<手抜きをせずに>

pressココロ上




 先月のことですが、お店の前の道路が夕方から5時間ほど歩行者天国になった日がありました。夏休みに入りいろいろな地域でイベントなどが行なわれていましたが、その一環としての歩行者天国でした。この行事は毎年のことですが、その日は通行人が普段の百倍以上ありますので、当然、僕のお店も間違いなく売上げが増大する日でした。小売業、飲食業はなんと言っても立地環境が一番大事ですが、それを証明する1日です。
 ある美容院などは、その日だけ美容院をお休みにし、店頭でトウモロコシを販売してるのを聞いたときは思わず笑ってしまいました。ですが、その商売人としてのしたたかさには尊敬の念も沸き起こります。
 売上げが見込めることは、店にとってみますと、とてもうれしいことですが、そうした状況を活かすために、やはりそれなりの前準備は欠かせません。当然、1週間前あたりから仕入れの確保などを問屋さんと連絡を密にとり、万全の態勢で迎えるつもりでいました。ところが…。
 万全の態勢とは、当日「前」だけでなく当日「後」のことも考えることです。つまり、売上げが多いということは、それだけ在庫が減ることですから、翌日の販売分の在庫の確保も重要になってきます。ですから、僕としては、当日も問屋さんに配送をお願いすることを当然のこととして考えていました。減った分の在庫を補充するためです。
 歩行者天国ということは、自動車の通行止めを意味しますので問屋さんの配送車も店の前に入って来られません。しかし、少し工夫をするなら配送は可能で、実際、昨年の担当者は夜の10時過ぎに持ってきてくれました。
 ところが、今年の配送の方は「その日は配送を避けてほしい」と言ってきました。理由を尋ねますと、「通行止めだから」ということでした。僕は、それ以上なにも言う気になれず、その要請を承諾することにしました。でも、内心では納得していたわけではありません。
「どうして、仕事に対して一生懸命、取り組まないんだろ…」
 僕は児童虐待の報道に接するたびに悲しい気持ちになりますが、先日、それに関連する記事を新聞で読みました。(朝日新聞8月20日朝刊社会面)
 記事の概要は、小学校の男性教諭が「虐待されている児童を救うチャンスが幾度かあったにも拘わらず行動に移せず、結局、死に至らせてしまった自分を悔いて」いる内容です。僕はこの記事を読み、児童虐待に関わる立場にいる、例えば教師や医師や児童相談所で仕事に従事している方々について考えました。果たして、これらの方々は自分の仕事に対して真摯に向き合い取り組んでいるのだろうか。男性教諭が話しているように、これらの方々は、虐待を受けている子供たちの最後の命綱です。僕には、そうした自覚を持って仕事に取り組んでいる人が少ないように思えてなりません。
 僕が児童虐待事件に接して、一番腹立たしいのは救える立場にいる大人、つまり、「虐待されている児童」を救うことを仕事としている人たちが、その仕事に全力で取り組んでいないと感じるときです。
 例えば、児童相談所が虐待の可能性の報告を受けたときに、適切な対応を取らなかったが故に児童を死に至らしめたケースです。今、「適切な対応」と書きましたが、「適切な対応」とは子供の命を救うことを第一に考える対応です。これは専門家でなくとも誰でも想像がつくでしょう。
 しかし、事件が起きたあとに開かれる記者会見で、責任を負うべき行政や組織の方々の話を聞いていますと「報告を受けたから仕方なく対応した」という印象しか感じられないことが多々あります。そうです。僕には「仕方なく対応した」としか感じられない行動なのです。その背景には「ことなかれ主義」も透けて見えます。
 そうでなければ、児童虐待が行なわれているかもしれない家庭を訪問して、親の話を聞いただけで対応を打ち切るでしょうか。また、家庭を訪問したときに、留守で連絡が取れないからとあっさりと対応を打ち切るでしょうか。さらに最悪の場合では、電話をして話を聞いただけで、対応を打ち切ったりするでしょうか。僕は不快です。
 僕は不思議です。このような「表面的でおざなりな対応」しかとらなかった職員の方々は、子供たちの苦しさや辛さに思いを馳せることはなかったのでしょうか。「もしかしたら、助けてもらえる」と子供たちが期待していることを想像することはなかったのでしょうか。もし、そうした感性を全く持たない人であるなら、そのような人は児童虐待に関連する仕事に従事するべきではありません。こうした状況こそ雇用と労働のミスマッチといえます。このようなミスマッチの状況は働いている人、そして虐待されている児童の両方にとって不幸です。
 いつかの新聞に書いてありました。
「虐待を見抜けなくて亡くなった児童に謝罪するより、虐待と勘違いして親に謝罪するほうが、よっぽどましな対応だ」
 問屋さんの配送の方が、後日来たときに僕に聞いてきました。
「(イベントの日に)配送できなくてすみませんでした。で、売れましたか?」
「いやぁ、今までで一番売れたので、配送がなくて困りましたよ」
「そうですか。じゃぁ、うちは営業妨害をしちゃったんですねぇ。すみません」
 この方は大きな勘違いをしています。この方が謝罪に際して使うべき言葉は、「営業妨害」などでは決してありません。
 問屋さんで商品を配送していますと、つい「配送すること」が仕事と思いがちですが、本来の仕事の本質は、数多くある問屋さんの中から自社を選択してもらうことです。つまり、他社との競争に勝つために様々な価格も含めたサービスを提供することが本当の仕事です。「配送すること」ではなく、「販売すること」が仕事の本質です。だからこそ、購入してもらうためにサービスを提供する必要があるのです。
 そして、競争に勝つために最低限必要なのは「相手に満足感を与えること」です。間違っても「手抜きの対応をする」取引先から商品を買おうなどとは誰も思いません。競争に勝つためには一生懸命に働くことが最も大切です。
 人にはそれぞれ持って生まれた能力があり、その能力は個人差があって当然です。僕が東大出の優秀な人と同じレベルの仕事ができるわけはありません。持って生まれた能力に差があるのは仕方ありませんが、生まれながらに与えられた能力の中で一生懸命に働くことは、能力に関係なく誰にでもできることです。要は、やるかやらないか、だけです。
 絶対的弱者である子供たちを虐待という理不尽な環境から救う仕事に従事している皆さん。なんとしても「手抜きをせずに、責任感を持って、一生懸命」仕事に取り組むようお願いいたします。それができないなら、仕事を変えてください。
 ところで…。
 先週は僕の誕生日がありまして、今までにもよくあることでしたが、誕生日を期に禁煙に兆戦することにしました。「今までにもよくある」ということは、つまり、いつも失敗していることの裏返しですが、毎回ニコチン依存症の厚い壁に跳ね返され、成功したためしはありませんでした。
 過去の結果を振り返りますと、禁煙できたのは長くて1日~2日だったのですが、今回は一応記録更新をしております。ですが、やはりきつい! なにしろ薬物中毒と同じですから苦しい! ですが、10月から440円に値上がりするのがわかっていますので、今回だけは成功させねば、と思っておりやんす。でも、僕、過去の実績からしますと、「根性がない」というか「意志が弱い」というか…。
 もし、どうしても我慢できなかったら、そのときは…そのときは…、「手抜きをせずに、責任感を持って、一生懸命」タバコを吸いたいと思います。
 じゃ、また。




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