<パンドラの箱>

pressココロ上




 僕は小さい頃から「落ち着きがない」とか「おっちょこちょい」とか「早とちり」などといった短所がありましたが、オジさんになった今でも変わりありません。人間の性格とは、そう簡単に矯正できるものではないようです。
 そんな僕ですので、店でのミスはやはりあります。前にも書きましたが、お釣り間違えや商品の入れ間違えなどです。その場で妻に指摘されたりお客様に訂正されたりしたときは謝罪してことなきを得ますが、問題はお客様が帰ったあとに気がついたときです。
 昨年の夏、若い男性に商品を入れ間違えてしまったことがあります。男性が帰ったあとに気がつきましてので、次回に来たときに謝ったのですが、そのときの男性の対応が僕を感激させました。
 そのとき僕はこう言いました。
「前回のとき、注文された商品と違うのを入れてしまったんですけど、おわかりになりますか?」
 男性はちょっと上目遣いになり、間をおいて
「ああ、なんかそうかもしれない…」
 男性は僕に言われるまで僕のミスを言うつもりはなかったようでした。僕に言われても怒るわけでもなく、反対に済まなさそうに答えてくれました。昨今「モンスターカスタマー」が世の中を跋扈している中、僕には仏様のように思えました。「エンゼルカスタマー」です。僕がおまけしたのは言うまでもありません。
 昨年末、中年女性が買いに来たときにも僕はミスをしてしまいました。そのときのミスは商品の「入れ忘れ」です。注文した商品を1個入れ忘れてしまったのです。この女性が次に来たのは年も改まった先週です。ですから約1ヶ月後ということになります。このようにあまり間隔が開いてしまうと、僕は自分のミスを謝っていいものか悩みます。もしかしたなら「今更言われても…」と反感を買うことにもなりかねません。
 悩んだ末、結局帰り際に「実は、1ヶ月前にいらしたときに…」と話しかけました。
 僕には特技があります。それは人の顔を覚えることです。なぜかわからないのですが、一度見た顔は忘れないのです。文章とか数字などを覚えるのは苦手なのですが、顔などのような映像関係は頭の中にすぐにインプットできるようです。この特技のおかげで僕は女性に謝ることができたわけです。
 このときの女性の反応は次のような言葉でした。
「ああ、私が自分で言い間違えたのかと思って…」
 僕には、女性の言葉が真実を話しているようには感じられませんでした。女性は明らかに「僕がミスした」ことをわかっていたはずです。僕が感動したのもわかっていただけるでしょう。
 今回紹介しました二人の方は、どちらも僕が申告しなかったなら自分からクレームを言うつもりはなかったでしょう。自分が損をするにも関わらず、敢えてそれを受け入れるどころか、さらに相手を気遣う心積もりまで持っていました。わずか数十円、数百円のことですが、自分の損を受け入れるには寛容な気持ちがなければできないことです。
 沖縄の米軍普天間基地の移設問題が揺れています。自民党時代に米国と合意していた辺野古への移設が白紙に戻りそうな気配です。先日の名護市の市長選挙ではとうとう移設受け入れ反対派が当選してしまいました。鳩山首相は5月までに結論を出すと言っていますが、可能なのでしょうか。
 基本的に、僕は米軍基地の75%が沖縄に集中していることで沖縄の方々に対して申し訳ない気持ちを感じています。日米安保は維持しなければいけないと思いますし、そのために日米安保の負の面を沖縄だけに押しつけているからです。本来なら、日本国民全員で受け入れるべき性質のものです。それを過去の歴史があったとはいえ沖縄だけに押しつけているのは正しいあり方ではありません。
 それを踏まえたうえでなお、鳩山政権は辺野古移転を見直すべきではなかったと思います。自民党時代においても普天間基地問題は憂慮されていました。辺野古移転も決して、安易に決めたたわけではなかったはずです。米国の意向も鑑みながら沖縄県民への負担も考慮に入れながら苦慮に苦慮を重ね長い年月を経てようやっと辺野古に決まったのではないでしょうか。だからこそ、沖縄に対して経済的援助をしてきたのですし、いろいろな面で、さまざまなやり方で米国と対話をしてきたと思います。
 民主主義に完璧はありません。
「民主主義は最悪のシステムだ。 しかし、それ以外のどのシステムよりもましだ」
と喝破したのはチャーチルですが、誰もが納得する解決策などあるはずがありません。沖縄に米軍基地の75%があることは決して公平なことではありませんが、誰かが損な役回りを受け持たなくてはならないのが現実です。沖縄の全県民の方々が受け入れを容認しているわけでないのが現実ですが、その中でやっと決まった流れが辺野古です。反対の方々の気持ちを押さえ込むのにも大変な労力が必要だったはずです。例えて言えば、反対派の方々の気持ちをパンドラの箱に押し込めて実現できた辺野古です。鳩山政権はそのパンドラの箱を開けてしまいました。
 一度パンドラの箱を開けてしまうと、あとは収拾がつかなくなってしまいます。それまで無理をしてパンドラの箱に押し込めていた本当の気持ちが飛び出してきてしまいます。ここにきて、米軍基地問題の大元である沖縄に米軍基地があることへの不満さえ大きな声として沖縄から聞こえてくるようになりました。
 どれほど正論であっても、実現できなければ意味がありません。「正論」が意味を持たないのと同じです。鳩山政権は落としどころをどこにするつもりなのでしょう。単に選挙対策用、または人気取りのためだけに辺野古見直しを掲げたのなら、あまりに大きな代償です。まかり間違うと日米関係が危機に瀕する可能性もあります。鳩山首相は「5月までに」と話していますが、パンドラの箱には災難と苦悩しか入っていないことを自覚するべきです。
 ところで…。
 先週、気になったのは「検察リーク」という言葉です。僕もたびたびこのコラムで使っていますが、先週はやけにマスコミが強く反応していたように感じました。
 「検察リークなどあり得ない」と検察はもちろんマスコミまでが大合唱していましたが、取調べ室という箱のなかでの容疑者と検察官のやりとりの内容がマスコミで報じられるのは両者のどちらかが漏らさない限りあり得ません。容疑者が新聞記者と接触することは不可能ですから自ずと答えはわかろうというものです。
 新聞には「検察が本気でリークをしたら…」などと自らの力の強大さを誇示するかのような検察官の言葉が紹介されていました。また、「記者は検察リークなどではなく、自分たちの地道な努力で情報を得ている」とも書いてありました。このように両者が口裏を合わせたような発言がありますと、反対に両者が通じ合っている印象を持ってしまいます。
 その取調室の箱の中を開けようとする動きがあります。取調べ可視化の実現を目指す議員が集まりました。幾度も書いていますが、僕は取調べ可視化に賛成です。もし、検察が反対する理由が「取調べに支障をきたす」というなら、「開けた」くらいで起訴に持ち込めない事件ならそもそも起訴すべきではありません。刑事裁判の基本は「疑わしくは罰せず」のはずです。
 じゃ、また。




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