<本音>

pressココロ上




あっという間に選挙モードに突入した日本列島です。本当に驚きで先週の週明けに仕事に向かう車の中で突如耳にしました。前日までは選挙などという報道は全くありませんでしたので「唐突な」印象がありますが、背景を解説する評論家の話を聞いていますと、今のタイミングが「なるほど」とも思います。
森友・家計学園問題で凋落した人気がようやっと回復して支持率が不支持率を上回った状態になり、民進党は離党者が続き党内がゴタゴタし、小池新党の体制がまだ整っていない、という今の状況から考えて「今しかない!」と思ったようです。それしか、解散する理由は見当たりません。なにしろわずか1ヶ月前に「仕事人内閣」を作ったばかりなのですから、「任命してすぐに解散」では閣僚に就任した「仕事人」の方々に失礼というものです。
実は、僕は河野太郎外務大臣にとても期待していました。官僚におんぶにだっこの名ばかり政治家ではない本当の政治家が就任したと喜んでいました。本来、河野氏は小泉元首相ばりに「今の自民党をぶっ壊す!」という考えの自民党員です。つまり、安倍首相とは考え方が違う立場の政治家でしたので、その河野氏を大臣に据えたのが不思議に思えていました。しかし、もし本当に解散が行われるのであれば、河野氏を大臣に任命した理由がわかるような気がします。解散を織り込み済みで大臣に任命したのではないかと勘繰ってしまいます。
それはともかく、総選挙が現実になったときは国民は棄権などすることなく国民の自由を制限するような政治にならないように一票を投じることが大切です。
安倍首相の一連の行動に不安を感じるのは、安倍首相が独裁政治家がよく使う政治手法を取っているように見えるからです。その政治手法とは「外敵の不安を煽って自らの地位を確立する」手法です。先に安倍首相が解散を決めた理由を幾つか書きましたが、あと一つ重要な理由があります。それは外敵の脅威の存在です。今の状態がまさにそれに当てはまっています。言うまでもなく北朝鮮ですが、これまで今ほど北朝鮮との関係が緊張している状態はありませんでした。しかも、米国はトランプ大統領という実力行使も厭わない過激な考え方の持ち主です。そうしたことも相まって北朝鮮との関係により強い緊張感を作り出そうとしているようにも映ります。僕からしますと、この手法は禁じ手です。国民の冷静な判断を誤らせる政治手法です。国民はこの手法に乗せられないように注意する必要があります。
そうは言いながらも、僕は「話し合い」だけの外交手法に疑問を持ってもいます。トランプ大統領が国連で北朝鮮を批難した演説の中で拉致被害者である横田めぐみさんについて触れました。これを受けてお母さまである早苗さんが会見で「期待」を表明し、「チャンス」とも話していたそうです。
自国の人間が外国に拉致されて傍観しているのでは国家として失格です。国家には国民を守る義務があります。これまで日本は拉致被害者を「話し合い」で救い出そうとしてきました。こうした手法は武力に反対する人々からは平和的でかつ建設的な対応として支持されてきました。しかし、拉致された当人や家族の方々にしてみますと納得できるやり方ではなかったはずです。
もし、そうした事態が自分の身に起こったのであったなら武力を持ってでも取り返してほしいと誰でも思うはずです。トランプ大統領の国連演説のあとにすぐに横田さんのお母様が会見を開いたのもそのような思いが入っていたのではないでしょうか。
お気づきの方も多いでしょうが、マスコミは定期的に拉致被害者に関する報道を行っています。こうした対応に対して僕はマスコミの良心を感じていますが、拉致されて帰って来た被害者の方々の活動からも同様の気持ちを感じています。北朝鮮に拉致されている人がまだたくさん残されているという事実を風化させないように皆さんが活動している姿は本当に尊敬しています。
そうであるだけにすぐに会見を開き「チャンス」と話した横田さんのお母様の気持ちを考えるとき「話し合い」から圧力への転換を国連で訴えた安倍首相の演説もある程度は理解できます。それでも、それを政局に利用するのは禁じ手です。横田さんにしてみますと、力づくでも娘を取り戻してほしいと思うのは当然です。ですが、そうした感情的な気持ちを政治に利用するのは良心的な政治家はやってはいけないことです。
ちょうど1年前に「感動ポルノ」という題名でコラムを書きましたが、憶えている人も少ないでしょうから「感動ポルノ」の意味について再度引用いたします。
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感動ポルノ(原語:Inspiration Porn)とは自身も障害者であるジャーナリストのステラ・ヤング氏が作った造語である。
この場合の「ポルノ」とは「『感動』という快感を煽り立てるための消費対象としてのみ利用されていること」ことを強調するためにあえて「ポルノ」という表現を用いており、本来の意味である「性的な興奮を起こさせる」という意味は含まれていない。
簡単に言えば「障害者を非障害者の利益のために活用し、健常者を良い気分にさせるために障害者を利用対象としてモノ扱いする」という行為である。
「障害者は可哀そう」といった視点から、「何もできない・うまくいかないからこそ健常者と同じことをしてもらい、達成したことへの感動」といったように善意から障害者を下に見ているといっても差し支えない姿勢が問題になっており、清く正しい障害者としてのイメージを植え付け、感動を押し付けることへの問題点が表面化してきたともいえる。
(ニコニコ辞典より引用)
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「感動ポルノ」が通用するのはそれを受け止める人がいるからです。表面的なことだけではなく、その内面にまで考えを巡らせるなら「感動ポルノ」という現象は起きません。政治の世界も同様で表面的なことを強調して、それを利用して感情に任せて選択を迫るような政治家の言うことは疑ってみることが大切です。
安倍首相は北朝鮮の脅威を利用して憲法改正までをも目論んでいるようにも感じられます。実は、僕は自衛隊を憲法に明記することに賛成なのですが、今の時期にそれを訴えるのは支持できません。やるからには正面から堂々と行うのが良心的な政治家の矜持というものです。
じゃ、また。




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