイトよりは速かったのですが、クラスで一番になるほどではないはずです。しかし、そのまま僕のタイムは変更されることなく、確定してしまいました。周りの生徒は「すごいね」と褒めてくれましたが、僕は心中穏やかではありませんでした。理由は、早い生徒が走る組に入れられるからです。絶対、「ビリだな」。

そんな気持ちで過ごしていたある日、たまたまクラスで一番足が速いといわれていたN君と並びながら歩く機会がありました。なにを話していたのかは覚えていませんが、突然N君は前方の電信柱を指さし、「あそこまで競争しようか」と言ってきました。「えっ、うん」僕たちは同時に走り出しました。もちろんN君のほうが速く到達しました。なにしろN君は走りの実力者ですから、当然です。

おそらくN君は、僕のタイムが自分よりも速かったことに納得できなかったのでしょう。それを確認したかったんだと思います。なんとなくわからないでもありません。しかし、N君はタイムのことを持ち出すでもなく、普通に他愛のない話をしながら歩いていました。

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ときは流れて僕が40代半ばの頃です。僕は43歳でラーメン店を廃業していましたので、その頃は昼は保険関係の仕事をしながら、夜は警備の仕事をしていました。そんな生活をしていたとき、高校時代のS君から電話がありました。僕は脱サラ組ですが、S君も同じでした。S君はかなり変わった経歴の持ち主で当時はキャバクラを経営していました。

S君は今でいうFランクの大学に進学したのですが、3年生が終わった時点で中退をし、印刷業に就職していました。おそらく「このまま大学を卒業しても意味がない」と思ったのでしょう。あと1年我慢すれば一応は「大卒」の資格を得ることができるのですから、周りからは反対されたそうです。それにもかかわらず中退してしまいました。

僕はタクシードライバーの経験もありますが、あるお客さんから「印刷業は儲かるよ」と聞いたことがありました。S君が印刷業を選んだのもおそらくそうしたことを知ったからです。同時に「体力的にはかなりキツイよ」とも聞いていましたが、その点S君は高校・大学と運動部に所属し、体力・肉体を鍛えていましたのでなんの問題もありません。S君にぴったりの仕事だと思っていました。

僕は30歳でラーメン店を開業していますが、ちょうど同じころにS君も印刷業で独立していました。僕の感覚では印刷業のほうが儲かっていたように思います。人間、それなりに儲かるようになりますと手を広げたくなるのが常です。S君は印刷業を営みながら水商売にも手を広げるようになっていました。キャバクラです。そして、とうとうS君は印刷業をたたみ水商売の世界に軸足を移していきました。

僕が昼間は保険業、夜は交通誘導の仕事をしていた頃、S君から突然電話がありました。僕がまだラーメン店を営んでいた頃、なぜか僕のお店を見に来たことがありますが、僕のお店を値踏みしている感じがしていました。そして、僕が廃業したことを知ったあと、僕に連絡をよこしたのです。

要件を簡単に言いますと、「ラーメン店をやろうと思っているんだけど、手伝ってくれないか」というものです。早速、開業を予定をしている物件を見に行ったのですが、あまり好立地とは言えず、本気で開業しようと考えているようには思えませんでした。そして、いろいろと話していて気付いたのですが、要は「自分の下で働かないか」ということでした。

S君の本心がわかりました。S君はラーメン店を開業するのが目的ではなく、僕を支配下に置きたかったです。それがわかりましたので、さりげなく断りを入れました。おそらく、自分の成功を見せつけたかったことと、会社勤めではなく自営業として生きている僕が気に入らなかったのだと思います。その証拠に、それからしばらくして、わざわざ僕の住んでいる駅までやってきて、「ちょっと話をしようよ」と連絡をしてきました。「わざわざ」と書いたのは、S君の活動拠点は僕の住所から電車で1時間以上かかるところだったからです。

「ちょっと話をしようよ」の中身は、いかに自分が手広く事業を展開しているかを話すことで、「いろいろな業種をやっている」と名刺を見せてくれました。僕が一番印象に残ったのは「人材派遣業をやっている」と話していることでした。当時、社長と名がつく人は「人材派遣業」を経営するのが流行りだったからです。しかし、「人材派遣業」について少しつっこんだ話をしますと、あまり答えられませんでした。僕にはうわべだけの人材派遣業のように感じられました。

最初はお寿司屋さんで話していたのですが、次に少し広めのスナックに入りました。「人材派遣業」についてあまり詳細な会話ができなかったことを挽回しようと思ったのでしょう。S君は僕たちの席についた女の子に説教をしだしました。接客のやり方について、偉そうに延々と話すのです。

それを聞いて、僕が切れました。「ふざけんな。なにを偉そうにしゃべってるんだよ! 帰る!」。僕は店を出たのですが、僕を追いかけてきたS君に、僕は怒りが収まらずS君の嫌なところをまくしたてました。そして、通りを走っていたタクシーを停め、S君を押し込み「もう帰れ!」と怒鳴りました。S君は僕の剣幕に言い返すこともなく、タクシーに乗り込み去っていきました。

ばーか。

それから数年後、S君から電話がありました。あの出来事依頼音沙汰がありませんでしたが、声の雰囲気がこれまでの感じとは違っていました。僕は訝しながら尋ねました。

「どうしたの?」
「うん。あのさ、キャバクラをやくざに乗っ取られちゃって…、大変なんだ。200万円くらい貸してくれないかな」
「無理だよ。俺のほうが借りたいくらい」
「そうか、わかった。じゃぁね」

たったこれだけのやり取りだったのですが、僕はそこにS君の心の優しさを感じました。S君は高校時代ツッパリだったので、喧嘩が大好きでした。そんなS君がある日、

「あのね。人間って幾つかの顔を持っていていいんだって。そうした顔を使い分けて生きていくのが人間らしいよ」

突然、そんな哲学的なことをのたまっていたS君が僕に「お金を貸してくれないかな」とお願いしてきたのです。自分のみじめな現状をわざわざ報告してきたのです。僕は、S君なりの謝罪だったのではないか、と思っています。

じゃ、また。




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