<呼び名>

pressココロ上




 先月、自転車を譲り受けたときの防犯登録手続きについてその顛末をこのコラムに書きました。その経緯の中で交番に行ったのですが、そのとき警察官の人に訊かれました。
「会社員?」
 私は「自営です」と答えましたが、ある記憶が蘇ってきました。
 私は今まで交通違反などで切符を切られたことが幾度かありますが、そのときにいつも「会社員?」と訊かれました。その「訊き方」は決して高圧的なものではなく自然にナニゲな感じですが同じ言葉なのが気になりました。
 一般的には、相手の仕事を訊くときは「ご職業は?」と尋ねると思いますが、当然であるかのように「会社員?」と訊いてくるのには違和感を持ちます。私が出会った警察官の人が偶然同じ言葉を使ったのかもしれませんが心に引っかかるものがあります。世の中で働いている人の割合でいきますと会社員が一番多いのは確かですので「なんの意図」もなく「無意識」のうちに訊いたのかもしれません。しかし、もしかしたら職務質問問答集のようなマニュアルがある可能性も捨て切れません。
 先日、お客様が私に呼びかけました。そのときの言葉は
「ダンナさん」でした。
 ダンナさん…。なんか新鮮な感じがしました。そう言えば仕事中に「ダンナさん」って呼ばれたこと今までないよなぁ…。
 自宅近所の奥さんに「ダンナさん」と呼ばれたことはありますが、仕事中にはないような気がします。仕事の職種にもよりますが、営業の仕事のときは100%「姓」で「○○さん」と呼ばれます。プライベートでもやはり圧倒的に「姓」です。
 次に多い呼び名は「ご主人」です。妻は私のことを全く敬ってはいませんが、一応他人の前では私のことを「主人」と呼んでいることが理由だと思います。男女平等論者の女性には抵抗がある言葉でしょうが、私たち夫婦にとっての「主人」は主従といった上下関係を示すものではなく単なる固有名詞でしかありません。例えば「トイレ」とか「お風呂」とか「洗濯機」と同じような感覚で妻は使っているようです。
 営業の仕事のときは100%「姓」ですが、ラーメン店を営んでいたときは様々でした。パートさんにもいろいろな方がいましたが、私を「どのように呼ぶか」でその人の性格が垣間見えます。
 小さくとも一応、店舗を構えていましたので「店の主人」の意を込めてほとんどの人が「ご主人」と呼んでいました。しかし、中には「主人」という言葉に抵抗があるようで、ほかのパートさんが「ご主人」と呼んでいるのを無視するかのように「姓」で呼ぶことに固執している人もいました。人さまざまです。
 学生アルバイトには「店長」と呼ばれることが多かったのですが、正直に告白しますと当時の私的にはあまりうれしい呼び名ではありませんでした。「店長」という呼び名には言外に「雇われ」というニュアンスが入っているように感じられたからです。「オレは一国一城の主なんだ」というつまらないプライドがあったからです。そんな中、私が一番気に入っていた呼び名は「マスター」でした。この呼び名は学生バイトの一人が使ったのですが、実は、私はそのバイト生が使うまでその呼び名を知りませんでした。初めて呼ばれたとき「なるほど」と思ったものです。「マスター」には私のプライドも満足させかつ実態に即している雰囲気があります。
 ラーメン店に訪れる営業マンが最も多く使った呼び名は「社長」でした。私は法人にはしていませんでしたので正確には社長ではありません。しかし、相手を持ち上げるのが営業マンの仕事ですから「社長」と呼んでいたのでしょう。私としては「気分がいい」気持ちもありましたが、「法人ではないのだからおかしい」とも思っていました。そうは言っても私も営業の仕事では法人かどうかに関わらず独立している相手には「社長」と呼んでいました。やはりそのほうが話がスムーズに進みますから…。
 お客様が私を呼ぶときもいろいろでした。やはり「主人」や「マスター」が多かったのですが、中には「大将」と呼ぶ人もいました。「大将」は「マスター」と同じ響きがあり嫌いではなかったのですが、ビジュアル的に私には似つかわしくないと思っていました。「大将」にはデップリと体格がよく豪快なイメージがありますが、私は正反対だったからです。「大将」と呼ぶ人は居酒屋のノリだったのかもしれません。
 会社の中での呼び名は姓か、もしくは役職名ですから迷う必要はありません。しかし間違って使われると気分はよくないでしょう。部長の役職にある人が課長と呼ばれるのは当然不愉快ですが、部下から役職名でなく姓で呼ばれても不愉快に感じるでしょう。たかが呼び名ですがされど呼び名です。
 呼び名の選択は人間関係をスムーズにするには大切な要素です。それは呼び名が、呼び名を発する人が「相手のことをどのように思っているか」が表れるからです。個人事業主をあえて「社長」と呼ぶ営業マンは「あなたを持ち上げていますよ」ということを表していますし、会社の中で部長が社長に対して「社長」と呼ぶのも同様です。もし部長が社長に「○○さん」と姓で呼びかけるなら出世は望めません。このように考えるとき「呼び名の選択の重要性」は地域社会よりビジネス社会において顕著です。それは利害関係、損得関係があるからです。
 大企業に勤めていた人が退職したあとも現役時代の感覚が忘れられず顰蹙を買っている話を聞くことがあります。大企業に勤めていますと取引先や下請け企業からチヤホヤされますからその感覚が忘れらないのです。しかし仕事を離れてしまえばただの一個人でしかありません。仕事で偉くなればなるほどその呼び名にとり込められてしまいます。そしていつしか「ただの一個人」としての感覚を忘れてしまいます。「ただ一個人」の感覚を忘れた人に魅力のある人はいません。「ただの一個人」の感覚を忘れないためには、現役時代であっても仕事で使われる呼び名以外にもう一つ呼び名を持っていることが必要です。そういう呼び名を「予備名」と言います。
 じゃ、また。

紙.gifジャーック!




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