<筑紫 哲也さん>>

pressココロ上




 先週はいろいろなことがあり、そのたびにコラムのテーマにしようと思っていました。まず、アメリカでオバマ氏が大統領になりました。アメリカ史上初の黒人大統領ですからこれほど画期的なことはありません。やはりなにかしら関連したコラムを書かねば、と考えていました。するとその数日後、小室氏の逮捕という驚くべき報道がありました。’90年代にあれほど稼いだ人が詐欺などという想像もつかない理由でしたので、これもコラムに書きやすい題材と思いました。
 しかし、金曜になり筑紫哲也氏が亡くなったという報道で、僕の中では先の2つの出来事は薄い印象しか残らなくなっていました。たぶん多くのファンがいたとは思いますが、僕のその一人です。
 それにしても癌の公表からこんなに早く逝ってしまうほど病状が悪いとは思っていなかっただけにとてもショックでした。レギュラー出演は降りていましたが、重要な場面では必ず番組に登場していましたので「快方に向かっている」もしくは「完治している」ものと思っていました。それは番組で見る筑紫さんが精力的に話しているように見えたからです。しかし、実際にはかなり病が進んでいたようです。筑紫氏の大きさを見せられた思いです。それにしても73才は早すぎます。
 今、僕はこのコラムを書きながら「懐かしのフォークソング集」というアルバムを聴いていました。主に’70年代にヒットした歌を集めたアルバムです。どんな歌が入っているかといいますと、「サルビアの花」とか「春夏秋冬」とか「神田川」などです。若い読者の方は知らないでしょうが、40才前後~50才過ぎの方たちには涙が出るほど懐かしい歌が収められています。ちょうど今、流れていたのは「戦争を知らない子供たち」でした。
 筑紫さんのことをどうして僕が好きかと言いますと、この歌に関係があります。筑紫さんは番組内でいろいろな主張をしていましたが、僕はそれら全てに賛同していたわけではありません。番組を見ながらついつい「それは違うよなぁ」などとひとりごちていたこともありました。
 その中で僕が一番印象に残っているのは番組の最後にポロッと言ったある言葉でした。自分でも理由はわからないのですが、そのときの筑紫さんの一言に対して「違うよなぁ」と言った僕自身を覚えています。
 これから書く内容はかつてこのコラムで書いたことがありますので覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、お許しください。
 その日は番組内で「タクシーの乗務員の労働環境」を取り上げていました。内容的には「乗務員の苦境状況」を伝えていたのですが、番組の最後に筑紫さんがポロッと言ったのでした。
「しかし、それにしてもどうしてあんなに運転手さんは無愛想なのかね」
 そしてすぐにエンディングテーマが流れたのですが、僕はそれを聞きながら反論していました。
「無愛想なのはお客さんのほうだよ」
 この、僕と筑紫さんの感想の違いは乗務員経験者か否かによります。運転手の立場になってみれば、一日に50~70人のお客さんを乗せますが、中には偉そうにふんぞり返って無愛想なお客さんもいます。運転手としてはやはりそういうお客さんが記憶に残るものです。同じように、筑紫さんも運転手さんの中にも愛想のいい人もいたはずで、しかし、無愛想な人が印象に残っていたのでしょう。そうは言いましても、番組で乗務員の大変さを紹介していながら乗務員を批判するコメントに不快感を持ったのでした。
 それはともかく、僕は筑紫さんと全ての考えが同じではありませんでしたが、それでも僕が筑紫さんを好いていた理由は「反対の立場の人」の意見も聞こうとする姿勢が見えたからです。それとあとひとつ、「二度と戦争は起こさせない」というメッセージを発しているように思えたからでした。
 戦争が終わって70年も過ぎますと、その悲惨さを体験している人が少なくなっていきます。もちろん僕も体験していませんので本当の意味での戦争の悲惨さはわかりません。けれど、戦争は決して起こしてはいけない、と思っています。
 しかし、大人の中にも「戦争の悲惨さ」を実感できないような人もいるようで戦争を肯定するような意見の人もいます。筑紫さんはそうした流れが強くなることをせきとめようとしていたように見えました。
 あるジャーナリストは筑紫さんを「座標軸だった」と言い、またあるジャーナリストは「羅針盤だった」と言っていました。そうした名だたるジャーナリストの間でも尊敬されていた筑紫さんが亡くなったことはとても大きな損失であり、衝撃です。
 僕の個人的な気持ちとしては、筑紫さんは最も中立な人だったような気がします。
「偏らない」。
 これはとても重要なことだと僕は思っています。どんなに素晴らしく多くの人から支持される意見でも、それが正解だとは誰にもわからないからです。もしかしたらその考えが誤りである可能性も否定できません。そうしたとき自分と反対の意見も取り上げることはとても大切です。「偏らない」ことはその意味で基盤となる立ち位置です。僕は筑紫さんにその点をとても好感していました。
 また僕は、筑紫さんが「偉ぶらない」「もったいぶらない」といったところも好きでした。新聞記者出身の評論家の人たちの傾向として「わかったような」そして「偉い人と親しい」ことを自慢する性質があるように感じます。しかし、筑紫さんはそうしたところが少しもありませんでした。…好きだったなぁ。
 筑紫さんのご冥福をお祈りいたします。
 ところで…。
 いつもですと、ここから先は「オチ」の話になるのですが、今週は筑紫さんの訃報がありましたので少し違うお話を…。
 先週、心温まる親子の会話を耳にしましたので、それをご紹介したいと思います。
 お店に30才半ばの誠実そうなお父さんと2才~3才くらいの男の子が手をつないでやってきました。お父さんは男の子が道路に出ないように気を使いながら注文をしていました。お父さんが注文するためにちょっと手を離すと子供はすぐに道路のほうへ歩き出そうとしてしまいます。そのたびにお父さんは店先から子供のほうへ手を伸ばし、子供の手を優しく引き寄せていました。幾度かそのような動作を繰り返したあと、お父さんは子供に優しい口調でゆっくりとした話し方で言い聞かせました。
「車が恐いから道路のほうへ行っちゃだめだよ」
 お父さんはそう言うとメニュー表に視線を移しました。すると男の子がお父さんに話しかけました。
「車って恐いの?」
 お父さんはメニュー表を見ながら答えます。
「そうだよ。恐いんだよ」
 それを聞いた男の子はひとりごとのように言いました。
「でも、お父さんは強いじゃない」
 それを聞いたお父さんは思わず笑いながら答えました。
「そんなこと言っても、車はお父さんよりも強いんだよ」
「ふ~ん」
 なんか素敵な親子の会話ですよね。こういう親子の会話が普通に交わせる世の中が続くことを筑紫さんは望んでいたように思います。
 じゃ、また。




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