<疑え!>

pressココロ上




 毎年、この季節になりますと枕詞として使われますが、「早いものであっという間に」1年が経とうとしています。読者の皆さんの今年はどんな1年だったのでしょう。今回が今年最後の<私のココロ>となります。それでは…。
 1年の締めくくりは、やはり自分のサイトに関連した内容にしたいと思います。僕のサイトは脱サラがメインテーマで、その中でも飲食業が主な分野です。というわけで、はじまりは「マックのやらせ行列」から…。
 ニュースを見ていましたら、「マクドナルドの新規オープンに並んだ行列の中にアルバイトがいた」という内容の報道がありました。僕は思いました。「なにを今さら」。
 僕と同じように感じた方は少なくないでしょう。こうした実態はずいぶん前から噂として広がっていました。ニュースを報じるマスコミ関係者の方々が全く知らなかったとは思えません。僕が疑問に思ったのは、どうしてニュースとして取り上げたか? です。
 この日は、ほかに大きなニュースがなかったということもあるでしょう。それにしてもやはり解せません。マクドナルドにしてみますと、大きなマイナスイメージとなります。もしかしたらマクドナルド関係者がマスコミ対応においてなにか重大な不手際を犯したのかもしれません。つまりマスコミがマクドナルドに反感を抱くようななにかがあった可能性があります。それに対して懲らしめる意図があったと考えるしか、僕にはこのニュースの価値が見出せません。
 僕が初めて、飲食店など新規オープンする店舗で「行列を作っている人」の中に「さくらがいる」ことを聞いたのは大学生のときでした。確か、青山にオープンしたアイスクリーム屋さんのときです。今から30年くらい前のことですから、今回マクドナルドがやっても不思議でもなんでもありません。
 当時、その話を聞いたとき、僕は「ずるいな」とは思いましたが、それよりもそういう宣伝方法を考えたのはすごい、と感心したのを覚えています。現在では1つのマーケッティング法として広く利用されているのではないでしょうか。マクドナルドが生贄にされた印象があります。
 この方法を初めて知った当時は「ずるいな」と思った程度でしたが、その後年令を重ねるに連れて強い憤りを持つようになっています。それは自分が飲食業に携わったことと関係があります。
 これまでに幾度かコラムで触れたことがありますが、飲食業は味覚という曖昧な基準でしか判断することができません。そのため、雰囲気に頼る部分が少なからずあります。勢い、先ほどのマクドナルドのように結果的に一般の人を欺くような宣伝方法に流されやすいのです。最近、外国のファッション店が若者が集まる繁華街にオープンしましたが、僕の推測ではあの行列にも純粋なお客さんとは言えないそれ以外の人が紛れ込んでいる可能性があります。
 こうした宣伝方法はグレーゾーンですが、いろいろな業界で多用されているのが実態です。そして、このような環境にいる僕たちが持っていなければならないのは真実を見抜く感性です。皆さん、マスコミなどに限らず、さまざまな場面で見聞きしたことは一度は疑いましょう。
 僕のサイトおよびコラムの訪問者の方は若い方が多いようですが、その方々に考えてほしいことがあります。
 大人だからと、または年齢を重ねているからといって、正しいことを言ったり伝えたりするとは限らない、ということです。
 数週間前の新聞に、悪い意味で印象に残る投稿記事がありました。内容は「レジでは必ずレシートを渡してほしい」という趣旨でしたが、その顛末を書いた内容に不快感を覚えました。
「コンビニでレジの人がレシートを渡さないので『レシートを渡してほしい』という意味で<あごで催促した>」
 と書いてありました。<あごで催促した>理由は、口頭で言うと相手を恫喝することになるから、というのですが、投稿者は大学で学生に教える職業でした。この投稿には僕以外にも不快感を覚えた人がいたようで、数日後、そうした対応を嗜める投稿が載りました。
それにしても、コンビニの従業員に対してこのような対応をしたことを自慢めいて投稿する人が大学関係者であるということに驚きます。このような人に教えられる学生は不運としか言いようがありません。もし、このような先生に教えられたなら、教えられたことを疑わねばありません。「疑う」ことは大切です。
 僕は、脱サラ関係の書籍を読むことが多いですが、やはり「疑ったほうがよい」内容の本もあります。「疑う」とまではいかなくとも、話半分に捉えたほうがよい本もあります。
 そしてこのことは、大人が話すこと、書くことにも言えます。特にある一定の年齢を超えた人の話はより注意が必要です。一定の年齢を超えた方々の話からは、得てして真実味を感じてしまいがちです。しかし、そのことが真実であるかどうかはわかりません。「バカの壁」の養老氏によりますと、人間の記憶は嘘をつくそうですから自分が無意識のうちにフィクションを作っている可能性もあります。意図的でないにしても、人間は自分を「大きく」そして「よく」見せたがるものです。そうした傾向のある人間が話す成功話はやはり「話半分」に聞いておきましょう。
 仮に、成功している姿が目の前にあるとしても、その過程や理由に虚構が含まれている可能性もあります。例えば、「事業で成功した」とビルを建てた人が、実際は地主の親からの遺産で立てたのが実態である、ということもあります。このような人が話すことを参考にしてもなんの役にも立ちません。もし、そのような人の話を参考にして脱サラしたならうまくいくはずがありません。 
 こうした事態に陥らないために、見聞きしたことは自分で確かめ、考え、推測して信じられる範囲を定めましょう。真実を見抜く目を養うことは生きて行くうえでとても大切です。
  
 ところで…。
 今年の最後のコラムは「疑え!」をテーマにしました。最近は、振込詐欺で被害に遭ったりする人も多いようですので「疑う」ことの大切さを訴えたいと思ったのでした。
 また、来年も今年後半の不景気が続きそうですので、そういう時代はグレーゾーンのマーケッティング法が広がることが予想されます。違法とは言わないまでも一般の人をたぶらかすマーケッティング法はやはり褒められたものではありません。皆さん、なにごともまずは「疑う」ことから入りましょう。
 あっ、そうだ。最後に大切なことを言わなくちゃ…。
 僕のコラムも「疑え!」
 じゃ、また。
 最後に、今年一年間、訪問していただきありがとうございました。
 来年もよろしくお願いいたします。




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