<反復練習>

pressココロ上




 今週の本の紹介コーナーでは子供の学力に関する本を紹介していますが、僕は今、子供の学力低下について考えあぐねていることがあります。それは「百ます計算の是非」についてです。「百ます計算」は本当に子供の学力に役立つのでしょうか。
 お子さんをお持ちの方はご存知でしょうが、「百ます計算」とは陰山英男氏が始めた子供たちの勉強方法の一つです。最初に僕が「百ます計算」を知ったのは新聞の広告でした。正直なところ、そのときは懐疑的な気持ちのほうが強くあまり良い印象は持ちませんでした。しかし、陰山氏は週刊ダイヤモンドにコラムを持っており、そのコラムを読むようになってから陰山氏および「百ます計算」について懐疑的な印象が薄まってきました。
 陰山氏のコラムからは、氏の子供たちへの愛情が伝わってきます。心の底から子供たちの学力を上げることを願っていることがわかります。また、学校という組織の中で個人が一つのことをやり抜くことの難しさも垣間見えます。そうした中で「百ます計算」を全国に普及させたのですから、やはり「百ます計算」にはなにかしらの効果があるのではないか、と思い始めたのが「懐疑的な印象」を薄ませたきっかけでした。
 僕が批判的な気持ちだったのは、子供たちに「一つのことを繰り返させること」は子供たちが「考えることをしない」ことにつながると思ったからです。ただ単純に決められた時間内に計算ばかりをさせることが子供の学力向上に効果があるとは思えませんでした。反復練習は一つのことだけができるようになることでしかありません。
 しかし、僕は反復練習が全て悪いとは思っていません。反復練習にもよい面があります。それは「早さ」と「熟練」です。これらは肉体的なことに限らず頭脳的なことでも効果があります。僕は学校時代に運動部に所属していましたので反復練習の肉体的な効果は経験があります。できない動作も何度も行っていると自然とできるようになり、そして早くうまくなります。このことは副次的な効果もあります。それは無意識のうちに身体が反応することです。無意識に反応することは、当然早さが増すことですが、それ以外にミスの減少にも役立ちます。例えば、頭がボーっとしていても身体が覚えていたならミスを未然に防ぐことにもなります。
 僕には、頭脳的なことでの反復練習は経験がありませんが、効果はあるような気がします。計算をたくさんやることは計算に慣れることですから計算が早くなることがあっても不思議ではありません。また、無意識にできるようになるということも肉体的と同様です。
 このように「反復練習」にはよい面があるのはわかるのですが、それでもやはり「反復練習」には「考えることをしない」というデメリットが強いように思っていました。ところが陰山氏が最も強調するのは「集中力」でした。
 陰山氏が「百ます計算」を唱えてからかなりの年月が経つそうですが、氏の教え子たちは偏差値の高い高校大学に進学している教え子たちが多いそうです。その理由に挙げているのが「集中力」でした。
 反復練習の意義が「集中力」にあるとしたなら反復練習の意味もあると思います。運動にしろ勉強にしろ集中力はとても重要で大切な要素です。集中力がなければどんなに練習をしても、また勉強をしても進歩は望めません。集中力を高めるためであるなら反復練習も意義があります。
 けれど、と僕は思ってしまいます。
 最近は「学力低下」に関する本を読むことが多いのですが、その中に印象に残る事例が紹介されていました。
 それは中学生の学力を計る試験での結果です。「百ます計算」を行った生徒は、分数の計算においては多くの生徒が正解を出すそうです。しかし、分数の意味を理解していない生徒が多数いたのでした。例えば、0から5までの数値を書いた一本の直線に分数の位置を記入させる問題で多くの生徒が正解を書けないのでした。分数の計算はできても分数の意味を理解していない証拠です。僕はここに反復練習のデメリットがあるように思います。つまり分数を理解させることではなくただ計算だけが早くうまくなるだけになることです。僕が子供たちが「考えることをしない」という所以です。
 反復練習をすることによって、確かに子供たちの学力は上がるでしょう。しかし、それは学力を計る目安が計算問題だからです。計算の練習ばかりを反復するのですから、計算の試験をして得点が上がるのは当然です。しかし、このことは単に試験に合格するためだけの「テクニックがうまくなる」に過ぎないのではないでしょうか。これでは本当に学力が上がったことにはならないように思えます。本当の意味で学力を上げるなら反復練習ではなく、「理解する」「考える」ことに重点を置いた教育が望ましいような気がします。
 また、反復練習をすることによって、計算の試験に過ぎないにしても、全体のレベルが向上するという結果がもたらされるそうです。この「全体のレベルが向上」するためには反復練習が最も適している、とのことですが、それでもその反復練習が苦手、好きでない子供たちもいるはずです。そうした子供たちには反復練習が意味をなしません。反復練習がどんなに集中力を養うとしてもそれ以前の問題として反復練習が嫌いな子供には役に立つはずがありません。そしてそういう子供がいても当然です。なぜなら反復練習はあくまで勉強だからです。昔から勉強が嫌いな子供はたくさんいました。
 IT業界の風雲児と言われた飯野 賢治氏は学校の勉強は嫌いだったそうです。というより学校にあまり行っていません。そんな彼ですが、全世界で売れた「Dの食卓」というゲームを作っています。その飯野氏がある人生相談で答えていました。
「自分の興味あることには人間は夢中になれる」
 学校の勉強が嫌いだった飯野氏でしたが、自分の好きなコンピューターの世界では徹夜で勉強しても苦でなかったそうです。無理矢理やらされる勉強より自分が興味を持てることならいくらでも勉強ができるものです。
 学校教育で大切なのは集中力を高めさせることではありません。大人でも嫌いなことには集中力を高めることは難しいものです。子供ならなおさらです。僕は、学校教育で大切なのは集中力を発揮できる分野を見つけさせることだと思います。
 ところで…。
 僕は妻と結婚して半世紀以上立ちますが、それだけ夫婦をやっていますと夫婦喧嘩の回数は数え切れないほどです。ときには激しい喧嘩のときもありそんなときは離婚の二文字さえ頭の中をよぎることがあります。けれど、まだ夫婦関係を解消していません。その理由は、「小さな喧嘩をなんども繰り返しているから」のような気がします。つまり喧嘩を反復することにより「慣れ」ているのです。僕たち夫婦が「大事に至らないで済んでいる」のは反復のおかげかもしれません。
 じゃ、また。




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