<弱者の心の中>

pressココロ上




「灰色でなく真っ白になりたい」
 冤罪により17年間も服役させられた菅家さんの言葉です。菅家さんの心の底からの叫びではないでしょうか。マスコミなどでは、菅家さんは「真っ白」として報道されていますが、もしかすると一部の人からは「本当に無罪なの?」といった疑いの目で見られているのを菅家さんは感じているのかもしれません。実際、大衆の心理とは不思議なもので、一度逮捕・起訴された容疑者は、例え裁判で無罪となろうとも「灰色心象」は残ってしまいます。
 また、マスコミの習性として逮捕時は大きく取り上げても不起訴や無罪判決などは、よほど世間の注目を集める事件でない限り新聞の隅のほうに小さく報道するだけです。そうした習性が「灰色心象」をさらに強めてしまいます。
 今回の事件で、別件とはいえ菅家さんの取調べ時のテープが存在することが明らかになりました。「やってもいない人間」が「やった」と自白したのですから、どのようなやりとりがあったのかは多くの人が知りたいはずです。検察はテープを提出することを拒んでいるようですが、本当に国民に信頼される検察を望むなら自ら進んでテープの内容を公開するべきです。
 元公安調査庁長官で広島高等検察庁検事長まで務めた緒方重威氏が日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の土地と建物や現金をだましとったとした事件がありましたが、この事件は今年7月に東京地裁で判決があり有罪となりました。緒方氏が控訴しましたので裁判は続いていますが、僕はあるインタビューに答えた緒方氏の言葉が印象に残っています。
 緒方氏は裁判では無罪を主張していますが、取調べでは「罪を認める」供述書を提出しています。その理由について緒方氏は語っていました。
「心が弱ったから…」
 緒方氏のような検察の裏表を知っている人でさえ取調べでは「罪を認めてしまう」のですから、取調べとはよほど厳しいものなのでしょう。その取調べに一般の人が平常心で臨めるわけはありません。そのような不公平な状況で行われる取調べが正常に行われる可能性は限りなく小さいように思います。
 とは言いながら、緒方氏の事件については少し疑問も持っています。やはり緒方氏ほどの経歴を持つ人が「心が弱かった」はずがないと思えるからです。しかも検察の求刑には執行猶予5年がついています。「国家の罠」の佐藤勝氏によりますと、検察が5年の執行猶予をつけるケースは無罪に近い意味合いがあるそうです。表には出せない奥深いやりとりが緒方氏と検察にあった、と考えるのはうがちすぎでしょうか…。
 それはさておき、新聞などではテープの内容が少しずつ報じられています。菅家さんが否認した翌日に再度検察官に詰め寄られ「罪を認めた」場面は読んでいていたたまれない気持ちにさせられます。
 当初、否認していた菅家さんですが、翌日検察官の厳しい追及に涙を流しながら「やりました」と罪を認めたそうです。検察官はこう追求したそうです。
「あなたは昨日、私の目を見て否認しなかった。だから否認は嘘だ」
 検察官にまでなる人はそれまでの人生における競争で勝ち続けてきた人です。たぶん自分に自信があり、いつも堂々と自分の考えや主張をなんの躊躇もなく述べてきたでしょう。しかし、世の中には性格的におとなしく言いたいことも言い出せずただじっと我慢をするしかない気質の人もいます。そういう人の中には「相手の目を見て堂々と話をできない」人もいます。検察官のように自信に満ち溢れている人にはおとなしい人の気持ちが想像できないのでしょう。
 検察官は菅家さんの涙を見て、「涙を流すほど悔い改めた」と理解しました。しかし、のちに菅家さんは語っっています。
「いくら無罪と言っても、状況証拠で有罪と決めてかかる検察官に絶望して涙を流した」というのが真相でした。なぜ当時検察官は菅家さんの涙の意味がわからなかったのでしょう。
 僕は、この新聞を読んでいて大岡越前の話を思い出しました。
 一人の男の子を「自分の息子」と主張する二人の母親がいました。もちろん産んだ母親は一人でしかあり得ませんからどちらかが嘘を言っていることになります。どちらが「本当の母親か裁定してほしい」と頼まれた越前はそれぞれの言い分を聞きました。しかし、どちらも「自分の息子」であると言い張るばかりで埒があきません。そこで越前は二人の母親に言います。
「それぞれが男の子の左右の腕を持って引っ張り合え。そして勝ったほうを母親と決めよう」
 このように言われ、二人の母親は力の限り男の子の腕を引っ張ります。男の子にしてみますと、左右別々から引っ張られるわけですから当然痛くなります。男の子は大声で泣き叫びました。その声を聞き、片方の母親が思わず腕を放してしまいました。最後まで腕を放さなかった母親は大喜びで叫びました。
「やったー。この子は私の息子だぁ!」
 そのときです。越前は喜んでいる母親に厳しい声で言いました。
「おまえはその男の子の母親ではない! 本当の母親なら泣き叫んでいる声を聞いて腕を放してしまうものだ」
(日本童話集より)
 真実は外側から見える事象だけでは捉えることはできません。
 菅家さんに関する報道を見ていますと、菅家さんの心が揺れているのが感じられます。あるときは「少しは気持ちが晴れた」と言い、またあるときは「当時の刑事と検察官を絶対許さない」。いくら謝罪をされようが、菅家さんの17年間という時間は戻ってきません…。
 菅家さんの冤罪は古いDNA鑑定に瑕疵があることが判明して無罪への道が開けました。しかし、DNA鑑定精確度に関係なく自白内容に多くの矛盾があったのですからそれらを重要視していたなら防げた冤罪です。検察に自らを律する謙虚さがあったなら人間一人の人生を台無しにすることもなかったでしょう。そして当然、そのことは判決を下した裁判官にもいえることです。マスコミではあまり大きく取り上げられたり追求されることはありませんが、すでに死刑執行された死刑囚の中にも精確度の低い旧DNA鑑定を元にした判決を受けた人もいるそうです。真相は確かめられていませんが、もし無実の人が死刑執行されていたとしたら…。背筋が寒くなる重いです。
 検察の方々は、取調べを受ける側の心理が全くわからないようですが、弱い立場の人の気持ちを想像でき、そして理解できる人こそが検察に限らず司法の世界に相応しいといえるように思います。
 検察が国民から信頼されないなら、本当の悪を見逃すことにもつながります。国民が不安にならないような検察になることを願っています。
 ところで…。
 昔から「判官贔屓」という言葉があるように人は弱い者を応援したくなる気持ちがあります。しかし、それも上っ面のことでしかなく、しかもそういう気持ちは長続きしないようです。もし、上っ面のことでなく本質として持っていたなら戦争など起こるはずがありません。しかし、人類が誕生して以来地球上で戦争がなかった期間はありません。いつもどこかで人が殺されています。人間が本質的に弱い人の気持ちをわかるなら戦争はなくなるでしょう。
 ただ、それでも問題があります。それは「誰が、弱者か?」という難問です。悪い人間は上手に弱者を装いますから…。
 じゃ、また。




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