先週のコラムで、「江川投手について書くつもりでしたが、予定を変更して『立憲民主党』を書くことにしました」と書きましたが、今週は先週の予定通り「江川投手」について書きたいと思います。先週少し触れましたが、僕が江川投手について書きたいと思った理由はYouTubeでスポーツ関連のチャンネルを見ていますと、必ずと言っていいほどおすすめチャンネルに「江川投手の凄さ」について語るチャンネルが紹介されるからです。それも半端な量ではなく、本当にいろいろな元プロ野球選手が「江川投手の凄さ」について語っていました。
先日西武球場で、元西武ラインズで活躍し、メジャーでは数年間でしたが、活躍した松坂投手の引退セレモニーが行われていました。僕はその光景を見ながら、「ライオンズは偉いなぁ」と思いました。僕がそう思ったのは、松坂投手がメジャーから日本に戻ってきたときライオンズではなくソフトバンクに行き、その後中日に行き、そして現役として最後の最後になるであろう時期に、西武に復帰する道を開いていたからです。結局、結果を残すことができなかったのですが、それにもかかわらず引退セレモニーを開催してあげたからです。
ご存じのように中日では全く活躍できていないどころか、まともに投げてもいません。誰がどう考えても投手としては使えない状態とわかっていながら獲得しました。そのうえフロントは「期待している」というコメントまで出していました。そして、引退セレモニーまでしてあげているのです。こうした一連の動きを見ていますと、ライオンズという球団の選手に対する思いやり、配慮の姿勢に感激せずにはいられません。
松坂投手の獲得を決めたのはゼネラルマネージャー(GM)を務めている渡辺久信氏ですが、そもそも論で言いますと、渡辺氏をGMに就任させたこと自体に、球団としての姿勢の素晴らしさを感じました。渡辺氏は1980年代後半に西武でエースとして活躍した投手ですが、苦労人でもあります。誰しもスポーツ選手は肉体的に衰えがきますのでピークを過ぎたあとは苦労します。例に漏れず、渡辺氏も現役を続けられる場所を求めて台湾にまで行っているのですが、そうした苦労しているときの経験が現在につながっているのは間違いありません。
渡辺氏はそうした苦労を経験しているからこそ、松坂投手の最後の花道を用意するために獲得したのではないでしょうか。渡辺GMが松坂投手を獲得する際に「引退の花道という意味ではない」とわざわざコメントしているのを読み、逆に男気を感じました。もちろん僕の推測ですが、一時代を築いた松坂投手に対する敬意を示す意図だったように想像しています。
推測のついでに言いますと、松坂投手がソフトバンクでほとんど投げてもいない状態であるにもかかわらず、中日が獲得したことも当時の森 繁和監督の男気と思っています。森監督もライオンズで活躍した投手ですが、松坂投手入団したときにコーチをやっていたそうです。当時、どれくらいのつき合いがあったのかはわかりませんが、森監督の松坂投手への心配りを見ていますと、かなり深い絆があるように見えます。
こうしてみて行きますと、松坂投手は先輩の方々に恵まれていることがわかりますが、さらに深く考えますと、西武ライオンズという球団がそうした野球人を育てていたことに根本的な理由があるように思います。そして、そうした野球人を育てた人の経歴を追っていきますと、根本陸男という方にたどり着きます。
この根本陸男さんという方は西武が球団のオーナーになったときの初代の監督ですが、根本氏は監督としてよりもフロントとしての才能に長けていた印象があります。その才能を一言で言いますと、人を見抜く才能です。どんな組織も、そこで働いている人たちが気持ちよく働けることが成功する最低条件です。働いている人たちの精神的な関係性が悪い組織が成功することはあり得ません。
もちろんそれはプロ野球の球団にも当てはまりますが、勝ち負けがはっきり決まるプロ野球というスポーツでは一般の企業よりも顕著に表れます。日々勝負が決まるのですから、それこそ一目瞭然です。監督からコーチ、そして選手という関係が良好でなければ絶対に勝てるチームにはなりません。そして、人間関係を良好にする一番の肝は、上に立つ者の人間性です。人として一本筋が通った人の人間性は所属する組織に間違いなくよい影響を与えます。
その意味で根本氏は球団を統率するトップにふさわしい人物でした。今年のライオンズは下位に甘んじてしまいましたが、一時期は黄金期を迎えた時期もあります。そうした黄金時代を築いたのは根本氏の人間力によるものが大きいと思っています。そうした土壌がその後のライオンズを作ったといっても過言ではありません。
根本氏は、その手腕を買われてライオンズからソフトバンクに移籍しているのですが、現在のソフトバンクの土台を築いたのも根本氏と言っても過言ではありません。このように見て行きますと、現在の華やかなパリーグの土台を作ったのは根本氏と言えなくもないことがわかります。
今でこそ、パ・リーグにも観客が集まるようになっていますが、西武がライオンズのオーナーになる1980年前頃までは、パ・リーグの球場は閑古鳥が鳴いているのが普通でした。それこそどの球場を見てもわずか千人とか2千人といった観客数でした。その理由はパ・リーグのオーナー会社は球団を広告・宣伝の一つとしか考えていなかったからです。野球で利益を出そうなどとは微塵も考えていませんでした。
そうしたパ・リーグの発想を根本から変えさせたのが西武ライオンズでした。そしてその初代監督に就いたのが根本氏で、そしてGM的な仕事を果たすようになっていきます。こうした流れがパリーグ全体の雰囲気をも変えることになり、各球団が集客の重要性を認識し、現在の隆盛へと発展してきました。
現在では、パ・リーグもセ・リーグに劣らないほどの集客力を見せていますが、そのきっかけを作ったのは西武ライオンズです。そして、その後参入したソフトバンクです。この2つの参入がなかったなら、プロ野球界も現在とは違う形になっていた可能性があります。
ソフトバンクの参入は、西武ラインズという先例がありましたので、やりやすかったと思います。そうした意味においても、西武ライオンズはプロ野球会の救世主といえそうですが、プロ野球界への参入を決めたのは西武グループ総帥だった堤義明氏です。
西武グループは堤康次郎氏が一代で築いた大企業ですが、康次郎氏には兄・清二氏と弟・義明氏という二人の男の子がいました。鉄道部門を義明氏が受け継ぎ、百貨店部門を清二氏が引き継いだのですが、鉄道部門と百貨店部門では、規模も格も全く違い鉄道部門のほうが大々的に展開していました。ですので、本来ですと長兄の清二氏が継ぐのが常識的ですが、そのようにならなかったところに、また大きなドラマがあります。
義明氏は財界人として活躍しており中曽根元首相の重要なブレーンとしても有名でした。しかし、晩年様々なスキャンダルを告発され、一線を退いています。清二氏も一時はセゾングループを大きくし、パルコなどの広告宣伝で一時代を築きましたが、最後は赤字事業の責任をとる形でやはり一線から退いています。
と、ここまで書いてきて思い出しました。今週、僕は「江川卓投手の凄さ」を書き連ねる予定だったのです。しかし、今週の文字数も終わりになってしまいました。つまり、今週も江川氏について書かずにコラムは終わることになります。
いないとは思いますが、江川氏のお話を期待していた読者の方、申し訳ありません。来週こそ江川氏について書く所存でおります。
じゃ、また。