<時代を作る人々>

pressココロ上




今週の題名は<時代を作る人々>ですが、この題名はやはり先週迎えた終戦記念日に関連して決めました。この時期になりますと、ニュース番組などで戦争に関する特集を組むのが常ですが、それを見るたびに思ってしまいます。
「なぜ、誰もが反対する戦争をしてしまったのか」
戦争はいけない、とわかっていてもやってしまった戦争。しかし、当時は「戦争を美化する風潮があった」わけです。戦争に行く兵士を「バンザーイ」と送り出していたのですから…。当時の人々は言うでしょう。
「そういう時代だった」と。
当時、大っぴらに「戦争反対」などと叫んだなら地域では生きていけなかったようです。例え心の中では思っていてもそれを口に出して言うことができなかったのです。そのような雰囲気が満ち溢れていた時代でした。そこで私は考えます。
では、そのような雰囲気にしたのは誰でしょう?
それは紛れもなく当時生きていた人々です。「そういう時代だった」という「時代」を作ったのは「その時代に生きていた」人々です。今現在であるなら、今の時代を作っているのは私であり、あなたです。今生きている私たち大人の人々です。
…とここまで、堅苦しい文章を書いてきました。一読するとまるで私が社会に警笛をならす立派な人間のようですが、決してそうではありません。私は学者でもなければ、評論家でも、知識人でも、思想家でもありません。ごくごく平凡に社会の底辺に近いところで50年生きてきた一人の人間にすぎません。ですので戦争について研究したこともなければ特別に勉強したこともありません。ただ生きることに精一杯で人生を過ごしてきただけの人間です。
そんな私が戦争という大きなテーマについて書くことに気が引ける気持ちもありますが、戦争特集番組を見ていてついつい気分が高揚してしまい書いてしまっています。違和感を持つ方もいらっしゃるでしょうが、あくまでこのコラム(ブログ)は「独り言」を書くコーナーですの何卒、お許しを…。
ニュース23で残留兵士について報じていました。戦争が終わったあとも帰国せず現地に残った兵士の方でした。現地に残った理由は、戦争の途中で兵士としての任務を放棄したために帰国できなかったのです。もし帰国したなら地域の人々から冷たい視線を向けられ生きていけなかったからです。番組では対照的な二人の兵士に取材していましたが、私はそのうちの一人の兵士に好感を持ちました。
その方は90才近い年令でしたが、戦争が終わったあとも現地で生きるか死ぬかの生活を送っていたそうです。そのような自分の過去や出来事を全て背負い込み受け止めているように感じました。達観している印象を持ちました。
その方が言った言葉。
「自分の人生はつまらない人生だった。あっちへ逃げこっちに逃げ」
「でも自分だけではない。あの時代は皆がそうだったから仕方がない。時代がそうさせたのだ」
「時代がそうさせた」。実は、この言葉が今週のコラムの題名を思いつかせました。
今から7~8年前でしょうか。40才を少し過ぎた頃に知った言葉があります。それこそ知識人や評論家の方々ならもっと若い年令に知っていたのかもしれません。そのような方々には常識なのかもしれませんが、私は中年になって初めて知りました。
「無知の罪」
これは映画監督の伊丹十三氏の父・伊丹万作という方が「戦争を総括する」意味で書いた随想に書かれていた言葉です。戦争を引き起こした大元の原因は「日本人全員にある」という内容で、当時は大きな議論を巻き起こしたそうです。
私はこの言葉がとても印象に残り、以降自分の考えの基本になってしまっています。ラーメン体験記にも似たような言葉を使っていますのでお読みになった方は思い当たる方もいらっしゃるでしょう。「知らなかった」ということは「免罪符にならない」ということですが、「無知に罪」という言葉は私の心にストンと落ちました。
以前、自分のサイトはどいういう人が見ているだろうか、とこのコラムで書いたことがあります。その後、解析ツールも導入したりしてみましたが、年令などまではわかりませんでした。しかし、サイトに貼っている広告のクリック状況からある程度予想することはきます。
クリック状況から察しますと、若い方が多いようです。たぶん、20~30才代の方々ではないでしょうか。このことも今回「戦争について書きたい」と思った動機です。テレビでの街角インタビューなどを見ていますと、若い方々が戦争についての意識や関心、興味がないことがとても心配だったからです。私のような素人が考える意見が若い人が戦争について考えるきっかけになってほしい、と思うからです。知識人や専門家が言うよりはとっつきやすいのではないでしょうか。
若い方々が「戦争に関心がない」ことは心配の種ではありますが、実はそのことが全て悪いとも思ってもいません。それは、あまり若いうちに一つの考えに凝り固まってしまうと正確な判断ができなくなる、と思うからです。若いうちに偏った考えを持ってしまったとき、そのほかのいろいろな考えを知る機会を逸してしまうことがときとしてあります。例えば、オウム真理教の信者たちはその一例です。犯罪者である教祖の言うことが全てである、と思った信者はほかの考えを受け入れることができませんでした。もし、もっと柔らかい頭であったなら信者の方々は不幸にならずに済んだと思います。
戦争は賛成ですか? と聞かれたならほとんどの人が「反対です」と答えるでしょう。では、
「どこからか攻撃をされたら、侵略をされたらそれでも戦いませんか?」
と質問されたなら、あなたはなんと答えるのでしょう。それでも
「戦争に反対だから戦わない」と答える人もいるでしょうし、
「侵略されたらたまらないから戦う」と言う人もいるでしょう。中には
「米国が守ってくれる」と答える人もいるのではないでしょうか。理性的な人は
「戦争になる前に話し合いで解決する」と言うかもしれません。さらに楽観的に
「そもそも攻撃などされない、侵略などされない」と言う人がいても不思議ではありません。

このコラムを読んでくださっている若い方々の皆さん。是非とも考えてください。いろいろな角度から考えてください。机上の空論にならないように考えてください。以前、プチアビリトで「老人が全て賢者とは限らない」という言葉を紹介したことがありますが、老人にもいろいろな意見を持つ人がいます。
昨年まで私は大手企業に勤める私と同年齢の管理職の方と話す機会が多々ありました。大手企業ですからエリート中のエリートと言えます。その方と話をしていて私はいつも感じていました。世に生まれてきて同じ年月を過ごしてきてもこれほど「考えが違う」もんだなぁ、と。たぶん、相手の方も私と同じように感じていたのではないでしょうか。
このように人間はいろいろな考えを持った人がいます。若い方々はそれらの考えを知り、それらを単純に受け入れるのではなく、そして流されるのではなく自分の考えを作ってください。そして時代を作ってください。
最後に、私の最も根底にある意見を書きます。
「どんな社会になっても構わないけど『自由』が制限される社会にだけはなってはいけない」です。そして過去にプチアビリトで紹介した言葉で締めくくりたい、と思います。
「自由とは、常に思想を異にする者の自由である」
…というわけで今週は堅いコラムになりました。あー、すっきりしたぁ。心のモヤモヤがとれたー。
ところで…。
私は今、通勤に電車を利用していますので定期を購入しています。先日、定期の期限が近づいていましたので新たに購入することにしました。昨年、数十年ぶりに定期を購入したのですがその機械化には驚かされました。昔、定期を購入するには申込書に記入するなど手続きが猥雑でした。しかし今では機械のボタン操作だけで定期券購入が完了するのですから便利な時代になったものです。
その日は仕事帰りだったのですが、定期の購入もすでに何度目かですので慣れたものです。と言いましても私は妻がボタンを押しているのを見ているだけですが…。
妻が操作をしていますと私に言いました。
「あっ。お金はあなたのバックに入ってるから出して」
妻は機械の操作をはじめていましたので私をせかせました。僕も急に言われたので焦ってしまい、お金が入っている袋を取り出すことに手間取っていました。すると妻は苛立ったように言いました。
「ちょっと、早く。あとはお金を入れるだけだから」
こう言われると僕としては余計焦ってしまいなかなか袋が探し出せません。それを見ていた妻は「我慢できない」という感じで私のバックの中を覗きこみました。その間、機械の操作は途中で止まったままでしたので妻はかなり焦っています。妻がバックの中に手を入れ探していると、声がしました。それも冷たい女の人の声が…。そして声の主はこう言ったのです。
「お金、お金、お金、………」
なんと驚いたことに声の主は機械だったのです。しかも「お金を入れてください」などという丁寧な言葉使いではなく単に「お金」という言葉だけを連呼したのでした。
「お金、お金、お金、………」
妻がお金の入った袋を探し出しお金を入れてやっと「お金」請求の声は止まり無事に定期券を購入することができました。よかった。でも、んーん、なんか不思議な気分。
それにしても「お金」という言葉しか言わせてもらえない機械はかわいそうです。機械にはそれ以外の言葉を発する自由がないからです。あー、人間に生まれてよかった。
「じゃ、また」の前に追伸。本日8月19日は僕の○○回目の誕生日でした。皆さん、心の中で祝ってやってください。
じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!




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