<ワン・フォア・オール。オール・フォア・ワン>

pressココロ上




 これだけ宣伝をされてしまいますと、やはり書いてしまいたくなります。
「私は貝になりたい」
 
 現在、スマップの中居さん主演で「私は貝になりたい」が上映されています。ご存知の方も多いでしょうが、これはリメーク版です。昔、フランキー堺さんという方が主演でテレビ放映されていました。
 僕はこのフランキーさんの「私は貝になりたい」をテレビで見ています。しかし、最初に放映されたのは昭和33年のようですから、僕が見たのは再放送されたときだと思います。そのとき、僕は小学校高学年でしたが強烈な印象が残っています。フランキーさんが警察官に両脇を抱えられ幾度も幾度も妻子のほうを振り返りながらも連れ去られる場面が頭に焼きついています。小学生の僕にも戦争の悲惨さが伝わってきました。
 あと一つ、戦争に関する物語で記憶に焼きついている映像があります。これは数年前見たテレビドラマですが、明石やさんま主演のドラマでした。このドラマについてはそのときにこのコラムでも書きましたので覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。
 ドラマの中で、やはりさんまさんも上官に捕虜を殺す命令を受けます。しかしさんまさんはそれを実行できませんでした。ドラマの最後にさんまさんが上官に叫ぶのです。
「自分は人殺しをするために、生まれてきたんじゃないー!」
 今週の題名はラグビー強豪校として有名な伏見高校の監督がよく口にしていた言葉だそうですが、日本語で言うと
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」。
 この標語というかキャッチコピーほど団体競技をする人たちに説得力を持って受け入れられる言葉はない、と思います。個人ではなくチームが勝利を得るためには最も理想的な精神です。僕は最近、本を紹介するコーナーでラグビー関連の本を続けて紹介していますが、それはこの言葉に触発されたことも理由です。
 この標語が訴えている精神は団体競技に限らず、そのほかの集団もしくは組織においても有効なような気がします。例えば、ある企業が存続し続けるには企業として競争に勝つ必要があります。そのためには企業の全員が「一人はみんなのために,みんなは一人のために」の精神でいたならその企業はとても強い企業足りえるはずです。
 しかし、昨今の企業のようすを見ていますと理想のこの標語のようにはなっていないようです。その原因はその就業形態にあるのではないでしょうか。
 一つの企業の中に正社員と非正社員が混合されている状態でこの標語を使うのは不適当です。理由は「みんな」にあります。正社員にとっての「みんな」は正社員ですが、非正社員にとっての「みんな」は正社員ではありません。このように「みんな」の概念が違う一つの集団が目的を達することは難しいと言わざるを得ません。
 最近の景気悪化に伴い、各企業が人員削減に走っていますが、その対象はほとんどが非正社員です。この現況を見るだけでも、「みんな」が同一でないことはあきらかです。この標語が活きたのは終身雇用制が維持されていた時代までです。
 昔の日本は終身雇用制が主流でしたが、米国などを真似て終身雇用制は崩れてきました。これは短期的には企業にとっては役に立つ流れでしたが、企業の本来の姿からは離れた姿のように映ります。「一人はみんなのために,みんなは一人のために」という標語の効果を発揮できないからです。理由は「みんな」が違うからです。今後は、この標語の効果が発揮できるような企業の姿になるように流れが変わるかもしれません。
 もし、この標語が有効な企業があったならその企業においては規則やルールは守らねばなりません。その中には上司の指示に従う項目があるのは当然です。組織の指示命令が機能しない組織は組織として成り立ちません。そのような組織はすぐに消滅してしまうでしょう。
 また、この標語が有効な企業であっても解雇があるのは変わりません。しかし、本当にみんなの心がこの標語のようであったなら解雇を「する」ほうも「される」ほうも納得できるはすです。「する」ほうは退職する人に感謝の気持ちを持ち、「される」ほうも在籍している社員を応援する気持ちになるでしょう。
 このように、この標語が有効な企業や組織、団体は理想な姿ですが、そうなるためには前提となるものがあります。それは「断る自由」です。先ほど、企業においては規則やルールを守る必要性を書きましたが、同時に「断る自由」を担保する必要もあります。それがない組織では冒頭の標語は効果を発揮しません。
「一人はみんなのため」ですが、そこには「断る自由」が伴っていなければなりません。。そうでないなら「一人」は「みんなのため」を隠れ蓑にして「一人」に犠牲を強いることになってしまいます。それは決して、「みんな」は「一人のため」につながりません。忘れてならないのは「断る自由」があるかないか、です。
 上官の命令で人殺しをさせられ、そしてその責任まで負わされる軍隊という集団。その集団には「断る自由」などありません。将来、「貝にならざるを得ない」人が現れることがないように日本という集団を見守りましょう。
 12月8日は太平洋戦争の開戦記念日です。
 ところで…。
 僕はこのコラムを自サイトのほかにブログにも載せているのですが、先週はそのブログに載せるのに難渋しました。
 いつものようにブログの投稿画面を開こうとしましたら、いつもと画面が違っているのです。いつもは出ない「ログイン」を求める画面が出てきました。それまでは「ログイン」など求められることはなく、KDDIのトップページからブログのページに移動するだけで自動的にログインした状態になっていました。ところが、先週はなぜかログインを求められてしまいました。
 僕は焦りました。なにしろ今までログインの操作をしたことがありませんのでパスワードはおろかその前提となる「ID」さえわからなかったからです。画面には「パスワードを忘れた方へ」という文章もありましたが、その前段階の「ID」がわからなければ質問のしようがありません。僕は必死に考えました。登録するときに僕は「ID」をなににしたんだろ…。
 試行錯誤すること1時間、サポートセンターに電話をしたりHP開設時の契約書を探し出したりしながらやっと自分のIDがわかりました。そして、自分では記憶がないのですが、その契約書にパスワードまで記入してありました。
 すったもんだの末にログインに成功しましたが、そのときのうれしさは例えようもないほどです。
 僕は、この顛末を妻に話そうと寝室に行きました。妻はちょうどお風呂から上がったばかりのようでドライヤーで髪の毛を乾かしていました。
 僕としては、とても苦労してログインにたどり着いたのでそれなりに感激している気持ちがありました。僕としては妻にも僕の感激を共有してほしかったのです。サポートセンターに電話したことや、古い契約書を引っ張り出したことや、その契約書の数ページの中からなんとか「ID」を見つけられたことなどこと細かく話しました。それもこれも妻とこの感動、興奮を共有したかったからです。最後に僕は言いました。
「いやぁ、まいったよ。自分が誰だかわかんないと困るよね。ログインできたときは感激モノだったよ」
 一応はドライヤーのスイッチを止め僕の話を聞いていた妻ですが、僕が話し終えると一言。
「あっ、そ」
 そう言うと、妻はまたドライヤーで髪の毛を乾かし始めました。結婚して26年も経つと感動の精神を共有することは無理なようです。
「一人は夫婦のために。夫婦は一人のために」
 夢のまた夢の世界です。
 じゃ、また。




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