<広告の品格>

pressココロ上




 ある日、妻が新聞の折込広告を見ながら僕に聞こえるか聞こえないかの声で呟きました。
「これ、ホントかな…」
 しばらくすると広告を手にして僕に向かって言いました。
「ねぇ、これ買って!」
 この半ば命令的な口調のお願いに僕が反対できるはずもありません。僕は広告を見ました。そこには妻にとって魅力的な言葉が並んでいました。
「あなたの夢が実現! 70㎏ → 50㎏へ」
 そうです。多くの女性が願ってやまない「痩せる」ための広告でした。
 広告によると「上下のウェアを着ているだけで痩せることができる」というものでした。その理由はあの米国のNASA(国立航空宇宙局)が開発した素材で作られているから、というものでした。広告には一般のウェアとの違いを強調した絵まで載せてあり、つまりは発汗作用が著しく高いようでした。
 広告の大きさはB4くらいで表裏にカラー写真とともに体験談が載っています。写真は40才くらいの女性の「体験前と体験後」が載せてあり、体験後のすばらしいプロポーションの水着姿が大きく写っていました。僕は「う~ん」と言いながら、広告の水着女性の顔に妻の顔を重ね合わせていました。…価格、13,500円也。
 グッドウィルなど派遣会社が派遣社員の給与から「データ装備費」として半強制的に天引きしていたことが問題になっています。派遣社員たちが返還を求めて訴訟まで起こしていますが、当然のことと思います。
 そもそも会社運営のための「データ装備費」という経費を社員に負担させること自体が問題です。もし、会社が「データ装備費」を必要とするなら最初から「データ装備費」の分を差し引いた給与の額を示すのが本来のあり方です。少しでも給与を高く見せようという意図は派遣社員を欺くものと言ってもよいでしょう。また、広告と実際の給与に違いがあったのですから広告会社にも一定の責任があってしかるべきです。
 私が初めて社会人になった企業はスーパーでしたが、新人研修のあと配属先が決まったあとのできごとです。
 ある精肉部門に配属された新入社員は、仕事で使用する長靴を「自己負担で購入しなければならない」ことを知らされその場で退職してしまいました。僕は心の中で拍手喝采を叫んでいました。彼は「自腹を切る」ことが嫌なのではなく、企業の姿勢に憤りを感じたのだと思います。私も同感です。そのような企業で「一生働きたい」などとは思うはずもありません。
 数ヶ月前のドキュメンタリー番組では、広告求人誌に載っていた派遣会社の募集を見て東北から上京してきた中年の男性が募集内容と実際の内容が違うことに抗議し派遣会社と戦っている様子が放映されていました。また、同じようにして沖縄から上京してきた二十歳前後の若者が求人誌に載っている給与と実際の給与が違うことに抗議をして戦っている姿も放映されていました。このようなことが横行している社会は人々の心を荒廃させてしまいます。
 私は経営者の自伝を読むのが好きですが、以前読んだ自伝に大手派遣会社の女性社長の本があります。自伝には女性社長の起業当初の苦労が書かれており、そのエピソードを読みますと、社長の「企業と労働者のミスマッチを解消したい」という純粋な気持ちが伝わってきました。それを忘れたかのような最近の派遣会社の横暴さは派遣会社としての社会的使命・責任・役目を忘れたかのように映ってしまいます。派遣会社は初心に戻ってほしいものです。
 同様に反省してほしいのは広告会社です。広告会社は掲載する企業から広告料をもらうわけですから、掲載企業に「頭が上がらない」のもわかります。しかし、広告会社にも社会的使命・責任があるのですから、掲載企業に言われるがままに広告を載せるのでは派遣会社と同罪です。
 企業と労働者の間に立つ求人広告誌は正確な情報を労働者に提供する義務があります。もしその義務を果たさないなら、いかに無料とは言え誰も求人広告を読まなくなってしまうでしょう。そのような求人広告誌が生き延びることは難しくなるはずです。
 2ヶ月ほど前、北海道ミートコープ社による牛肉偽装事件がありました。そのときのスーパーなど小売業は「関連商品を撤去する」という対応をとりました。メーカーと消費者の間に立つ小売業は「消費者に安全で安心できる商品を提供する義務」があるからです。一昔前ですと、このような対応はとりませんでしたが、時代の流れとともに成熟した業種の証となるものです。
 このように書きますと、小売業は「消費者からお金をもらっている」が、広告求人誌は「掲載企業からお金をもらっている」のだから仕方がない、と反論がきそうです。しかし、「お金さえもらえればなにをしてよい」というのではそのような企業は存続できないでしょう。昔ならいざ知らず、現代社会において企業の社会的責任を無視して生きていくことは困難です。それは求人広告誌も同様です。
 今のところ、求人広告会社の責任を問う声はあまり聞こえてきませんが、なにかのきっかけさえあればいつ爆発するかもしれません。「モノ」ではなく「情報」を売る広告業。その情報に責任を持つことは広告会社の最低モラルです。広告にも品格があってしかるべきです。
 「痩せるためのウェア」に申し込んで約1ヶ月後、やっと商品が届きました。申し込んでからかなりの日数が経っていましたので妻は諦めていたようでした。申し込みが多すぎて売り切れになったのかも、と話していました。
 その商品が届いたのですから、期待はいやがうえにも盛り上がります。
 届いた箱はたて30cm横20cm高さ10cmほどの大きさでした。妻はニコニコしながら取り出しました。黒い上下に分かれたウェアです。妻がウェアを広げますと、上は七分袖のインナーのような形でした。下は膝上の、ちょうど競輪選手が穿いているようなハーフパンツでした。
 早速、妻は着てみました。それを見て僕は尋ねました。
「どう?」
「うん、生地に弾力性があって締め付ける感じがする。なんかいい」
 それはそうです。なにしろ米国のNASA(国立航空宇宙局)が開発した素材で作られているスーツなのですから…。僕は「NASAスーツ」と名づけました。
 それ以来、妻は毎日着ていました。どんなに暑い日であろうが、大粒の汗を垂らしながら着ていました。
 一週間後、僕は尋ねました。
「どう? 少しは痩せた?」
 正直、僕の目には「妻の体型」に変化は見られませんでした。しかし、見た目は変わらなくても体重は減っている可能性もあります。妻が答えました。
「ううん、まだ変わんない。でもこういうのは時間がかかるから少しずつ…少しずつ…ネ」
 それから一週間。妻はあの暑いさ中、やはり大粒の汗を垂らせながら着続けていました。僕などはTシャツ一枚でも汗が噴き出てTシャツさえも脱ぎたいくらいでした。それでも妻はNASAスーツを着続けていました。また、僕は妻に尋ねました。
「どう? 痩せた?」
 妻の答えは前回と同じでした。
 そうこうするうちに約1カ月が過ぎました。それでも僕の目には「妻の体型」に変化はないように映りました。
 そんなある日の夜、僕が新聞を読んでいますと妻が話しかけてきました。妻を見ますとNASAスーツを着こんでいました。そして肩口のあたりをいじりながら言いました。
「あのね、ここの縫い目の糸がほつれてきた」
 なんと、たった一ヶ月で袖と胴体の縫い目が破れてきたのでした。妻もちょっとショックを受けたようでした。
 それから一週間後、僕が布団に入り寝る態勢になっていると妻がNASAスーツの姿で話しかけてきました。今度はお尻のあたりを触っています。
「あのね。このパンツ、縫い目が切れていつも座る部分の生地が磨り減ってきたのよね…」
 
 …僕は発見をしました。NASAの素材は宇宙での活動には耐えられるだけの機能があるけれども、地球の日本での日常での活動には耐えられないのでした。
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!




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