<走るぅ、走るぅ>

pressココロ上




 先週、4月26日読売新聞の12面「論点」に家計ジャーナリスト荻原博子氏の投稿が掲載されました。荻原氏は以前から生命保険など金融業界の問題点を指摘してきた金融評論家です。今回の投稿では公的保険の有用性を紹介しながら「無駄な保険に加入しないように」と注意を呼びかけています。実は、私も氏の本などに触発されて生保に関心を持つようになった一人です。生保に少しでも疑問を感じたことがある方は一度、氏の本を読んでみてはいかがでしょう。
 荻原氏の投稿が掲載される前日の夕方のことです。お店に中年の女性が自転車でやってきました。女性はメニューを見ながら
「今日はどれにしようかなぁ。ここのホントにおいしいわよねぇ」
などと私が喜びそうなことを言いました。悩んだ末に注文したのはコロッケと串カツをそれぞれ5個でした。私は褒めてもらったうれしさもあり気分良く袋に入れ渡しました。
 女性が自転車に乗り去って行くうしろ姿を見ながら私がニンマリしていますと、妻が商品を入れてある保温器を見て私に言いました。
「ねぇ、メンチも売れたの?」
「んや、コロッケと串カツだけ」
「でもメンチが5個減ってる」
 僕は保温器の中を見ました。するとやはり串カツは減っておらず代わりにメンチが減っていたのです。僕は思わず声をあげました。
「あっ、串カツとメンチを間違えた」
 僕が女性のあとを追いかけようとドアのノブに手をかけると同時に妻が怒鳴るように叫びました。
「急げー!」
 僕は店を飛び出すと歩道に出ました。自転車が行った方角を見ますと30メートルほど先に女性のうしろ姿が見えます。僕はスタートダッシュです。追いつくぞー!
 運よく道は真っすぐでしたのでうしろ姿を見失うことはなさそうです。僕は自転車がどちらにも曲がらないことを祈りながら走り出しました。断っておきますが、「走る」と言ってもジョギング程度のスピードではありません。全力疾走です。全エネルギーを動員しての全力走法です。
 しかし中年女性が帰宅するために普通に走っているスピードはかなりの速さです。僕は必死に走りました。
 走り出したときは「自転車に追いつくことだけ」を考えていたので気にならなかったのですが、しばらく走っていると僕はあることに気がつきました。
 頭にホッカムリをし、エプロンをつけて、ものすごい勢いで全力疾走している中年男の異様性です。僕が全力疾走している姿は周りの人たちには異様でしかなかったのです。歩行者は振り向き、沿道の商店の人は珍しげに見、信号停止しているドライバーは不思議そうに眺めていたのでした。しかし、自転車を見失うわけにはいかない僕はそんなことにはお構いなしにただただ「走るぅ、走るぅー」です。
 追いかけながら僕は期待しました。
「自転車が信号で止まりますように…」
 僕は自転車の前方の信号を見ました。「青」です。歩行者信号が点滅していない「青」です。「うっそー…」
 僕の全力疾走にもかかわらず自転車との距離は縮まりません。中年男の変な出で立ちの全力疾走だけでも異様ですので大声で呼びかけることは憚れました。しかし見失っては元も子もありません。私は意を決して叫びました。
「コロッケを買ったお客さーん」
 しかし自転車はスピードを落とすことはありません。僕の大声に気づいたのは歩行者とガソリンスタンドの店員さんだけでした。
 それでも僕はあきらめるわけにはいきません。僕はまた次の信号を見ました。
「赤」です。「よっしゃー」僕は心の中で叫びました。そして進行方向と交差している信号を確認しました。
 なんと黄色です。「あー」と思っている間もなく赤に変わり、自転車の進行方向の信号が「青」になってしまいました。そのときの僕の落胆がわかるでしょうか。僕の体力はそろそろ限界に近づいていたのです。
 しかし僕はあきらめるわけにはいきません。力を振り絞って走りました。あの「太陽にほえろ」のマカロニ刑事のように…。いつの間にか僕の頭の中では「太陽にほえろ」のテーマが流れていたのでした。
チャッチャチャー チャッチャッラチャー チャッチャチャー 
チャッチャッチャーッチャー チャチャチャチャチャ…
 たぶん誰かが「マカロニー」と呼びかけていたなら僕は立ち止まっていたでしょう。
 段々と、体力は本当に限界に近づいてきました。足はもつれ思うように上がらなくなってきました。息も絶え絶えです。
「もう、だめだ…」
 そう思ったとき次の信号が黄色に変わったのが見えました。僕は早く「赤」に変わることを念じました。
「やったー! 赤」です。僕は最後の最後の力を振り絞って走りました。女性は信号で止まっています。僕はようやっと女性に追いつきました。
 信号待ちをしていた女性に近づくと僕は女性のうしろ姿に息を切らしながら声をかけました。
「す、す、すみません。ハァハァ…」
 僕の声に気がついた女性は振り向きました。僕を怪訝そうな顔で見ています。僕は立っているのも辛く上半身を折り曲げながら話しかけました。
「ハァハァ…さっき、ハァハァ…串カツに間違えてメンチを入れてしまいまして…ハァハァ…」
 事情を理解した女性は同情の眼差しで僕に言いました。
「あらら、こんなところまで…。ありがとねぇ」
 僕はまだ息が整いません。声を出すのも苦しいくらいでした。
「ハァハァ…い、い、いえ。ハァハァ…僕はもう走れませんのでハァハァ…先に行って交換していただけますか?ハァハァ…」
 かくして僕は自分のミスを取り消すことができたのでした。
 それにしても、やはり中年男が全力疾走で数百メートルを走るのは身体にこたえます。店に戻っても閉店まで動悸が治まりませんでした。ハァハァハァハァ…。苦しくて、ハァハァ…今週のオチはハァハァ…「なし」ということでハァハァ…。
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!




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