<新宿の女と大阪で生まれた女>

pressココロ上




 1週間入院していましたが、その間は規則正しい生活をしていました。消灯は午後9時で起床は午前6時です。朝6時に起きるのはさほど苦痛ではありませんでした。しかし、午後9時に寝るのはかなり辛いものがあります。
 そんな早い時間になんて寝られないです…。
 もちろん消灯ですからテレビをつけるわけにもいきません。ですから、ラジオを聴くことにしました。僕が入院した病棟は21階建てで病室は7階です。それほど高いところですのでラジオの受信状態は良好のように想像していました。7月に入院した病院のときは8階の病室で、どこのチャンネルもきれいに受信していたからです。
 しかし、残念なことに新しい病棟は受信状態が芳しくありませんでした。「芳しくない」どころかほとんど聴こえてこないのです。周りを高層ビルで囲まれているからかもしれませんが、FMもAMもほぼ全ての局がMCの声や楽曲よりも雑音のほうが大きいのです。そんな中、かろうじて音声が聴こえてきたのが、オールナイトニッポンでした。
 僕がラジオの局の中で一番好きなのはTBSです。ラジオをつけるときはほとんど無意識といっていいくらいTBSにチャンネルを合わせています。これ!といった理由はありません。「無意識」と書いたように、自然とチャンネルを合わせてしまうのでした。小さい頃からTBSに親しんでいたことが理由だと思います。
 こんな僕なのに聴くことができるのはオールナイトニッポンだけです。僕は仕方なくオールナイトニッポンを聴くことにしました。
 ところが、意外とつまらなくないのです。夜の時間帯は「ゆず」や「アルフィーの坂崎さんと吉田拓郎さん」などが出演する帯番組がありましたし、早朝から昼間にかけてもTBSにひけをとらないだけの情報番組が流れていました。「食わず嫌い」とはこのことをいうのかもしれません。
 僕はこのようなラジオライフを送っていたのですが、ある日の午後、とても懐かしい曲が流れてきました。BOROの「大阪で生まれた女」です。それで、僕は思い出しました。
 僕は、入院する前に暇さえあれば聴いていた歌がありました。それは藤圭子さんの「新宿の女」です。きっかけはもちろん藤さんの訃報に接したことですが、最初に聴いていた歌は「圭子の夢は夜開く」です。「15、16、17と私の人生暗かった~♪」のあの歌です。その流れで「新宿の女」も聴くことになったのですが、僕はこの歌詞に心が魅了されました。新宿の女はとてもかわいそうな女の人なんです。
♪私が男になれたなら 私は女を捨てないわ
♪ネオン暮らしの女には 優しい言葉が染みるのよ
♪ばかだなぁ ばかだなぁ~
 この歌を小声で口ずさみながら僕は考えました。「新宿の女」と「大阪で生まれた女」、いったいどちらがかわいそう…。
 なにしろ、入院しているときはやることがありません。
 さて、この両者、ご存じない方のほうが多いでしょう。どちらもとても古い曲です。新しいほうである「大阪で生まれた女」でさえリリースされたのは34年も前の1979年です。「新宿の女」に至っては1969年と44年も前です。今の若い方がご存知のはずがありません。因みに、「大阪…」はBOROさんの作詞作曲で、「新宿…」は石坂まさおさん作詞作曲です。
 歌詞の内容を説明いたします。
 「新宿の女」は新宿でホステスをしている女性の心情を綴った歌です。騙されても騙されても、自分のことを「ばかだなぁ、ばかだなぁ」と嘲笑しながら、結局は嘘つき男性と別れられない女性です。僕なんか、この女性を見ていてかわいそうでかわいそうで涙が止まりません。男の人はもっと女性に誠意を持って接すればいいのに…、とこの歌を聴くたびに思ってしまいます。
 「大阪で生まれた女」は青春を一緒に過ごした彼氏が東京に出て行くお話です。やはり日本の中枢は東京です。政治でも経済でも東京が中心です。東京に出て成功しなければ男じゃない。だから、さんまさんも伸助さんも鶴瓶さんもダウンタウンもナインティナインも東京へ進出してきました。イチローやダルビッシュが大リーグに渡ったのも同じです。野球の東京が大リーグでした。
 「大阪で生まれた女」はそんな野心がある彼氏についていけない女性です。女性にはそこまでの度胸もありませんし行動力もありません。女性は別れるしかないのでしょうか…。
 しかし、2番の歌詞には女性が決断する姿が描かれています。「東京へ行こう。彼氏について行こう」。そう決断させたのは彼氏と別れたあとの自分の姿を想像したからでした。勇気も自信もない彼女ですが、それでも彼氏についていくことを決断させるだけの愛情が彼女にはあったのです。
 それにしても、彼女を置いてでも東京に行こうとしていた彼氏は冷たい人です。
 いよいよ朝の連続ドラマ「あまちゃん」が最終週を迎えます。TBS「半沢直樹」が無理やり視聴率を上げようとなりふり構わない宣伝活動をしているのと対照的に、「あまちゃん」は普段どおりに最終週を迎えようとしています。そんな自然な対応は、見ていて心地よさを感じます。
 TBSは日本テレビの「家政婦のミタ」の記録更新を狙っているようですが、幹部の方々は勘違いをしているように思います。大切なのは、視聴率という数字ではありません。どれだけ見ている人の心に記憶されるかです。以前、吉田拓郎さんが言っていました。
「いい歌っていうのは売れた枚数じゃないんだよな。どれだけあとあとまで残るかだ」
 もちろん、残るのは数字ではなく内容でなければいけません。
 アキの行動を振り返りますと、アキは都会から北陸という地方に行き、その地方から東京に旅立ち、そしてまた地方に戻っています。アキは、生きる場所を変えることを厭わない性格ですが、それぞれの場所で常に成長しています。たくさんの人たちと出会いながら成長しています。人は、成長するとき必ず傷ついています。傷つかずに成長することはあり得ません。傷つくことで人は成長することができます。
 アキは周りの人たちを笑顔にします。明るくします。本当のアイドルとはそういう存在なのかもしれません。アキがアイドルを目指すのは注目されたいからではありません。ましてや賞賛されたいからでもありません。アキは周りの人たちの笑顔を見たいからです。
 だから、華やかな東京という場所でアイドルになるのではなく、北陸という地方の地味な場所でアイドルになる道を選びます。そこには自分が幸せになることを目標とするのではなく、周りが幸せになることに喜びを感じる女性がいます。
 AKB48を見ていますと、社会の縮図を見ているようです。メンバーたちは常に競争に晒されています。センターを獲得するために競争しています。ひとつでも順位を上げようともがいています。人生に運と不運はつきものですが、それさえも競争に晒そうとしています。じゃんけんという運だけで決まるゲームにまで競争を持ち込んでいます。
 みんながセンターの位置に立てるわけではありません。そして、センターに立つことだけが幸せなことでもないはずです。地元に帰る道を選んだアキはそれを教えてくれています。そのことを悟ったミズタクも北陸に戻っていきました。
 クドカンはAKB48をはじめとした競争に駆り立てている今の社会を風刺する意図があるように思えて仕方ありません。競争であくせくしている社会が健全で豊かな社会であるはずがありません。
 さて、新宿の女と大阪で生まれた女。かわいそうなのは新宿の女です。なぜなら新宿というひとつの場所から動けないでいるからです。自分で自分を縛っていることに気がついていないからです。
 でもね。だからといって不幸とは限りません。新宿の女にとってはそれが幸せを感じることかもしれないからです。トルストイは気がついていませんでしたが、人には人の数だけ幸せの形があるのです。
 じぇ、また。




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