<優勝者の兄や姉>

pressココロ上




社会人の働き方について情報発信をしている常見陽平さんには「社会は普通の人で動いている」という名言がありますが、わざわざ「普通の人」に焦点を合わせているのは「普通でない人、すなわち優秀な人ばかりがマスコミに取り上げられる」からです。そこには人間が本来持っている「承認欲求」が関係してきますが、マスコミから注目されることは、つまりは世の中から称賛されることですが、多くの人から褒められて快感を覚えない人はいません。

普通の人よりも優れている人が「承認欲求に対する満足感」をそのまま口に出してしまいますと、普通の人は鼻持ちならない気分になります。そう感じさせないために優れた人は言葉づかいを慎重にします。そうした意味で、オリンピック柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した大野将平選手は勝利後のインタビューに対して素晴らしい答えをしていました。

「(東京五輪開催への)賛否両論があることは理解しています。ですが、われわれアスリートの姿を見て、何か心が動く瞬間があれば本当に光栄に思います」

これ以上ない満点の答え方、と思えるほど完璧なコメントでした。僕はスポーツ大好き人間ですが、スポーツを見ていますと感動する場面に出くわすことがあります。それは勝利の瞬間を見たときに限るわけではなく、勝利とは関係のない競技者同士が友情を深める場面でも感動することがあります。これは理屈ではなく、人間に生来備わっている感性がさせることで、意志とは関係なく生まれる感情です。

僕は少年時代に「巨人の星」に夢中になっていたのですが、その理由は人生に参考になりそうな指針が幾つも詰まっていたからです。その一つに牧場春彦君という高校時代の友だちのエピソードがあります。牧場君は野球とは直接関係のない、今でいうオタク人間として登場します。なんのオタクかと言いますと、絵を描くオタクですが、実際牧場君は大人になってから漫画家として登場もします。

細かい内容までは忘れてしまいましたが、牧場君に関するエピソードとして「感動」という心の動きについて描いている話がありました。牧場君が「感動する物語が描けなくて悩んでいる」ときに、「感動とは涙を流したり喜んだりすることだけではない。見ている人が心を動かされること」と思い至るまでを描いた話でした。

僕は大野将平選手の言葉を聞いて、牧場君を思い出したのですが、見ている人が心を動かされるのは損得とか見栄とかいった不純な動機ではなく、純粋に競技に打ち込む姿に対してです。見ている人たちから称賛の声を浴びたいとか、勝利によって莫大な報酬を貰いたい、などといった邪な心の持ち主からは心を動かされることはありません。

頂点にたどり着ける人はほんの一握りですが、「ほんの一握り」ということはそれ以外のほとんどの人は頂点にたどり着けないことを意味します。言うまでもありませんが、頂点にたどり着く人は、人並外れた努力をしています。努力をせずに頂点を極めた人はただの一人もいません。

しかし、元プロレスラーの長州力さんが言っていたように「努力をしたからといって、必ず成功するとは限らない」のも事実です。言い換えますと、「努力をしても、頂点を極められない」人のほうが圧倒的に多いのが実際です。もし、頂点を極めた人に兄弟姉妹がいたなら、それらの兄弟姉妹たちは「頂点を極めていない」ケースのほうが多いことになります。

今回、柔道の阿部一二三選手と詩選手の兄妹、女子レスリングの川井梨紗子選手と友香子選手の姉妹が同時に金メダルを獲得しました。こうしたことが大々的に報じられるのは、数少ない事例だからです。やはり普通の場合は、金メダルを獲得できるのは「兄弟姉妹の中でただ一人」というのが一般的です。

人は意識するとしないにかかわらず、誰かと誰かを比較するものです。自分自身をほかの人と比較するのは自分の心の中だけで終わらせることができますが、他人が心の中で行う比較は、自分ではどうすることもできません。例えば、友だちと自分を第三者が比較することは、第三者が勝手にやっていることですので自分ではどうしようもありません。アイドルグループ内で、ファンがメンバーを比較するのはよく見聞きする光景です。

他人と比較される場合なら、その他人と離れることで悩みは解消されますが、他人でない場合は簡単ではありません。つまり「兄弟姉妹」のことですが、自分の兄弟姉妹と比較されることは、一生続くことになります。しかし、「兄弟姉妹」と言いましても、異性の場合は比較されることがありませんので問題はありませんが、同性の場合は違ってきます。

先ほど、「頂点を極めた人の兄弟姉妹」と書きましたが、同性であっても年下である弟や妹の立場では、頂点を極めた兄や姉と比較されてもさほど問題ではありません。小さい頃から、年下の弟や妹が劣っているのは当然という発想が沁み込まれているからです。

問題が起きるのは、頂点を極めた弟や妹を持つ同性の兄や姉です。小さな頃は自分のほうが技能的にも肉体的にも、さらにいうなら精神的にも優れていた兄や姉がいつの間にか競技者として抜かれた状況になっているのです。結果が目に見えるスポーツの場合は、「抜かれた状況」が如実に表れます。そして、悲しいことにこの状況から逃れる術はありません。なにしろ同じ血が通っているのですから。

実は、柔道の阿部兄妹選手には、その上にお兄さんがいます。そしてもちろん、最初はその長兄が柔道をはじめています。僕はこの長兄の方の気持ちを慮ると複雑な気持ちになります。僕がそうしたことを考えるようになったのは、女子フィギュアスケートの浅田真央選手の姉妹の軋轢について書いた記事を読んだことがあるからです。

妹が実力を上げ、注目を集める中、孤立していく姉・舞さんの心の葛藤はすさまじいものがあったそうです。それこそ、姉の舞さんは不良のような生活をしていたこともあるようです。妹である真央さん中心の生活をすることは、姉である舞さんへの対応が二の次三の次になることです。舞さんにとって、そのような暮らしぶりが楽しいはずはありません。

現在メジャーリーグで大活躍をしている大谷翔平選手にも7才年上のお兄様がいます。言うまでもなく翔平選手が小さい頃はお兄様のほうが技術的にうまかったはずですが、年を追うごとに成長していく姿はうれしくもあり、悔しくもあっただろうと想像します。おそらく、現在でも「翔平選手の兄」という世間の視線に苦労しているように思います。

このように頂点を極めた人の兄や姉の立場の人たちは、ほかの人にはわからない苦労をしています。そうしたときに重要になってくるのが、親御さんの対応です。有名になった息子や娘を持つことは、親としては自分が褒められた、または認められたような気分になりうれしいものです。そうしたときに、ついついほかの子供たちへの対応がなおざりになりがちです。

女子レスリング川井友香子選手(妹)が先に金メダルを獲得したあとのお母様のコメントが印象に残っています。

「そろって金が何より喜べる」

前回のオリンピックのときの二人の気持ちの難しさを実感している母親だからこその感想だと思います。前回のときは姉の梨紗子選手は金メダルを獲得して絶頂期でしたが、妹の友香子選手は失意の中にいたようです。二人の気持ちを思う母親の気持ちが姉妹の良好な関係を築いているように感じました。

川井姉妹のようにどちらもが優れている場合はよいですが、一般的にはどちらか一方だけが優れておりもう一方は普通の能力しか持っていない場合がほとんどです。特に優れているほうが年下の場合は、兄や姉はある年齢に達するまでずっと比較される人生を送ることになります。どれだけ辛く苦しいことか、親御さんは想像する必要があります。

多くの人から認められ称賛を浴びるような、絶頂期を迎えている子供がいるとき、同性で年長の兄姉に対する親の気配りが家族関係を作ります。良好な兄弟姉妹関係を築くのは親の対応如何にかかっています。仮に、絶頂期を迎えている弟や妹に対して、妬むこともなく称賛するようなコメントを発している兄や姉だったとしても、それは理想の兄姉を演じている可能性もあります。そこまで思いやってこそ、親です。

兄弟姉妹の関係はむずかしい。いえ、兄弟姉妹だからこそむずかしい。

じゃ、また。




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