<夢>

pressココロ上




 マクドナルドの原田泳幸社長が事業会社の社長を退任し、ホールディングス会社の社長兼会長に専念するという報道がありました。組織の構図からだけ判断しますと、上位に留まるわけですから、降格という意味合いはないように感じます。ですが、昨年末からの業績が回復していない現状を鑑みますと、いろいろな推察ができます。
 推察する前に、ホールディングス会社と事業会社の関係について簡単に説明します。1997年に日本では持ち株会社制度が解禁されました。これによって多くの企業がこの制度に移行しました。この制度は持ち株会社が上に君臨して、その下に事業会社が位置する構図です。持ち株会社とはホールディングス会社のことで、事業会社とはこれまでの普通の会社のことです。わざわざ「事業」とつけているのはホールディングス会社が株を持っているだけなのに対して事業を行なっているからです。
 簡単にいってしまいますと、これまでにもありました親会社の下に子会社があるグループ会社の構図と形の上では同じですが、大きな違いは親会社が事業をしていないことです。親会社が事業をしている場合は、これまでの普通のグループ会社ですが、親会社が事業をしていない場合は持ち株会社制度になります。ですから、ホールディングス会社の収入は事業会社からの配当ということになります。
 今回の原田氏の報道を聞いて、僕が真っ先に感じたのは「逃げ」でした。なにからの「逃げ」かといいますと、「業績回復」からです。実は、マクドナルドは昨年12月からずっと業績が落ち込んだままでした。もちろん、いろいろなキャンペーンなどをやりながら業績回復を試みていましたが、芳しい結果は得られていませんでした。そのさなかの原田氏の事業会社社長からの退任報道でしたので、とっさに「逃げ」と感じた次第です。
 原田氏はマクドナルドの社長に就任以来、7年間ずっと好業績を続けていましたので、名経営者の名をほしいままにしていました。経営について薀蓄を語る本も数冊出版していますし、講演などにも呼ばれていました。
 しかし、このコラムを読んでいる方は、僕が原田氏の経営手法を認めていないことをご存知だと思います。僕は原田氏の経営手法に疑問を抱いていました。理由は、原田氏の経営手法が売上げを上げるための方策をとっていたのではなく、単に直営店をフランチャイズ店に移行させていただけだからです。その証拠に利益は上がっていますが、売上げは落ちています。
 「名ばかり店長」という言葉がマスコミで取り上げられたのも原田氏が社長に就任してからです。この言葉はマクドナルドの店長について指摘したものですが、残業代を支払わなくて済むように社員に店長という肩書きを与えていたことを揶揄しています。
  次に僕が感じたのは「ズルイ!」でした。なにが「ズルイ!」かといいますと、責任を負わなくていい立場になったことです。先に説明しましたように、ホールディングス会社の使命は売上げを上げることではなく、資金の分配方法と事業会社の人事を考えることです。
 僕は、「自らは高みの見物にできる場所にいて、偉そうなことをいう人」が嫌いです。まさしくホールディングス会社の社長はその立場にいる人です。見方によっては銀行と似ています。銀行は融資をするという強い立場にいて、そして融資先の現場については知らなくても偉そうなことは言います。半沢直樹に出てくる悪役のような人です。
 今回の原田氏の人事異動の真意がどこにあるのかわかりかねますが、株の半分以上を持っているのが米国のマクドナルドですから、米国の意向が働いたのは間違いのないところです。ですが、原田氏の意向が全くなかったかというとそれも疑問です。原田氏と新しい女性社長が笑顔で握手をしていましたが、もし原田氏の意向が働き「逃げ」と「ズル」が真意であったならマクドナルドの業績は今後も回復しないでしょう
 原田氏と正反対の行動をとった経営者がいます。吉野屋ホールディングスの安部修仁社長です。阿部氏はアルバイトから社長にまで上り詰めた方ですが、吉野家の中興の祖といわれている方です。
 吉野家は一度潰れています。そのときにアルバイトだった阿部氏が再建のために必死に取り組み復活させたという歴史があります。その阿部氏は昨年、吉野家ホールディングススの社長を退き、吉野家という事業会社の社長に専念することにしました。この姿勢、考え方こそ、本来経営者がとるべき態度です。
 阿部氏はホールディングスの社長は退いていますが、代表権のある会長職には就いています。実は、この点も僕が阿部氏を好感している理由で、無責任になっていない考え方は経営者の鏡といえます。
 現在、牛丼業界でひとり負けの格好の吉野家ですが、そこから逃げることもなく挑戦している姿からは逃げもズルさも感じさせない潔さが感じられます。
 福島原発の汚染水漏洩問題が収まりそうもありません。マスコミなどでも報道してはいますが、もう少し危機感を強調した報道のされ方が行なわれてもよいのではないでしょうか。僕には、東京電力は今ひとつ危機感を持っていないように思えます。高濃度の汚染水が漏れ続けていることの恐ろしさをもっともっと真剣に身を持って伝える努力が必要です。
 危険さを強調して伝えることは東京電力が非難批判されることになりますから、消極的になるのはわかります。しかし、福島の現地で生活している人たちのことを考えるならそんなことも言っていられるはずがありません。
 現場の人たちのことを考えるべきです。東電の幹部の人たちは自分たちが原発の近くに住んでいる気持ちになって対処法を考える義務があります。以前、テレビで原発事故が起きたときの吉田所長と東電幹部のやり取りを聞きました。吉田所長の言葉からは緊張感とそれ以上の切迫感が伝わってきました。しかし、東電幹部の人たちの口調からは焦っている感じと慌てている感じは伝わってきましたが、それ以上のものは伝わってきませんでした。その違いは、現場にいるかいないかの差です。
 現場を知っている人の言葉には強い心があります。人を動かす力が宿っています。単にきれいな言葉を連ねただけのものではありません。だからこそ、キング牧師の演説に多くの人々が感動しました。
 キング牧師の演説が感動を与えてから50年。世の中を変えるには、現場を体験し熟知している人がトップに就くことです。
 ところで…。
 予算の概算要求が終わりましたが、その節操のなさに驚かされるのは僕だけではないでしょう。各省庁の官僚の方々が現在の財政状況を知らないはずはありません。国の借金が一千兆円を越えていることを知らないはずがありません。にも関わらず、膨大な要求をする各省庁の官僚の方々…。
 それぞれの省庁ともやりたいことがたくさんあるでしょう。でも、夢を語るには現場を知っているという資格が必要です。
 じゃ、また。




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