<人の上に人を作らず>

pressココロ上




 先週の東京12チャンネル「ルビコンの決断」をご覧になったでしょうか。ユニクロを取り上げていました。昨今の不景気の中、ひとり快進撃を続けているユニクロですが、その快進撃となった時代のことをドラマにして再現していました。あの番組を見てユニクロが「大きく成長した理由がわかった」という人も多いでしょう。しかし、個人的には「ユニクロのごく一面しか伝えていない」という感想です。やはりテレビという限られた時間しか与えられていないメディアの限界のように思います。
 真にユニクロについて知りたい人は本を読むべきです。あの番組はユニクロ賞賛の内容でしたが、その賞賛が的を得ているかどうか、それを知るために賞賛以外のことを伝えている本や雑誌なども手にとってみましょう。賞賛本、批判本両方を読み自分自身の体験にも照らし合わせてユニクロの快進撃を捉えてほしいと思います。
 僕が番組の中で印象に残ったのは、まだメーカーから商品を仕入れていた当時の柳氏とメーカー担当者のやりとりです。販売価格まで指定し、あからさまに傲慢な態度を見せる担当者に対して考え込む場面です。そうした経験の中から柳氏は自社で製造することを決断したようでした。
 あの場面にはメーカーと小売業の力関係が表れていました。「なんなら、卸すのをやめてもいいんですよ」というメーカー担当者の言葉に上下関係が凝縮されていました。
 僕はこのコラムでメーカーと小売業の力関係、もしくは上下関係や対立について書いていますが、元々はメーカーの力が強く小売業界はつけたしのような存在でしかありませんでした。そうした状況から脱皮しようと小売業界はチェーン展開を始めるのですが、力を持つことは価格決定権において大きな要因です。
 メーカーと小売業の力関係はそれぞれの企業規模や商品力などで様々です。創業時のユニクロのように、小売業としての規模が小さいとき、または商品力が強大なときはメーカーが上の関係になります。
 反対に、小売業の規模が大きいときは小売業が上となりますし、その力を利用して卸値の値下げや協賛金を要請したりします。以前紹介しましたが、篠崎屋という豆腐屋さんは大手チェーンの理不尽な卸値値下げ要求に反発して独自の販売ルートを開拓したほどです。
 このようにそのときどきで関係が上になったり下になったりするわけですが、上になったからといって「ここぞとばかり」強気な態度をとってよいというわけではありません。上になったとしても取引先と良好な関係を築くことが将来的によい結果をもたらします。
 例えば、ヨーカドーの創業者である伊藤氏は納品業者と対するときは「足を組んではいけない」とか、ニンテンドーの創業者である山内氏は品切れが続出するほと絶好調のときでも小売業者に対して謙虚で丁寧な対応をするように指示を出していました。
 しかし、ビジネス関係において上下関係があるのは眼前とした事実です。そんな中、名経営者の高邁な指針に反して傲慢な姿勢をとってしまう一社員がいても不思議ではありません。下の立場にいる人たちが低姿勢でおべっかなどを使いチヤホヤしますからつい偉そうな姿勢をとってしまいます。そして自分の立場を自分の実力と勘違いするものです。
 人間は誰しもおだてられるとつい錯覚を起こし、気がつかない間に傲慢な態度をとっていまいがちです。しかし、ビジネスにおける上下関係もいつ逆転するかもしれません。いつ逆転してもいいように常に謙虚でいなければいけません。
 いえいえ、違います。立場が逆転するか否かではなく、本来ビジネスには上下関係などあるはずもないのです。「立場が逆転するかもしれないから」謙虚でなくてはならない、というのではありません。それでは人としてあまりにさもしい感じがします。そうではなく、人として対等であることがよりよい関係を築くことができると考えるべきです。よい関係のないところに価値あるビジネスなどあり得るはずがありません。
 片方が極端に我慢を強いられている関係は不健全であり、長続きがしないものです。これはビジネスに限ったことではなくプライベートな人間関係においても同様です。不健全な関係はいつか破綻し気まずい不愉快な傷跡だけが残ります。人と人が相対するときそこに上下関係があるなら「よりよい関係」など結べるはずもなく、そこからは「よい結果」など望めるはずもありません。
 そうした目で行政刷新会議を見ますと、仕分け人の方々の姿勢に疑問を感じます。高圧的で傲慢な口調は不快感を与えます。まるで自分たちが正義の使者であるかのような断定的な物言いは傍から見ていて気持ちのいいものではありません。基本的に僕は官僚に批判的ですが、行政刷新会議においてはつい官僚の人たちを応援したくなってしまいます。これが本当の「半官びいき」というものでしょうか。
 本来、行政刷新会議は効率的な予算配分を決めるのが目的ですからいろいろな意見を調整する場のはずです。決して仕分け人が上で官僚が下という関係ではないはずです。一見無駄と思える官僚が考える予算も仕分け人ではなくほかの立場の人からすると意義のある予算である可能性もあります。それにも関わらず、自分たちだけの意見が正しいような一部の仕分け人の方々の傲慢な物言いには不快感しか残りません。
 せっかく画期的な行政刷新会議が行われるのですから、有意義なものにするためにも是非とも仕分け人の方々の姿勢を改めてほしいものです。
 それにしても刷新会議で気になることがあります。刷新会議の事務局にいる加藤氏や片山氏の名前が新聞に出てこないのはなぜなのでしょう。なんか意図があるのかしらん…。
 ところで…。
 人と人の関係において上下関係は好ましくありませんが夫婦も同じです。近年、熟年離婚が言われていますが、これなども夫婦における上下関係が原因ではないでしょうか。夫にしろ妻にしろ、長い間下の立場にいた側が我慢を強いられていた鬱憤が爆発した結果です。夫婦という関係は対等であるべきです。ときには上下関係が生じる場面もあるでしょうが、それも一時的なもので全体をトータルした場合上下関係などない夫婦が末永く続くような気がします。
 ウチなんて、毎日ではありませんが、夜になると組んず解れつ(くんずほぐれつ)上下が入れ替わります。
 あら!? 今週のオチはエッチ!!
 じゃ、また。




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