<ただいま>

pressココロ上




 2週間ぶりでござんす。先週、急遽お休みすることになりまして、申し訳ありませんでした。今回の心臓の手術は以前から決まっていたのですが、7日(日)には退院する予定でおりました。ですので、お知らせしていなかったのですが、医師によれば想定外のことが起き、3日間の延長となってしまいました。
 それでは僕の心臓の手術の顛末につきましてご報告をしたいと思います。今現在、若いから心臓なんか関係ないと思っている方もいつ自分がそういう目に遭うかわかりません。だって、僕だって、半年前までは自分が心臓に欠陥があるなんて思いもしなかったんだから…。
 カテーテル検査を受ける前までの経緯は8月4日のブログを読んでいただくとして、今週はその続きからはじめます。
 検査のあと退院してから僕が真っ先にとった行動はカテーテルアブレーションという手術の危険度を調べることです。もちろんネットで調べたり数少ない知り合いに問い合わせてみたり、といろいろやりました。しかし、今ひとつ答えが出ないでいました。
 退院の翌日、二日目と一日中調べていましたが、結局決めかねている状態のまま夕方になり妻と買い物に行くことにしました。前々日まで入院していましたので久々の買い物です。
 ドアを開け玄関の外にでますと、斜向かいに住む奥さんがちょうど外出するところでした。奥さんは僕より10才以上年長でウチの近所で一番古くから住んでいる方です。僕を見るなり言いました。
「あら、退院したの?」
 僕が緊急で入院したのを知っていましたので、声をかけてくれたわけです。僕は退院報告とお礼を兼ねて病状やら状況やらを話しました。そのついでに、僕は尋ねてみました。
「カテーテルの手術をした人、知りませんか?」
「知ってるわよ。ウチの主人」
 なんとご主人がカテーテルで心臓の手術経験者でした。しかも、昨年のことだそうです。僕は自分が感じている不安を話しました。すると、
「大丈夫よぉ。ウチの主人もやったけど、親戚だって周りにだっているから心配なんかしなくて大丈夫よぉ」
 拍子抜けとはこのことです。
 奥さんと別れてから僕は駐車場に向かいました。しばらく歩くと知り合いのご主人と出会いました。僕より15才くらい年長の方です。すごく親しいという間柄でもありませんし、それほど頻繁に出会うということもありません。ですが、会ったときは二言三言言葉を交わす程度の新密度です。
 ご主人は僕が入院していたのをご存知ありませんでしたので、世間話方々近況を報告しました。そのついでに、僕はまたまた尋ねてみました。すると間髪入れずに答えが返ってきました。
「あ、俺もやったことあるよ」
 なんとこのご主人も経験者だったのです。しかも10年も前のことだそうです。僕は10年も前からカテーテルの手術が行なわれていたことに驚きました。
「なんも心配することなんてないよ」
 拍子抜けとはこのことです。
 翌日、僕が朝一番で大学病院に電話したのは言うまでもありません。ですが、紹介状を書いてもらうのに1週間を要することになってしまいました。紹介状の宛先は都心にある大病院でした。
 最初に紹介状の話を聞いたときは、担当の先生も日にちも決めておいてくれるはずでした。しかし、僕が退院後にお願いをしたときは担当の先生はおろか日にちも指定してありませんでした。僕はその違いが不安でした。
 僕は紹介状をもらったあと、都心の病院に電話をして受診のやり方を問い合わせました。やはり少し不安があったからです。
 僕の問い合わせに対して、病院のオペレーター女史は
「本来は、紹介状は担当の医師名が書いてあるのが正しいのですが、なくても初診扱いで診察を受けることはできます」
と答えました。取りあえずは、無駄足にならないことを確認できました。
 僕は、不安な気持ちを抱きながらも紹介状を持って都心の病院に向かいました。しかし、僕が案ずるようなことはなく、紹介状を読んだ担当医師はその場で手術専門の医師に連絡し、手術日を決めてくれました。手術日は9月6日となりました。
 このときに驚いたのは入院日数の短さです。当初の予定では5日に入院して8日に退院という3泊4日でした。カテーテルとはいえ心臓の手術です。その心臓の手術をたったの3泊4日で終えようというのですから驚きです。ですが、今の時代はこれが普通のようでした。
 病院で指定された日にちの時間に入院の手続をしますと、すぐに検査をして翌日の手術の準備に入りました。入院した日に担当医師の説明がありましたが、その説明はあくまであとから問題が起きないようにするためのものでした。
 それは説明をしているときの医師の説明の仕方でわかります。同意書を見せながら説明するのですが、わざわざ重要な言葉にはボールペンで下線を引いたり囲ったりなど、説明した跡が残るようにしていました。
 手術の前日にやるべきことはいろいろありますが、そのひとつに剃毛があります。カテーテル検査のときもやりましたが、今回の手術ではもう少し広範囲に剃毛する必要がありました。理由は、足の付け根から入れる針の本数が検査のときは1本だったのですが、手術のときは3本と増えるからです。また、位置も少し中央寄りになっていたように思います。因みに、検査では手首だった箇所が手術では肩のところに変わっていました。
 さて、手術室に入る段階では手術用のガウンの下は紙でできたちっちゃなパンツだけです。その紙のパンツも横が紐ですのですぐに剥ぎ取られてしまう代物です。そんな顕な格好で手術台に上りました。
 先生に言われるままに横になりますとガウンは取られ紙パンツも同じです。素っ裸になった身体にちょっと堅めの掛け布団のようなものがあてがわれました。もちろん針を刺す箇所だけはくりぬかれているような形状でした。
 いよいよ手術が始まりますと、あとは緊張していてあまり記憶はありませんでした。但し、局部麻酔ですので先生たちの会話ははっきりと聞こえますし、身体の触っている箇所もわかります。
 検査のときはカテーテルが入っていく感じも、どのあたりを進んでいるかもなんとなく感じることができました。しかし、手術のときはそれを感じることができませんでした。僕が緊張していたからかどうかわかりませんが、違いがあったように思います。
 今回の手術の正しい名称はカテーテルアブレーションというのですが、アブレーションとは焼灼という意味だそうです。つまり「焼く」わけです。不整脈を起こす原因となっている組織を「焼く」ことで不整脈を治療しようとする方法です。
 ですから、手術中に先生同士の会話に「焼く箇所」について話し合っているような言葉のやり取りがありました。それがあまりに多いのが気になっていましたが、術後の先生の話では「焼く」範囲が予想していたものより広かったそうです。最初の予定では午後1時から始まり早ければ3時前に終わるはずでしたが、終わったのは5時前でした。やはり範囲が広かった分、時間がかかったようでした。
 手術が終わりますと、あとは針を挿入したところから出血しないことだけに注意を払い、安静にしている必要がありました。ですから、術後6時間くらいは絶対安静です。しかし、それが過ぎると通常の生活ができるのです。食事もできますし、歩行もできます。
 僕が入院とか病気になって一番心配になるのはトイレです。人間、トイレに自分で行けないことほど哀しいことはありません。今回もそれをとても心配していたのですが、そうした事態にならずに済みとても安堵しています。絶対安静がわずか6時間で済んだことをとてもうれしく思いました。
 手術日の翌日、朝も元気でお昼も元気で午後3時頃も元気に過ごしていました。その間、担当の先生と今後の治療法について話したりなどなんの問題もなく過ごしていたのですが、午後4時頃に異変が起きました。
 なんか胃の辺りがムカムカしはじめてきました。痛いわけではないのですが、吐きそうな気分になってきたのです。すると、今度は呼吸が苦しくなってきました。僕は呼吸が苦しくなると横になっているのさえ辛くなります。次第に、咳が出始めました。さすがにすぐにナースコールを押しますと、担当の看護師さんがやってきました。僕の苦しそうな表情を見てすぐに先生を呼んでくれました。
 僕は入院中はずっと心電図をつけていました。この心電図はものすごく優れもので僕の心臓の動きを逐一ナースセンターに送信していました。かけつけてくれた先生は僕の心電図の様子を確認してから来たようで、心臓に異変は起きてないことを告げました。そして、少し考えてから先生は「呼吸だな」といい呼吸系等の治療の準備を始めました。しかし、僕の症状が落ち着く様子がありませんでしたので、そのまま個室への移動が決まりました。
 個室に移動しますと、徹底的に呼吸器系統の治療です。鼻から酸素をすったり口にマスクを当てたりと看護師が2~3人つきっきりになり治療が行なわれました。
 このような想定外のことが起こりましたので僕の退院が延期されたわけですが、体調が悪くなった日の夜には体調が回復していました。結局、体調が悪化した原因は、手術によるストレスで持病の喘息がぶり返されたということで落ち着きました。
 まだ通院は続きますが、今後どなたかのお役に立つようなことがありましたら、ご報告したいと思います。僕の人生はまだまだ続きます…。
 じゃ、また。




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