<ライバル視 2>

pressココロ上




安倍派の裏金問題がどんどん大きくなっていく様相ですが、これを告発したのは神戸学院大学の上脇博之教授という方です。そして、その上脇教授に情報を提供したのは「しんぶん赤旗」の記者だそうですが、こういう事実を知りますと、いわゆる大手マスコミの記者の人たちは「いったいなにをしているのか!」と憤慨する気持ちになります。

「番記者」という人たちがいますが、あまりに取材対象に近くなってしまいますと、問題点を指摘しづらくなるのは容易に想像がつきます。記者クラブ制度も同様な問題を抱えていますが、今のマスコミ記者の方々はジャーナリストの本分を忘れているように思えてなりません。

今回の特捜の捜査も、もし「あの騒動」がなければ行われていたのかも疑わしくなります。「あの騒動」とは、3年前の「黒川検事総長の定年延長」です。覚えている方も多いでしょうが、一般の人からしますと官邸が「検察を自らの意のままに操ろう」としているように見えました。なにしろ、黒川氏は「官邸の守護神」とまで揶揄されていたのですから。

かつて、自民党は田中派という最大派閥が仕切っていた時代がありました。その田中派には「七奉行」といわれる幹部がおり、その人たちが切磋琢磨することで田中派は権勢を誇っていました。しかし、その「七奉行」のひとりだった竹下登氏が「創政会」(のちの経世会)を立ち上げることで田中派は力を失っていきます。

その後、経世会も内部抗争で力を失っていくのですが、その間に力をつけてきたのが安倍派の源流である清和政策研究会でした。その後安倍派は最大派閥になるのですが、領袖である安倍氏が銃弾に倒れたあと、幹部「5人衆」で混迷しています。その「5人衆」が今回の裏金疑惑で表舞台から消えてしまいました。安倍派、そして、安倍派が支えていた岸田政権はどうなってしまうのでしょう。

田中派にしても安倍派にしても、いわゆる大所帯になればなるほど複数の幹部が生まれ、お互いをライバル視するようになります。それがいい方向に向かうのならよいのですが、悪い方向に向かいますと組織の停滞を招くことになります。ライバル関係ほど難しいものはありません。

今回のタイトルは先週につづき「ライバル視」ですので第2弾ということになりますが、これには理由があります。先週は「S君」の思い出話で終わってしまったのですが、実は、本当はもう一人の旧友・A君について書くつもりでした。ところが、「S君」を書くだけで僕が定める規定文字数に達してしまいましたので、A君については全く書くことができませんでした。ですので、今週はA君に関しての「ライバル視」となります。

それでは、はじまりはじまり。

そもそも「ライバル視」を書こうと思ったのはA君から電話があったことでした。A君もS君と同様同じ運動部の仲間でした。つまり二人も友人同士の関係です。とは言え、二人がサシで会うことはないようで、A君も伝聞でしかS君の近況は知らないようでした。ちなみに、僕の所属していた運動部は同学年が5人しかいませんでした。入部当初はもっと多かったのですが、練習が厳しかったのでどんどん辞めていき残ったのが「5人だけ」となった次第です。ある意味、それだけ仲間意識・連帯感が強かったことではあります。

先月のある日曜日、A君から14~15年ぶりに携帯に電話がかかってきました。長期間連絡が途絶えていたのは、僕が旧友の集まりに参加していなかったからです。僕に連絡をしても断られると思っていたからだと推測しますが、その彼が突然電話してきました。

僕が同窓会など旧友の集まりに出席しないのは、出席者の自慢合戦が好きではないからです。そうした集まりに出席する人たちは、突き詰めるなら「人生がうまくいっている」人たちで、お互いの現状を自慢合戦するために集まっているように映ります。僕は「有名な人とか、(権)力を持っている人と知り合い」とこれ見よがしに話す人が苦手なのですが、そうした集まりでは「著名人知り合い自慢合戦」が展開されることがままあります。それが僕が参加しない理由です。

A君も「著名人知り合い」をほのめかす側面がありました。A君は二浪して、それなりに有名な私立大学を卒業し、いわゆる大企業に就職しています。俗にいう「エリート・勝ち組」に属している人です。そうした環境にいますと、無意識のうちに「著名人知り合い自慢合戦」に参入するのでしょうが、そうした振る舞いに対してなんの違和感も持っていないようでした。

A君の電話は僕を集まりに誘うものでした。A君は高校を卒業して50年近く経つ今でも同じ運動部の後輩たちと会っているようでした。今回のお誘いは、そのうちの一人が僕を「名指しで誘った」からだそうですが、本当のところはわかりません。それでもやはり、久しぶりに旧友の声を聞いてうれしい気持ちになったのは確かで、高揚する気分はありました。ですが、やはり断ることにしました。電話で話すわずかな時間でも、価値観の違いを感じることがあったからです。

A君は僕がラーメン店を営んでいた頃、わざわざ食べに来てくれたこともあります。A君の生活活動拠点は、家にしろ会社にしろ僕のお店から1時間以上離れています。それにもかかわらず食べに来てくれていました。そのA君から年末も差し迫る12月のある日、夜の9時頃に電話がありました。その日は休業日で家でくつろいでいたのですが、

「今、近くで飲んでいるんだけど来ない?」

というお誘いです。なぜか我が家の最寄り駅にある居酒屋で飲んでいました。せっかくのお誘いですのでお店まで出かけますと、驚きました。てっきり一人か、僕の知り合いの誰かと一緒だと思っていたのですが、A君は十数人の部下を引き連れて忘年会を行っていたのです。つまり、会社の忘年会に誘われたわけですが、正直戸惑いました。部外者である僕が参加してわかったのは、部下の人たち全員がA君を「課長、課長」と敬っていましたので、「A君が一番偉い人」ということだけでした。

僕は普通の会社員生活は約3年しかありませんが、3年目の上司は記憶に残る方でした。その方は当時流行していた若者向け紳士服メーカーから転職してきた方ですが、そのI上司が棚卸の日に僕たち部下十人ほどを連れて、I上司が知り合いの「そば店」に向かいました。

棚卸の日は店舗を休業にしていましたので、みんなでお昼ご飯を食べに行くことができました。そのお店に行ってわかったのですが、そこの店主は私の会社の元社員でした。つまり、脱サラで「そば店」を開業したことになりますが、そのお店にI上司がみんなを誘ったのでした。お店はカウンターほかに畳のテーブルもあり、結構な広さの規模でした。

素人的に考えますと、部下を連れてお店に行くことは「売上げアップ」に貢献することですので、「感謝とまではいわなくとも喜ばれるはず」です。I上司は仕切りに元同僚である店主に話しかけていました。しかし、その店主の反応が今一つ弱いのです。どう見ても、来店を喜んでいるようには見えませんでした。

I上司は、かなりの曲者で自分より下と見た人間をコントロールしようとする気質を持っていました。僕は一線を画して接していましたので、声をかけられませんでしたが、先輩や同僚の中には引っ越しを手伝わされた人までいます。

そのI上司が、僕が脱サラで退職するときに、なぜか親身になってくれ、「独立したら、本部長を紹介する」と話していました。僕が独立する際の業種が「着物販売」だったからですが、それほど親しい関係性ではありませんでしたので、口先だけの社交辞令だと思っていました。ところが、独立したあと、しつこいくらいに「本部長を紹介する」と幾度も連絡をよこしてきました。

こういう気質の人は「自分にはいろいろ人脈がある」というのをウリにしたがるものですが、本部長に「僕を紹介する」もその一つのように感じました。そしてあと一つの目的は、僕に恩を売ってコントロールすることです。僕は危険を感じて「本部長を紹介する」をやんわりと断ったのですが、その際の怒りぶりはすさまじいものがありました。「ふざけるな!」と凄い剣幕で電話をたたき切られました。僕がお願いしたわけでもないのに、どうして怒鳴られなくてはいけないんだろ。

A君は、僕に「部下を持っている光景」を見せたかったことと、部下に「独立した友人を持っている」姿を見せたかったのです。と今書きつつも、実は、僕がA君の意図をわかったのは、ラーメン店を廃業したずっとあとです。きっかけは忘れたのですが、突然「あ、あのときのA君は…」と浮かんできました。

人の気持ちって複雑ですよねぇ…。

じゃ、また。




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