<晴男と憲二>

pressココロ上




 元厚生事務次官が襲われました。その殺害状況が常軌を逸しており単なる恨みとも思えません。犯人が自首してきましたが、本当に犯人なのでしょうか。謎の多い事件で早く真相が解明されてほしいものです。
 ネットを見ていましたら殺害された元厚生事務次官の山口剛彦さんのプロフィールが目に止まりました。当時の都立の中では進学校として有名な高校を経て東大法学部を卒業していたからです。僕の時代もそうでしたが、昔は都立高校でも東大に進学する人はたくさんいました。つい最近雑誌で読んだのですが、現在では都立高から東大に進学する人はほとんどいないそうです。僕は、この違いは都立高の学群制にあったように思います。昔の都立高はそのレベルにおいて画然とした差がありました。つまり、とても頭のいい人が行く高校と、ちょっと頭がいい人が行く高校と、普通に頭がいい人が行く高校と、それ以外の人が行く高校に分かれていたのです。受験生は自分のレベルに合った高校を受験し進学するのが普通の高校生の姿でした。
 僕の進学した高校は上から2番目のレベルの学群でした。中学ではまあまあの成績でしたが、一番上のレベルに進めるほどの学力がなかったわけです。僕の高校はそうしたレベルの生徒が集まっていました。
 僕が1年生のとき、3年生に晴男さんという先輩がいました。晴男さんは1年生である僕らにも知られるほど有名でした。理由は不良だったからです。外見はつっぱりというふうでもなく、頭髪は天然パーマで黒縁の眼鏡をかけかわいらしい感じがしていました。しかし、授業はサボルは、派手な服装で登校するはで、それはそれは先生たちの悩みの種だったそうです。
 ある日、クラブ活動のあと2年生の先輩と話していましたら、話題が晴男さんのことになりました。先輩は晴男さんがグレた理由を話してくれました。
 晴男さんの家は、親が東大卒で子供たちも晴男さん以外は全員東大だったそうです。そんな家族の中で晴男さんだけが僕たちの学校に進学していたので肩身の狭い思いをしていたのが理由でした。先輩の話では、晴男さんの親は晴男さんだけを無視するような接し方をしていたそうです。先輩から聞いた話だけですので、真実かどうかはわかりませんが、もし真実なら晴男さんがグレるのもわかろうというものです。
 もし晴男さんが東大を目指すなら僕たちのようはレベルの高校に進学していてはかなり難しいでしょう。やはり「とても頭のいい人」が進む高校へ行く必要がありました。理由は授業のレベルが違い、とても高いのです。そのような環境の中で高校生活を送る生徒と僕たちのようなレベルの高校で授業を受けるのではその違いは雲泥の差があります。当時、僕たちの高校から東大に合格した人は、過去10年を溯っても皆無でした。それに比べ、「とても頭のいい人」が進む高校では毎年数十人の東大合格者を輩出していました。それほど違いがあるのでした。
 当時僕はバレー部に入っていましたが、2年の秋頃に「とても頭のいい人」が通う高校と練習試合をすることがありました。その高校のチームには僕と同じ中学卒の友だちがいたので試合後に久しぶりに話す機会がありました。その友だちは「とても頭のいい人」が進む高校に通っているのですから、当然中学時代は秀才と呼ばれていました。
 そのときにたまたま大学受験などの話になったのですが、そのときの友だちの話の内容に驚きました。
 彼の通う高校では、「東大を受験するのは当たり前」と誰もが思っているのでした。さらに驚いたのは早大慶大を、いわゆる「滑り止め」と思っていることでした。僕たちの高校では、早大慶大に合格できたならそれこそ「天才」と言われるのに比べなんという違いでしょう。僕は高校のレベルの違いがどれほど大きいかということを身に染みたのでした。
 僕たちのようなレベルの高校に通っている晴男さんは、たぶん家に帰っても息が詰まるだけだったのではないでしょうか。晴男さんが卒業後はどうしたのか知る由もありませんが、先輩から話を聞いたとき、子供を学力で差別する親がいることに強い反発心を持った記憶があります。親は子供を学力や性格などで差別するのではなく、その子供全部を丸ごと受け入れるのが本当の姿だと思います。
 高校2年生になったとき同じクラスに本来なら一学年上の先輩がいました。憲二先輩です。偶然ですが、憲二先輩は僕と同じ中学校のバスケット部の先輩でした。僕は中学ではバスケット、高校ではバレーボール部に在籍していました。理由は、ただただ身長を高くしたかったからです。
 それはともかく憲二先輩が同じクラスになったのは、つまり落第したからです。憲二先輩も不良でした。そして偶然にも、憲二先輩は僕の隣の席になりました。高校生で一学年下の生徒と一緒に授業を受けるのはたぶん屈辱だったでしょう。しかも同じ中学の後輩の隣の席ですから。
 憲二先輩は中学時代は優しくかっこいい先輩でした。今でいう「イケメン」だったのです。それは高校でも変わらずリーゼントにした頭髪に似合う凛々しい顔立ちでした。中学時代、進学する高校が決まったときに既に憲二先輩の不良さは有名であの高校に「憲二あり」と言われていた人です。
 そんな先輩ですが、僕が元バスケ部の後輩ということもあり僕には優しく話しかけてきてくれました。僕も憲二先輩のことが好きでしたので、同じクラスであっても先輩として接していました。しかし、一ヶ月もしないうちに出席しなくなりました。やはり、居づらかったのでしょう。
 憲二先輩がグレたのは、やはり親のせいです。憲二先輩は女手一つで育てられていたそうです。これも違う先輩から聞いた話ですが、水商売をしていたそうです。このような話を聞きますと、グレる環境が整っていたような感じがします。本当のところはわかりませんが、とにかく憲二先輩がグレていたのは確かです。
 子供がグレるのは、その子その子ごとにいろいろな理由があるでしょうが、大元は親が「子供の全部を受け入れない」ことがあるように思います。親が子供を、兄弟の間や他人の子供と比較し、劣っているときに見放す場合です。そもそも親は自分の子供を誰とも比較などすべきではありません。「あなたはあなたでいいの」と言ってあげることが親の務めです。
 子育てはとても難しいものですので、一概にマニュアルのようなものはありません。うまく子育てができたかどうかは将来しかわかりません。もし、子育てが正しく行われなかった親ならいつしかその報いを受けることになります。
 子供は必ず年を重ね成人します。そのときに他の親と自分の親を比較し、もし人生の成績が悪かったなら、具体的には、社会的地位が低かったり貧乏であったなら自分の親を軽蔑するでしょう。それはその親が、子供の成績をほかの子供と比べ非難していたのと同じ姿です。
 もし、どんなに人生の成績が悪い親でも、それらをひっくるめて全てを受け入れる子供なら、それはその親の子育てが正しかった証です。そんな親になりたいものです。
 ところで…。先日の妻の話。
 妻が駅前のATMボックスに行ったときのことです。そのときはたまたま駅近辺で自転車の片付けをしていたそうです。どこの駅も同じだと思いますが、駅近辺に無許可で止める自転車がとても多いのが悩みの種です。そうした自転車をトラックでやってきて定期的に排除することが行われていました。そのようにしないと駅の周りが自転車の無法地帯になってしまうからです。
 妻がATMの前に着いたときはちょうどそのトラックが立ち去った直後でした。そこで、妻は少し気にしながらもATMボックスの中から見える位置に自転車を止めました。妻がボックスの中に入りますと、設置されているATM2台はともに使われておりそのあとに中年女性が並んでいました。妻がその女性のあとに並ぶとすぐに60才くらいの男性が妻のあとに並びました。しばらく立っていました妻はやはり自転車が気になります。そこで妻は上半身だけをよじり「フッ」とうしろを振り向いたそうです。するとなにを思ったか、うしろに並んでいる60才くらいの男性も同じようにうしろを「フッ」とうしろを振り向くのだそうです。
 この話をしている時点で妻は笑っています。
 妻の話によりますと、並んで待っている間に幾度かうしろを「フッ」と振り向いたのですが、そのたびにうしろの男性も同じように「フッ」と振り返るのでした。僕も話を聞きながら笑いこけてしまいました。想像してみてください。妻が振り向くとなんの意味もなく60才の男性も同じようにうしろを振り向くのですから…。
 妻の番になり、妻がATMの前に立ちますと、すぐに隣のATMも空いたそうです。うしろに並んでいた60才の男性がやってきました。妻はATMの前に立ってもやはり自転車が気になりますので機械を操作しながら幾度かうしろを「フッ」と振り向いたそうです。すると、そこでも60才の男性は同じようにうしろを「フッ」と振り向くのでした。
 ここまで話して妻は大笑い、聞いていた僕も大笑い。ATMに向かっている妻がうしろを「フッ」と振り向くと隣の男性までもがうしろを「フッ」と振り向く光景は絶対見ものだったと思います。僕は妻に言いました。
「そういうときは言葉を発しながら振り返らないと…」
「えっ? そういうときはなんて言うの」
「だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ」
 じゃ、また。




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