<T・P・O>

pressココロ上




 ♪♪夏がくれ~ば 思い~出す~♪
 今から約30年前の夏、僕は病院のベッドにいました。盲腸で入院していたのです。普通の盲腸ですと1週間ほどの入院で済むのですが、発見が送れ腹膜炎になってしまい1ヶ月ちょっとの入院生活を余儀なくされていました。
 生まれて初めての入院生活は僕にとって楽しいものでした。それは同部屋になった大人の人たちがいろいろな職業の人だったからです。会社経営者、競輪選手、会社員、鳶職人といった顔ぶれは僕に社会の風を送り込んでくれました。
 競輪選手の人はレース中に転倒、骨折して入院していたのですが、たまに後輩がお見舞いに来ていました。競輪選手の人から、後輩は僕と同い年であり既にレースに出てお金を稼いでいると聞かされたときは少しショックを受けました。自分と同じ年令の人間が自分の力でお金を稼ぎ自立していることへの憧憬に似た気持ちです。なんか自分が情けないような気分になりました。
 会社経営者は60才半ばの人です。穏やかな表情で紳士然とした雰囲気は大きな大人を感じさせました。その方が周りの人によく話していました。
「最後に頼りになるのは夫婦ですよねぇ」
 手術などをして寝たきりで身動きがとれないとき一番困るのはトイレに行けないことです。その方が言うには「下の世話とくに大の処理は奥さんだからこそできる」、そして「してもらえる」ということでした。性に目覚めつつあった僕としては、その意図することをエッチな意味でとらえたりして…、青春の思い出です。
 入院生活も終わりに近づいたある日。
 もう普通に歩くこともでき、健康な人とほとんど変わらない体調になっていました。売店に買い物に行くためにエレベーターに乗っていましたら顔見知りの看護婦さんが二人乗ってきました。二人とも三十代中ごろです。僕は軽く会釈をして立っていますと二人が会話をはじめました。
 僕の入院した病院は総合病院で内科のほかに外科、整形外科、産婦人科などを診療していました。その中でも特に産婦人科に力を入れているようで4フロアーの入院施設のうち2フロアーを産婦人科で占めていたように記憶しています。
 二人の看護婦さんは産婦人科のフロアーから乗ってきました。エレベーターは僕と二人の看護婦さんしかいません。その中での二人の会話です。
「きのう、赤ちゃんが一△△死んだのよ」
「ああ、危ないって言ってたもんね」
 この△△には数を表す単位の言葉が入るのですが、その言葉は人間を数えるときに使う単位ではなく動物を数えるときに使う単位でした。…僕は衝撃を受けました。二人の看護婦さんとは検診などで話をしたこともあり人柄や働きぶりも知っていました。決して患者の人につっけんどんに接したり冷たく話しかけるようなことはなく、いつも笑顔で明るく患者さんに接していました。その姿勢は患者さんたちからもよい評判を得ていました。
 そんな二人がなんのためらいもなく平然と、赤ちゃんを数えるのにふさわしくない単位を使っていることに衝撃を受けたのです。
 特別養護老人ホームの職員が入所者に性的暴言を浴びせた事件が報道されていました。最初の処分が甘すぎると家族から怒りの声が上がり、最終的に苑長を解任、職員もより重い処分になりました。
 私はこの一連の流れを見ていて心に引っかかるものがありました。さきほどの看護婦さんの会話は社会をまだ全く経験していない私に強い衝撃を与えましたが、その後社会に出て働くようになり年令を重ねるにしたがってなんとなくわかった部分もあります。
 私はこのコラムで何度か取り上げていますが、山口県光市の母子殺人事件で遺族である本村洋氏は次の言葉を投げかけました。
「私は知らないあかの他人のために涙は流さない」
 この言葉は裁判に遺族が関われないことへの不当性を訴えたものですが、裏を返せば「あかの他人には感情移入することはできない」とも言っています。例えば、私はテレビニュースなどで残虐な事件を見たとき「ひどいことするな」とは思ってもそれ以上の感情は湧きません。ましてや涙など流すことはありません。ほとんどの人が私と同じ反応しかしないでしょう。
 同じように、もし看護婦さんたちが赤ちゃんが亡くなるたびに感情移入をしていたなら精神的に参ってしまうはずです。だからと言って看護婦さんたちが私の前であの言葉を使ったことを容認するわけではありません。自分たちの仲間内と外を意識することは必要です。営業やサービス業、接客業に従事した人はわかると思いますが、お客様の前では笑顔で丁寧な言葉で接していてもそのお客様が帰ったあとに皆で悪口を言い合った経験はあると思います。
 以前、50才を越えた男性が年老いた親の看護に疲れ果て殺害した、という事件がありました。こうした事件はたびたび起こっています。虐待を通り越し殺害にまで至っていることを考えると、看護がどれほど過酷であるかわかります。実は、今回の虐待報道を知って真っ先に浮かんだのはこうした事件のことでした。そして先ほどの看護婦さんたちの会話が思い出されたのです。
 実の親でさえ殺害してしまうほど辛い介護という仕事。しかしそれを職業としたからには入居者、患者に対して誠心誠意に尽くすことは当然です。間違っても人権を蹂躙するような言動を取ることがあってはいけません。仕事のプロは仲間内と外とで言動をうまく使いわけることが大切な要件のはずです。TPOに合わせた言動を取れてこそ本当の仕事人と言えます。
 それにしても…、あれほど職員に対して怒りを感じる家族の方々はホームに預けるのではなく「自宅で介護しよう」とは考えなかったのかぁ…。
 学生時代に友だちに言われました。
「おまえは余計な一言が多いから社会に出たら気をつけろよ」
 じゃ、また。

紙.gifジャーック!




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