「人生で最も大切なことは職業の選択である。が、偶然がそれを決定する」
今週のプチアビリドで紹介しているパスカルの言葉ですが、先週の週刊プレジデントはこの言葉を実感させる内容でした。元マイクロソフト日本法人社長成毛真氏の記事を読みますと人生なにが幸いするかわかりません。
新聞によりますと青森県では高卒の就業者のうち6割が3年以内に離職しているそうです。働く前に想像していた仕事内容と実際の仕事内容が違っていた場合職業を変えることはあってもよいと思います。ただ、よく言われることですが自分に適性があるとは思えない仕事に出合うことによって自分でも気がついていなかった才能に目覚めることもあります。また、年令が若いときは世界が狭いわけですから自分の選択の範囲も狭いものとなります。自分の知らない世界に自分に合った仕事がある可能性もたくさんあります。自分の意に沿わない仕事と思ってもどうしても嫌な場合を除いて体験してみるのもよいのではないでしょうか。
「どうしても嫌な場合」もあると思います。新聞に載っていましたある高卒の女性は求人票に書かれていた内容と実際の内容があまりにもかけ離れていたため離職したそうです。「ノルマがあるのは仕方ないけど人を騙すのは嫌だった」と語っていました。先ほど書きましたように自分に適性があるかないかは体験してみなければわかりませんが、それ以前に一社会人としての判断が必要なときもあります。
昨年あたりからコンプライアンスという言葉が言われるようになりました。日本語では「法令遵守」と訳されます。簡単に言いますと「ちゃんと法律を守りましょう」というわけです。
大手商社が都に「基準に満たないDPF」を販売していた問題は正しくコンプライアンスに反する行為でした。全ての企業がコンプライアンスを実践するなら企業の犯罪はなくなるかもしれません。しかし本心を言うならば私はコンプライアンスに違和感を持っています。
それは、今叫ばれているコンプライアンスは企業の立場に立った言葉となっていると思うからです。わかりやすく言いますとコンプライアンスが「企業が犯罪社とならないための基準」になっているということです。もっと言うならコンプライアンスさえ実践しているならあとはなにをやっても構わない、ということになります。先ほどの女性が「人を騙すのが嫌だった」と語った企業もコンプライアンスは実践していたかもしれません。それでも女性はその仕事を受け入れることができなかったのです。このように考えるときコンプライアンスを実践するだけではなくその先にあるものにも目を向ける必要があるように思います。
ではコンプライアンスのずっと先にあるもの、それはなにでしょう?
先月、認知症のご老人がリフォーム業者と数千万円の契約をしていたことが報道されました。現在では同じような例が全国各地で数多く報じられています。まだ逮捕されたという報道はありませんから法律的には問題がないのでしょう。しかし工事の代金を返還している業者もあります。やはり後ろめたい気持ちがあるからに他なりません。
コンプライアンスのずっと先にあるもの、それはモラルです。私はそう思います。本物の企業はモラルを持っているはずです。
以前、街を歩く女性たちのブランド品を本物か偽物かを鑑定するテレビ番組がありました。番組の中では実に約半数のバッグが偽物でした。それほど偽物が世の中を堂々と闊歩しています。しかし一般の人が本物と偽物を見分けることは難しいのが実情です。同じように企業を選ぶときも本物の企業と偽物の企業を見分けることも難しいことです。もし本物の企業に出合えたならこれほど幸せなことはありません。同じように人生において本「者」に会えたならこれほどうれしいこともありません。
じゃ、また。