<昔の感覚>

pressココロ上




 僕はお風呂があまり好きではありません。面倒くさいのです。ですので夏になりますとシャワーだけですませてしまいます。でもちゃんとシャンプーもしますしリンスもしますし、ボディソープも使います。シャワーを浴びる時間はだいたい10分くらいでしょうか。とにかく面倒くさいのです。
 しかし「面倒くさい」からと言って頭や身体を何日も洗わないということはありません。暑い日ですと毎日、少なくとも二日に一回は洗います。なぜか。それは「くさく」なるからです。僕の考えでは「面倒くさい」の語源はこれではないかと思っています。
 …てなことを考えながら、先日身体を洗っていましたら僕は重要なことに気がつきました。
 いつものようにナイロンタオルで…。
 実は、僕は妻と結婚するまで身体を洗うときは普通の布のタオルを使っていました。妻は結婚前から布のタオルではくナイロンタオルを使っていましたので試しに僕も使ってみました。驚きでした。布のタオルに比べ泡立ちがとてもよいのです。つまり使いやすいのです。初めて使ったときの感激は忘れられません。「泡立ちがよい」というほかに布のタオルより垢も落ちるような気がしました。
 その日もナイロンタオルにボディソープを表と裏に一押しずつ垂らし揉みました。泡がいっぱいできたのを確認すると、最初に洗うのは耳のうしろ…。
 耳のうしろを洗うのは大切です。普段、自分では見ることもありませんが、他人からはよく見えるところだからです。ヘアースタイルをピシッとキめ、スーツをキチッと着こなしていても耳のうしろが汚れていてはおしゃれも台無しです。
 ついでに言うと…。
 耳毛はおしゃれにとって大敵です。耳毛とは耳の中に生えてくる固い毛です。産毛ではありません。しっかりと太い丈夫な毛です。妻に言わせますと耳毛は「オヤジの象徴」だそうで満員電車で前に立っている人を見るとオヤジと思われる人は皆、耳毛を伸ばし放題にしているそうです。僕は定期的に妻に切らせています。いえ、切っていただいております。ハイ!
 ええ…っと、耳のうしろを洗うと次に首周りを洗います。それから左の腕と手の甲、そして脇の下、胴体全体を洗い、ナイロンタオルを左手に持ち替えて右の腕と甲、脇の下を洗います。
 この時点で気がつかれた方もいるでしょうが、僕は手のひらは洗わないのです。なぜか。僕はヌルヌル感がとても嫌いなのです。あの泡のヌルヌル感が気持ち悪いのです。実を言いますと一時期せっけんと言いますかシャンプーと言いますか、そういった類いを使わずに身体を洗っていました。しかしシャワーだけですませると最後に上がるときに身体を拭いたタオルが黒くなるのです。つまり身体の汚れが落ちていずタオルで拭き取っていることになるのです。そのことに気づいてからせっけん類を使うようになりました。とにかくあの泡のヌルヌル感は気持ち悪いのです。
 上半身を洗うと下半身に向かいます。腰のあたりと大切なアノ部分とそれに連なるお尻のほうを洗うと左足を洗います。太ももから膝裏、脛、ふくらはぎと洗います。そして最後に、ボリボリ掻いた引っかき傷が残る足首、足の甲、踵を洗います。
 足首にある引っかき傷は自分でつけたものです。これは靴下のゴムの部分が痒くてつい掻いてしまいできた傷です。しかし今年は新しい傷はできていません。なぜか。今年からクルーが短い靴下を履いているからです。若い人が履いている足の踝までしかないアノ靴下です。これはとても便利です。ゴムのところが痒くなることはありませんし、短いので履きやすく脱ぎやすいのです。
 左足を洗い終えると右足を同じように洗います。身体を洗う最後の箇所はいつも右足の踵なのですが、その日は踵を洗い終わり屈んだ姿勢でいたときにあることにふと気がついたのでした。
「あっ?」
 今年になり生命保険、損害保険の不祥事が続いております。私も損保業界に身を置いていますので無関心ではいられません。損保では大手二社が業務停止処分を受けていますし、先週は生保の最大手までが「不適切な保険金支払い」という報道がありました。
 かつて、広い意味での金融業界と言える銀行、証券、保険の業界は護送船団方式で運営されていました。その後橋本内閣で金融ビッグバンが起こり護送船団方式も解消されてきつつある中で今年になっても金融業界の不祥事が続いています。私は保険会社と消費者との間に立つ職業ですが、その立場からしますと業界内で働いている正社員の方々はまだ護送船団方式の意識が抜けきれていないように見えます。
 人間は普段の生活で普通に考えたり思ったりしている感覚を疑ったりしないものです。なぜか。その感覚が今までの価値観であり当たり前だからです。そして通常その感覚は見えないところに隠れてしまい見直すことをしません。金融業界で長い間働いている方々も同様のことが言えます。業界内での感覚だけで判断するようになってしまっています。しかし時代の変化とともに感覚も変える必要があります。たまには自分の感覚に目を向け、もし汚れていたなら洗うことが必要です。
 僕は、最後に洗う箇所である右足の踵を洗い終わってからふと気づいたのでした。
「あっ、足の裏を洗ったことがなかった」
 じゃ、また。




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