僕は仕事中に、なにかアイデアが浮かんだときはメモをとるようにしています。年のせいとも言えそうですが、年をとる前から「せっかく思いついたこと」をあとから思い出せないことがよくありました。おそらくこうした経験は誰しも持っているのではないでしょうか。
最近、僕が尊敬する野口悠紀雄教授が『「超」メモ革命』という本を出版しました。僕が「メモをとる」重要性を知ったのは20年くらい前、いえもっと前かもしれませんが、野口教授の経済記事を読んだことがきっかけでした。もうお亡くなりになりましたが、作詞家の阿久悠さんも同様のことをインタビューで答えていたように思います。
そうした記事を読んでいましたので、なにか突然思いついた「役に立ちそうな」もしくは「あとで使えそうな」ことがらはメモをとるようにしています。そのメモのとり方ですが、これも野口教授からのご指南を実行しています。まだITが世の中に浸透する前にすでに野口教授はGmailの使い方について先進的なアドバイスをしていました。
まだクラウドという発想もない時代でしたが、当時野口教授は重要な書類とか大切なテキスト類をGmail上に置くことを推奨していました。それから時代が進んでクラウドというサービスが登場するのですが、野口教授の先見性に感心した記憶があります。
野口教授は「書類やテキスト類をGmail上に置いておくこと」を推奨していましたが、僕の場合は、出先から自分のPCアドレス宛にメモを送信することで活用していました。このようにすることで出先で思いついたアイデアを忘れることがありません。メールチェックは毎日行いますので必ずメモに目を通すことになります。
これは意外と盲点なのですが、せっかく思いついたり考えついたりしたこと自体を忘れる、ということがあります。自宅のアドレスに送信することは、その盲点を解消することになります。ですので、僕は仕事中とか作業をしているときに「あとで使えそうなアイデア」を思いついたときはすぐにGmailに書いて自宅のPCアドレス宛に送信しています。
メモの書き方は丁寧ではなく雑です。ほかの仕事とか作業をしているときですので、できるだけ短時間で済まそうと思うからです。なんでもいいので思いついたアイデアのきっかけになる言葉さえ送っておくならほとんどのことは思い出せます。重要なことは「出先で思いついたこと」を自宅で思い出し、その内容を蘇らせることです。
ですので、基本的にメモの書き方も短文になるのですが、例えば出先でコンビニのトイレで「ハンカチを忘れていた」ことに気づいたとき、「ズボンにハンカチ」などと書いてGmailで送信します。こうすることによって、自宅でメールチェックをしたときにハンカチを思い出し、ズボンにハンカチを入れることを忘れません。また、作業に必要な道具類などを思い出したときもGmailで送信します。このようにすることで、翌日以降の作業で必要なことやものを忘れることを防げます。
ちなみに、仕事中に思いつくのは忘れものとか仕事関連のこととは限りません。ときには、今書いているコラムのテーマなどを思いつくこともあります。ひとりで黙々と作業していますと、意識しなくともいろいろなことを思い出したり考えたりするものです。おそらく誰でもひとりでいるときは、なにかしら頭を働かせるのではないでしょうか。小さい頃の思い出とか思春期の頃のうれしかったこと、悲しかったこといろいろなことが頭の中を駆け巡ります。
コラムのテーマなどを思いついたときはGmailメモ方法ではなく、別のメモ用のアプリを活用しています。コラムのテーマは緊急性があるわけではなく、コラムを書くときに利用するだけですので、そのアプリで充分です。Gmailメモ方法は仕事関連のとき限定となっています。
こうするようになって、仕事関連の忘れものはほとんどなくなったのですが、ある日帰宅後にメールチェックをしましたところ、意味不明な文字が出てきました。
「 反抗物 」
「はんこうもの」、「はんこうぶつ」、「はんこう もの」、「はん こうもの」…、いろいろと考えました。しかし、どうしてもわかりません。というか思い出せません。送信元は僕のスマホアドレスでしたので、僕がなにかしらメモとして送ったことは間違いありません。ですが、意味不明なのです。
先ほど僕は、メモ書きの文章は「丁寧ではなく雑」と書きましたが、入力方法は文字を指で打っているのはありません。以前書いたことがありますが、僕のスマホにおける入力方法は音声入力です。以前書きましたので詳細は省きますが、指で入力するよりも音声入力のほうが断然早いのです。
今の音声入力はかなり正確です。数年前とは比べものにならないほど正確です。「。」や「、」を入力したり、改行はできませんが文章はほぼ正確に変換することができます。ですので、僕が書く短文のメモ程度でしたら、なんの問題もなく作成することができます。しかも、メモは「丁寧ではなく雑」でよいのですから音声入力は打ってつけの入力方法と言えます。
なのに…「 反抗物 」。
国会の論戦を見ていて、というか聞いていて摩訶不思議な気持ちにさせられることがあります。それは、会話が成り立っていないからです。僕は小さい頃からおっちょこちょいで早とちりなところがありましたので、相手の話をよく聞かずに次の行動を起こし、先生や大人に怒られることが多々ありました。
ですので、小学校中学校と進学しながら相手の話を聞いて、それに対して反応する術を少しずつ身につけてきました。コミュニケーションは相手の話を理解し、それに対して答えを返すことがはじめの一歩です。それなくしてはコミュニケーションなどとれるはずもありません。いわゆる「話がかみ合っていない状態」ほど、聞いている第三者を不快にさせることはありません。
国会で近年見かける光景はまさにこうした不快な状況です。野党の質問に正面から答えず、関係のない的外れな答弁をすることが常態化しています。前総理の安倍さん時代からすでにそうした答弁のやり方が行われていたように記憶していますが、今の菅総理はそうした姿勢が強くなっているように感じます。
そして、一番の問題はそうした答弁がまかり通っていることです。もう少し野党が強かったなら、存在感があったなら、学校の先生に怒られるような答弁はできないはずです。自民党一強の弊害のなにものでもありません。
僕は「反自民」でも、どこかの政党を支持する者でもありませんが、国会できちんと質問に答えない政権には憤りを感じています。野党の質問に真摯に答えないことは野党をバカにしていることになり、突き詰めるなら国民を見下していることにつながります。
野党の質問に対して、的外れでトンチンカンな答弁を平然とする光景を見せられてしまいますと、ストレスになるばかりです。僕のメモをしたためたメールの意味不明な言葉も同様で、その日は夜まで気になって仕方ありませんでした。
ところが、夜寝る時間になり、テレビの横にある窓を閉めたときです。なにげにテレビの下を見ますと、普段置いてないものが置いてありました。僕は作業用のズボンを洗濯する際は、ポケットに入れている印鑑やボールペンをテレビの下に置いています。ですから、普段はそこにはなにも置いていないのですが、その日はズボンを洗濯していないにもかかわらず、テレビの下に印鑑とボールペンなどが置いてありました。
つまり、ズボンに印鑑とボールペン類などが入っていないことになるのですが、そのとき「 反抗物 」の意味がわかりました。
意味は…、「ハンコ持つ」でした。
じゃ、また。