<ブービー賞>

pressココロ上




 先日、僕にとっては驚くべく報道がありました。それは大手ファミリーレストランに関する裁判でした。
 そのファミレスで店長を務めていた男性の過労死を巡る判決だったのですが、僕が驚いたのは店長の社内的身分でした。なんと「正社員」ではなく「契約社員」だったのです。最近は企業が人件費削減のために正社員を減らし代わりに非正社員を増やすのが当然とされていますが、店長までもが非正社員とは「ここに極めり!」といった思いです。
 報道によりますと、店長を務めていた男性は高校時代からアルバイトとして働いており卒業後も続けて働いていたようです。そして06年3月から契約社員の身分で店長として赴任していました。
 この事実を知って、第一に僕が思ったのは「正社員の人数が足りないのか?」ということです。一昔前、企業は従業員の人数に対して管理職ポストが足りず無理やりポストや部署を作っていました。すかいらーくも社員を定期的に採用をしているのですから優秀かどうかはともかく正社員数だけはかなりの人数がいたはずです。その中には店長のポストが空くのを待っている正社員がいても不思議ではありません。しかし、今回明らかになったことから考えますと店長のポストが空くのを待っている正社員はいなかったことになります。
 ここで考えられるのは、正社員の離職率の高さです。もしかすると、定期採用でこのファミレスに入社した新人正社員たちはその労働実態に失望して転職しているのかもしれません。契約社員が店長を務めている実態をみますとその可能性は高そうです。
 たぶんこうした状況は外食産業全般にいえるのかもしれません。最近の外食産業に関する報道を見ていますと、その労働環境の悲惨さが明らかになっています。これでは若い正社員が外食産業に失望しても仕方ありません。今の状況が続くなら外食産業の将来は暗いと言わざるを得ません。
 次に僕が考えたのは店長を統括管理する立場にいた管理職についてです。こうした管理職の人たちは「店長の労働環境を改善することを考えなかった」のでしょうか。
 外食産業に限らずどんな職場でも、ベテランと言われる人が言う台詞があります。
「昔は…」。
 現在、管理職にいる方々はほとんどがその企業においてベテランと言われる年数を働いてきた人たちです。そしてそういう人たちは往々にしてそれまでの自分の働きに自負を持っています。それは「出世競争に勝ち残った」という勝ち組の発想です。僕が想像するには
「自分たちは悪環境の労働条件の中を生き抜いて今の地位にたどり着いた」
 このような気持ちが強いのではないでしょうか。こうした思いは労働条件の悪環境を肯定することにつながります。今回の過労死の背景にはこうしたこともあるように思えて仕方ありません。
 そうした背景があるとしても納得できない問題があります。「契約者員」という身分です。店長を統括管理する立場にいた管理職の人たちは「契約者員」という不安定な身分の店長に重い責任を負わせることに躊躇する気持ちはなかったのでしょうか。
 契約社員と正社員の最も大きな違いは「身分の安定」であり「報酬」です。正社員に比べ身分も不安定で報酬も低く抑えられている契約社員に店長という重責を負わせることに罪悪感はなかったのでしょうか。
 身分の安定さは仕事をするうえで重要です。「安定している」ということは「将来に対する安心感がある」ことを意味します。それがあってこそ一生懸命仕事に励めるというものです。どんなに辛い厳しい仕事であろうと将来に対する安心感があってこそ乗り越えられます。
 数年前、青色発光ダイオードの発明に関して発明者が属していた企業を訴えた裁判がありました。発明に対する報酬が低いという主張です。それ以降同じような訴えが続きましたが、どの裁判でも発明者が自分の発明に対する対価が低いことを訴えています。
 しかし、僕は思います。
 発明者は、発明に至るまでの周りの協力を忘れているのではないか、と。中には企業内において逆境の中で努力したケースもあるでしょう。さんざん回りから文句を言われさらに妨害され他の部門からお荷物と揶揄されたこともあるでしょう。でも、でも…。
 給料が「支払われ」「設備を使え」たということほど恵まれていたことはないはずです。もし給料という定期的な収入がなかったなら研究に没頭できたでしょうか? 答えは否です。
 発明に見合った対価を求めている技術者の方々が失敗のリスクを全部負っているのなら主張も理解できます。しかしリスクを全部背負うということは企業に属していないことです。そしてそれは独立を意味します。本当に発明に見合った報酬を得たいなら独立をするべきでした。
 しかし独立をしたなら研究が成功しなかった可能性もあります。それは独立とは研究以外のことにも能力を必要とするからです。最も必要な能力は資金集めでしょう。そうした研究に付随する煩わしい仕事をしなくて済むのは企業に属していればこそです。僕には発明に見合った報酬を求める技術者がファミレスの管理職と同じように心の底に勝ち組の意識があるように見えます。
 「バカの壁」で有名な養老孟司氏は、成績が悪い学生にこう言って励ましていたそうです。
「成績の悪い奴らがいてこそ、成績のよい奴らがいられるんだよ」
 もし成績が悪い学生を退学させても、そのあとにまた次の成績の悪い学生が必ず生まれます。常に成績の悪い学生は存在します。同じように、企業においても業績が下位の社員をクビにしても新たに業績が下位の社員が生まれます。常に業績の下位の社員は存在するのです。 
 エリート社員ばかりが求められる現代の企業。ブービー賞を重要視するような企業が出てこないかなぁ…。
 ところで…。
 今週の「締め」は川柳で。
「 頑張れば 『夢はかなう』は 1位だけ 」
 じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする