<年齢とともに…>

pressココロ上




 先週はお墓参りに行ってきました。毎年、片道20kmほど車を走らせて行っているのですが、今年は例年より車の量が少なく感じました。世の中不景気ですが、帰省などで東京を離れる人はやはり多いようです。しかも高速料金が1,000円になっていますので普段出かけない人も車で出かけたのでしょう。
 僕は先週夏休みでした。連続4日とりましたが、普段ですと2日続けての連休もありませんので4日はとてもうれしいものです。本当は売上げが芳しくなく休む余裕などないのですが、ただでさえ人通りの少ない店の前がまさしく人の気配が全くしませんので世の中のお盆休みが終わるまで休業することにした次第です。あまりうれしくない理由ですが、まぁとにかく連続で4日も休む気分を満喫することにしました。
 昔、お盆の帰省期間中は東京の人口が極端に少なくなるのは毎年の風景、と言われていました。でもここ数年は「極端な人口減少」がやや和らいでいる印象があります。本当に、僕がタクシー乗務員時代はお盆の期間は道路を走る車をほとんど見かけなかったものです。しかし、ここ数年は、確かに走る車の数は減っていますが、昔ほどではありません。昔は人も車も本当に少なかったのです。
 僕はそんな静寂な都会で時間を過ごすのがとても好きでした。いつもは大勢の人が行きかう商店街やいろいろな施設を人影まばらな中をうろつくのはとても気分がいいものです。元々人口が少ない田舎ではなく、本来は人出が多い都会でゆったりのんびり過ごすことに意義があります。そこには普段では感じられない雰囲気があります。
 都会は人口が多いことを前提にいろいろな建物や施設が作られていますが、その前提が覆った中でそれらを思う存分に味わうことができます。それがなによりの満足感を得させてくれます。そうですねぇ、「なんか得した気分」とでも言いましょうか…。
 しかし、本来は多くの人出があることを前提にしていますので、お盆休み期間中の静寂さがずっと続くならその商店街や商業施設は成り立つことができません。僕が感じることができる満足感は1年に1度あるかないかくらいでちょうどよいのではないでしょうか。それだけにこの期間ののんびりゆったり気分は価値があります。
 そんな中、妻と自転車で20分ほどかかる商店街に行きました。やはり普段に比べ人は少なく気持ちよく歩き回ることができました。しらばく歩くと小腹が空いたのであるチェーンのファーストフード店に入りました。もちろん店内も空いていましたので余裕で座ることができ満足感に浸っておりました。
 妻と話をしながらなにげなく正面を見ますとそこは鏡になっていました。店内はくつろぎやすい照明になっていますので、どちらかというと少し暗めで蛍光灯ではなく電球が天井から店内を照らしていました。
 僕は鏡を見て思いました。
「あっ、僕が映ってる」
 鏡ですので当然ですが、鏡に映る自分を見るのは久しぶりです。普段、僕は鏡を見ることはほとんどありません。一応接客業ですので、お店に行くときはそれなりに身だしなみには気をつけています。やはり不潔感を持たれるよりは清潔感を醸し出したいものです。そういう心構えですので、僕は家を出るときは必ず妻に「頭、変じゃない?」と確認します。このとき「頭」とは頭の中のことではなくヘアースタイルのことです。いくら僕の全てを知っている妻でもさすがに僕の頭の中まではわかるはずがありません。
 僕は寝癖が激しいのでたまに髪の毛がとんでもないぶざまな形容になっていることがありました。それを毎朝妻に確認してもらっているのです。
 さて、鏡に映った自分を見ますと、頭のてっぺんのあたりがやけに光っているように感じました。ちょうど電球の光が僕の頭のてっぺんを照らしているからなのですが、それにしても光りすぎではないか、と思いました。青色発光ダイオードで有名な中村氏が見たらなにかしらのヒントになるかもしれないほどの光が出ていました。
 僕は妻に尋ねました。
「ねぇねぇ、なんか僕の頭のてっぺん光ってない?」
 妻は楽しそうな笑顔で答えました。
「それはね、頭の地肌が光ってるのよ」
 妻は僕が落ち込む様子を見るのがなによりの楽しみなのです。そういえば、最近、僕は「頭の確認」で寝癖を指摘されたことがありません。昔ですと、髪の毛もフサフサでしたし、髪質がしっかりとしていましたので激しい寝癖を指摘されることが多ございました。しかし、最近はそういう指摘を受けたことはほとんどありませんでした。
 そうです。僕の頭は最近薄くなっていたのでした。
 妻曰く。ハゲには3種類の型があるそうです。べジータ型。河童方。後頭部型。
 べジータ型とは、昔はアトム型と言われていたのではないか、と思うのですが、額の生え際がV字型に髪の毛が後退している髪型です。思い出してください、べジータもアトムも額の生え際がV字になっています。河童型はご想像どおり河童のお皿のようにてっぺんに毛が生えていない感じです。後頭部型は河童型よりやや後ろのほうが薄くなっている髪型です。
 鏡を見た感じでは僕はどうやら河童型になりそうです。天井から照らす光がそれを物語っています。しかし、妻が言いますには、僕はべジータ型でもあるそうです。そうなのです。どれか1つの型になると決まっているわけではなく、いくつかを兼ね添える可能性もあります。僕は2つを兼ね添えているそうです。
 妻は楽しそうに語りましたが、言われた僕としてはやはりそれなりにショックです。普段、そんなことを考えたこともなかっただけに落ち込み度は強くなります。
 実は、今月は僕の誕生月なのですね。中年というよりは高年ですので、人生も後半に入っています。それを考えますと、べジータになろうと河童になろうと致し方ないとあきらめております。人間は年齢とともに外見が変わるのです。
 人間は年齢とともに外見が変わりますが、体質も変わるようです。昨年の12月ころに僕は「いと体調悪し」というコラムを書いていますが、その当時は身体に変調をきたしていました。それからしばらくして一応体調は元に戻ったのですが、そのときを境に僕は体質が変わったように感じています。
 具体的には、先ず耳垢です。耳垢というものは人により乾燥した白い粉っぽいものが溜まる人と、グチョグチョとした液状の耳垢が溜まる人がいるそうです。僕はずっと前者の耳垢でしたので「耳垢とり器」でとっていました。因みに「耳垢とり器」とは普通の竹などでできた端のほうが小さくスプーン状になっている器具のことです。昨年のコラムでは「耳かき器」と書いていましたが、現在は進化させ「耳垢とり器」と命名しています。
 それはともかく、僕はあの変調期以来「乾燥した耳垢」が溜まらなくなってしまいました。つまり、液状耳垢になってしまったのです。ですから今は耳掃除をするときは「耳垢とり器」ではなくもっぱら「綿棒」でとっています。
 皆さんは綿棒にも2種類あるのをご存知でしょうか。太さが違う2種類です。一般的には太いほうが主流ですが、僕のような液状耳垢体質の人間には細い綿棒でないと役に立ちません。
 また、太い綿棒にも2種類あるのをご存知でしょうか。なんと最近の進化した綿棒は巻いてある綿に工夫が施されています。それは綿がネジ状になっているのです。つまりネジのように斜めに溝がグルリとついていますので耳垢を取りやすくなっているのです。もちろんこの綿棒は乾燥耳垢用ですが、すばらしいアイディア商品です。そうしたことを知ったのは耳垢の状態が変わったおかげです。人生、どんなことも勉強です。
 耳垢以外に僕の体調の変化は体温です。あの当時を境に僕の体温は下がってしまいました。それまで僕の体温は高く、よく妻に言われました。
「あんまり近くに寄らないで。暑苦しくてしようがない」
 僕が近づくだけで妻は暑がっていたのです。因みに冬は近寄ることを喜んでくれていました。どうして冬のことを書いたかというと、体温にかこつけて「奥さんは僕を近寄らせないようにしている」と勘ぐって想像した読者の方がいるのではないか、と思ったからです。妻は決して心底僕のことを嫌っているわけではないのです。
 それはともかく、それほど高かった僕の体温が今では妻より下がってしまいました。人間の体質も年齢とともに変化することを身をもって知った次第です。人間て変わるんですよねぇ。
 …64回目の終戦記念日。戦争の記憶も薄くなっていくのが心配です。
 ところで…。
 僕の頭の中以外は全てを知っている妻は、僕が食事のあとにする行為を見ていつも不愉快そうに、皮肉を込めて言います。
「ねぇ、また牛やってるの? おいしい?」
 僕には悪い癖がたくさんありますが、その1つがこれです。僕は食事のあとに口の中に残った食べかす、というか歯の間に挟まった食べ物を舌で探しだして食べるのが好きなのです。これ、本当においしいんですよ。しかし妻は軽蔑の眼差しで僕を見るので、僕は「食べ物を大切にしている証」だと反論しています。
 でも、今週1才大人になりますのでもう少し説得力のある言い訳を考えたいと思います。
 じゃ、また。




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