<武士の一分>

pressココロ上




 事業行政刷新会議の仕分け会議は全体的に概ね好評だったようですが、その結果に対しては業界や団体などからさまざまな反響がありました。仕分け人により補助金が削減されたり最悪のケースでは打ち切りの判定をされた業界・団体は反論の記者会見などを開きもしていました。
 真っ先に記者会見を開いたのはノーベル賞を受賞した科学者の方々です。この方々は記者会見だけでは事足りず鳩山首相に直訴までしています。それ以外にもスポーツ界ではオリンピックメダリストの方々や学校界では一流大学の学長、また医療関係者の方々も反論記者会見を開いています。
 このような反応を見ていますと、今まではいったいどのようにして自分たち団体の補助金獲得を訴えていたのか気になります。これまで予算が決まる過程でこのような記者会見など開かれたことがないからです。国民が知るのは予算が決まったあとの総額をマスコミで知るくらいでその詳細の決まり方を知らされることはありませんでした。その意味で公に反論せざるを得なくなった現状は、まさに仕分け会議の真骨頂を見る思いです。
 国民には知らされていませんでしたが、たぶん過去においては業界や団体出身の国会議員、もしくは応援している議員に補助金獲得を陳情し、陳情された議員が官僚や有力議員に要請していたのでしょう。そこに族議員が生まれ収賄が発生する隙ができたように思います。仕分け会議という公開された場で議論討論されることは隙にできるこのいかがわしい芽を絶つことにつながります。
 いかがわしい芽を摘むのに仕分け会議は有効ですが、各業界や各団体が自分たちの存在価値を訴える必要があるのはこれまでと変わりありません。皆が全員、自分たちの重要性を訴えていますが、予算には限りがありますので全てが受け入れられるはずはありません。必ずどこかが削減もしくは打ち切りを求められることになります。
 元来、日本人は自己アピールが下手な民族と言われてきました。自己主張を強くする欧米人と違い謙虚さを美徳とする日本人特有の性質も影響しているように思います。僕はこの特質を嫌いではありません。あまりに強く自己主張を叫ぶ人を見るのは違和感を持ちます。
 そうした目で反論記者会見を開いたノーベル賞学者の方々やオリンピックメダリストの方々を見ますと、幾分冷めた気分にもなります。自らの存在価値の重要性を主張する奥底には特権意識が透けて見えるように感じるからです。
*以下の文は以前にも紹介したことがあるのですが、僕にとってはとても心に引っかかることでしたので再度書かせていただきます。
 以前、ある高名なジャーナリストの本を読んだことがあります。その本の中に次のような一文がありました。
「ジャーナリストは普通の仕事とは違うから…」
 僕の記憶では、再販制度について触れている箇所で書かれていたように思います。つまりジャーナリストという仕事は一般の仕事とは違い、高尚な職種だから再販制度が認められて当然である、といった内容でした。
 僕はこの一文がとても気になっていました。なぜ、ジャーナリストだけが普通の仕事とは違い特別扱いされなければいけないのでしょう。<自分たちは特別だ>と思っている人に普通の仕事をし、普通の生活をしている人たちの気持ちが理解きるのでしょうか。そこには特権意識が潜在しているように思えます。
 先週の新聞に郵便局について書かれた投稿が載っていました。実は、先週に限らず郵便局民営化実施後に定期的に載っているのですが、内容は「民営化されたあとの郵便局が不便になった」というものです。
 郵便局が民営化されかつての郵便局は4つの会社に分かれましたが、分かれたことによって、今まで一度で済んでいた用事が二度手間になったというような指摘がほとんどです。しかし、民営化とは国営と違い、さまざまな規制といった縛りがなくなり自由になることです。もし、本当に利用者にとって不便であったならいくらでも対処のしようがあるはずです。そうした工夫をせず、全て民営化のせいにするのは本末転倒というものです。
 よく聞く民営化反対論に「民営化されると採算がとれない事業は廃止される」という意見があります。しかし、採算がとれない事業を国営化によって無理して継続するなら赤字の分は税金から埋め合わせることになります。その税金にも限りがありますからどこかに使う予定であった税金が減らされる、もしくは廃止されることを意味します。結果的にどこかにシワ寄せが行くことになってしまいます。
 このように考えるとき、自分たちが便利さを求めることはほかの人の便利さを奪うことでもあります。理想の社会は、全員が好きなだけ便利さを享受できることですが、それは現実的はありません。そうであるなら皆が少しずつ自らの不便さを受け入れる度量が求められます。
 補助金についても同様です。皆が「自分たちの仕事はなくてはならない」と主張することは、税金には限りがあるのですから、自分たち以外の業界・団体に我慢・損失を強いることです。このようなケチな考えになるのではなく、ここは一つ自分たちが必要なお金は自分たちで賄うくらいの気概を持って欲しいものです。
 有名な科学者の方々や著名なスポーツ選手、一流の頭脳を持った大学の学長の方々こそ、自分たちの存在価値を主張するのではなく、補助金を当てにせずにほかの業界団体に譲るくらいの謙虚さがあってもよいのではないでしょうか。
 キムタクはどんなに貧乏しようが武士としての自らの誇りを守り通していました。
 ところで…。
 先日、スーパーの食糧品売り場のタバコ自動販売機でタバコを買おうとしたときのことです。僕が自販機の前に行くと、50才半ばの女性が自販機にお札を入れるところでした。見た感じは小奇麗で上品な雰囲気を漂わせた女性でした。女性はあまり自販機で買うことに慣れていないようすでお札を入れたあと少し戸惑っている感じがしていました。それでも自分の銘柄を探しボタンを押しました。すると当然ですが、自販機からタスポを求める声が聞こえてきました。その声を聞いて女性は戸惑いがちにひとり言のようにつぶやきました。
「あっ、タスポがいるのね」
 女性がどうしてよいか迷っているのがわかりましたので、僕は声をかけました。
「僕のタスポをお貸ししましょうか?」
「えっ、あ、そうですか。よろしいですか? …すみません」
 僕はポケットからタスポを取り出し自販機にかざそうとしたのですが、その前に女性に尋ねました。
「あの、二十歳を越えてますよね」
 そのときの女性のうれしそうに笑った顔が忘れられません。
 じゃ、また。




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