<専門家>

pressココロ上




総理大臣の在任期間の記録を更新し、総理の座を去ったとはいえ、最近においては活動が活発化しており、3度目の登板までささやかれていた安倍元首相が凶弾に倒れました。自民党の最大派閥の領袖であり、その影響力は大きくキングメーカーとして君臨する可能性もあっただけに、このような幕引きがあろうとは想像もしていませんでした。

安倍元首相が襲撃されたという一報を聞いて、真っ先に思ったのはやはり「警護の人たち」のことでした。ただの政治家ではなく元総理という日本の最高峰の地位にまで上りつめ、しかも現時点で最大派閥のトップに就いている政治家がやすやすと襲撃されたのが不思議でした。奈良県警の本部長が記者会見で「警備の不備」を認める発言をしていましたが、どこかに油断があったのは間違いないようです。

繰り返し映し出される映像を見ていますと、しかも放送局によって角度や距離などが違いますので、テレビ画面からでも襲撃されるまでの犯人の動きや全体的な様子をうかがうことができます。素人的に考えても、安倍元首相のうしろに回り込む男性に対して警護関係の人たちがなんの動きもしていないのには違和感を持ちます。

ホイットニー・ヒューストンとケビン・コスナーが主演していた「ボディガード」という映画がありましたが、この映画はヒューストンさんが歌う「オールウェイズ・ラヴ・ユー」も大ヒットしました。ときたま僕はわけもなく、突然に「アンナー、~~~」と歌いたくなることがあるのですが、普通の人が聴いたなら「なにをしたいのか」とか「なにを歌っているのか」と疑問に思うはずですが、僕のできた妻は僕が「したいこと」を理解してくれます。ですが、妻はひねくれている性格の持ち主ですので、僕が「なにをしたいのか」をわかっているのですが、決して反応はしません。ただ、僕をチラッと見て視線を遠くに向けます。

それはともかく、この映画で警護を任命されているコスナーさんはヒューストンさんが襲撃されたとき、身を挺してヒューストンさんを守っています。映画ではスローモーションで、コスナーさんがヒューストンさんの前に身体を投げ出している映像が映し出されています。ヒューストンさんの身代わりに銃撃を受けてまで守ろうとする行動は感動を呼びます。まさに「ボディガード」です。

そういえば、数年前キムタクさんも似たような仕事のドラマをやっていました。妻が毎週楽しみに見ていましたが、そのドラマでもキムタクさんは身体を投げ出して石田ひかりさんを守っていました。まさに命がけの仕事です。

本来、警護というのはそのように対応するのが仕事のはずですが、今回の襲撃事件では警護の方々にそうした動きは見られませんでした。うしろから近づいていく犯人に関心を示した動きをした様子も見えませんでしたし、コスナーさんやキムタクさんのように身代わりになるような動きをした警護の人もいませんでした。警護を専門の職としている人としてはまさに失態で、油断以外のなにものでもないように思います。素人の僕が言うのもなんですが…。

専門ということでいいますと、通信会社「au」の障害も「専門家の油断」という言葉があてはまるかもしれません。auの発表によりますと、通信ネットワークの保守・管理のため、機器の交換を行っていた際に不具合が起きたことが原因、だそうですが、事前に想定できたことで障害が発生したのですから、「専門家の油断」と言えそうです。

ちなみに、僕はauの回線を利用していますが、docomoの回線も契約していますので困ることはありませんでした。少し自慢をさせていただきますと、僕はauの完全かけ放題で毎月2,000円(データ通信1G)、格安スマホのiij(docomo回線)で750円(データ通信3Gを妻と分け合い)の契約です。この契約内容で断然自慢できるのが「auの完全かけ放題」です。何時間話そうが無料です。最近の「かけ放題」は「5分」とか「10分」という制限がついていることがほとんどですが、僕の契約は「完全かけ放題」です。エッヘン、、、。

iijの契約はSMSも利用できますので、今回のようにau回線が使えない場合も、docomo回線でSMSを利用しますと、電話番号のわかる相手とは最低限の連絡はとれることになります。iijではLINEも使っていますので、親しい人とはLINEで電話をかけることもできます。どれほど専門家であろうとも、ミスをすることはあります。日ごろからそうしたことに備えておくことは重要です。

専門家の最たる職業と言いますと、お医者さんでしょうか。人の命にかかわる仕事ですから、ボディガード以上に「命を守る」のを使命としている職業です。先月文藝春秋degitalでは医療特集を組んでいました。いろいろな診療科目の医師が登場して、正しい医療の受け方を説明、解説している記事でした。

その記事の中で、ある診療科目の医師が「自分が診察した患者さん」について書いていました。その患者さんはその医師に診察を受ける前に違う病院で治療を受けており、薬を処方されていたそうです。その処方薬について、記事を書いている医師が異議を唱えていました。もう少しきつい表現をするなら「否定」です。簡単に言ってしまいますと「処方されていた薬が、その病気の治療には適していない」ということなのですが、そのようなことをあっさりと言われてしまっては、患者側としては医師に対して不信感が募るばかりです。

おそらくその患者さんはそれまでの治療が芳しくなかったので、病院を変えることにしたのだと思います。ですが、それはつまり、それまでずっと「治療に適していない薬」を服用していたことになります。患者は医療に素人ですので、治療方法や処方される薬の正誤の判断がつきません。普通に考えて、患者の側から医師に対して処方される薬の正誤を指摘することは不可能です。納得できないときや違和感を持ったときに、病院を変えることくらいしかできません。

そうした状況の中で、あっさりと「前の医師の処方薬は正しくない」と言われてしまいますと、患者としては医療に対して不安になります。プロ野球の世界でよくあることらしいですが、若手選手はいろいろなコーチからアドバイスをされることで余計に成績が悪くなるそうです。コーチによってアドバイスの内容が違っていると、ときには正反対のアドバイスをすることもあるそうですが、どれを信じてよいのかわからなくなるからです。

今回の医師の場合も同様です。ほかの病院から転院してきた患者を診察して、安易に前の処方箋を否定されては患者としては戸惑うばかりです。そもそも本当に「前の医師の処方薬が正しくない」のなら、その医師は前の医師なり医院に対してなにかしらの対応をとるべきです。かつて、乱診乱療が問題になった産婦人科事件がありましたが、必要のない手術が行われていたことが報道された事件でした。

医療という専門的な知識が必要な業界では、その正誤を判断できるのは同じ業界の専門家しかいません。安倍元首相の襲撃があったときも「お医者さんや看護師さんに助けを求める」叫び声がありましたが、命にかかわることでは専門の知識や経験を持った人が必要です。素人が下手に対応しては、助かる命も助からないこともあり得ます。

命にかかわるような危急のときは専門家が求められますが、そうしたときに大切になるのは実力のある専門家を見抜く眼力です。本日、実力のある政治の専門家が選ばれることを願わずにはいられません。

じゃ、また。




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