<行列>

pressココロ上




 詳しくないけど、テレビの話をしようかな…。
 たまたま見たテレビに島田伸助さんがゲストとして出ていました。最近の伸助さんは売れっ子に「超」がつくほどの活躍ぶりで、MCを務めるたくさんの番組を持っています。その伸助さんがまた新たに番組を始めるようで、その番組宣伝に出演していました。テレビ局にしてみますと、伸助さんを使うことで高視聴率を目論んでいるのでしょうが、僕などはあまりの多くの番組出演はしらけた気分になってしまいます。どこのチャンネルを回しても同じ顔ぶれでは視聴者は飽きてくる、という発想はテレビ局の方々はないのでしょうか。
 そもそも人気のあるMCを据えることで番組の視聴率を獲得しようという発想はあまりに安易です。最近のテレビは視聴率の低迷が言われていますが、こうした安易さにも原因があるように思います。
 その伸助さんで、僕には印象に残っている番組の一場面があります。
 今からかれこれ20年くらい前のことですが、当時伸助さんは深夜にトーク番組をやっていました。「さんまのまんま」と同じような番組で、いろいろなゲストを迎えてトークをする番組です。当時でも、今ほどではありませんが、伸助さんは東京でも人気がありました。
 ある週に、ちょうど「これから東京に進出しようか」というダウンタウンが出演しました。その頃のダウンタウンは関西では人気があったようですが、まだ東京ではあまり知られていないときです。その番組の最後に松本さんが伸助さんにこう尋ねました。
「兄さん、東京で成功するにはどうやればよろしいか教えてもらえまへんか?」(この関西弁はうろ覚えですので正しくないかもしれません:笑)
 伸助さんが答えました。
「あのな、今、さんまが人気絶頂で先頭を走っとるやろ。先頭っちゅうのは風当たりも強いし大変なんや。そやから俺はな、そのさんまのうしろを風が当たらないように走ってんねん」(この関西弁も同上:笑)
 この発言を聞いて、ダウンタウンの二人は大笑いをしたのですが、当時、既にさんまさんは東京でもお笑い界の一角を占めるほど人気があったのです。伸助さんは、そのさんまさんを笑いのネタにしつつも本心を語った、という感じがしました。この伸助さんのアドバイスが功を奏したかどうかはわかりませんが、その後東京に進出してからのダウンタウンの活躍ぶりは皆さんご存知のとおりです。
 伸助さんのアドバイスがダウンタウンに役立ったかどうかはともかく、その頃から、伸助さんが芸能界での自分の位置を冷静に分析し、そしてどのように動けばいいかをしっかりと見極めていたことはわかります。そうした鋭さが今の伸助さんの大成功につながっているのではないでしょうか。
 その伸助さんは「行列のできる法律相談」という番組を持っていますが、この「行列」という言葉を使ったところに時代を見つめる鋭い感性を感じます。「行列」は今の時代のキーワードです。
 一般の人が「行列」と聞いて思い浮かべるのは、やはり飲食店でしょう。「行列のできるラーメン店」とか「行列のできるパン屋さん」などマスコミで多く取り上げることが多いからです。全国に「行列のできる」お店はいろいろとありますが、それらのお店には共通する特徴があります。それは、「行列に並んでいる人に地元の人はいない」ことです。このことは裏を返すなら、「地元では不人気であること」を表します。「地元では」が言い過ぎであるなら、「近所では」としましょうか。
 理由は簡単です。「迷惑」だからです。皆さんも考えてみてください。自分の住宅の近くに行列ができるお店があったならどれほど「迷惑」か。行列に並ぶ人たちは「食べる」こと、「買う」ことが目的ですから、周りの住民や商店のことまで配慮が行き届かないことがほとんどです。タバコの吸殻やゴミの投げ捨て、騒音など周りの人たちにとっては迷惑この上ない行為を平気でします。路上駐車もあるでしょう。自宅の玄関前に見ず知らずの人に車を停められたなら不快感を持って当然です。こうした迷惑行為をする人たちは、「自分ひとりくらい」ならと思っているものです。しかし、「自分ひとりくらい」と思っている人がたくさんいたなら、決して「ひとり」ではなく大勢になってしまいます。行列ができるお店が「隣近所」もしくは「地元」では不人気であるケースが多いことを理解していただけると思います。
 僕は休憩時間にラジオを聞いていますが、先月、久米さんの番組に、名前は忘れましたが、有名なプロのバレェダンサーが出演していました。その方はロシアのモスクワ劇団でも修行をしたことがあるらしく修行時代の話もしていました。話の中で、国家が文化に対して果たす役割について語っていました。日本という国は文化に対する国家の理解・援助が少ないそうです。
 例えば、ロシアでは、ソ連崩壊後の混乱期、どんなに財政的に苦しくともバレェに対する予算が削られることはなく、国民もそうした措置を理解していたそうです。それに比べて日本では、国家国民ともに文化に対して理解を示さないことを嘆いていました。
 僕はこの話を聞いていて、日本のテレビ視聴率を思い浮かべました。全く関係ないようですが、まぁ聞いてください。
 ロシアにおいて、どんなに国が貧乏になろうがバレェに対して国民が支持をする、ということは「選択の幅が少ないからではないか」と僕は考えたのです。もっと多様化が進み、バレェ以外にもいろいろな文化があったなら、国民はもっと違う意見を言うかもしれません。例えば「バレェにばかり国の予算を使うな」と。
 このダンサーの方は「日本に比べてロシアが文化に対して理解を示していること」を賞賛していたわけですが、僕からしてみますと、それは単に選択の幅が少ないことによる偏った結果であるように思えるのです。
 日本は以前に比べ、どのテレビ番組も視聴率が低迷していますが、これはメディアが多様化した結果です。つまり、それだけ以前に比べ選択の幅が広がったことを示しています。一部の識者が言うように、確かに番組の質が落ちたこともあるでしょう。しかし、それと伴にメディアの多様化も大きな要因です。そして、メディアの多様化は「社会の健全度」を計るバローメーターにもなります。
 つまり、視聴率が全般的に低いということは、「社会が健全であること」も示していることになります。視聴率をお店で考えてみますと来店客数です。そして行列は高視聴率と同じ意味です。ということは、行列ができる店は高視聴率をとっている番組と同じです。このように考えますと、行列ができる社会は好ましい社会ではないように思えます。
 文中で「行列に並ぶお客様に近隣者はいない」と書きました。このことはつまり行列に並んでいる方が遠方者であることを意味します。遠方者はマスコミなど情報によって店の存在を知ります。つまり、行列に並んでいる人は情報に振り回されている人たちです。
 かつてナチスが台頭したとき、ドイツ国民は圧倒的な支持をしました。「行列ができる」「高視聴率を得る」ことと同じ現象です。大衆が圧倒的な支持をしている状況は、過ちを正す機会を逸することになりやすくなります。このように考えますと、圧倒的な支持が起きている状況は社会が健全でないことを表していることかもしれません。
 行列ができるお店や高視聴率を得ている番組が存在する社会は、健全ではありません。
 …とまぁ、このように論考したのですが、いかがでしょう。
 ところで…。
 鳩山政権による事業仕分け第2弾が始まりました。今回は独立行政法人が対象ですが、仕分け作業がきちんと機能するかどうかは別にして、独立行政法人という組織に注目が集まったことに大きな意義があります。
 思い起こせば、今から20年ほど前、当時の日経連会長・鈴木永二氏がNHKで独立行政法人の無駄さを必死に訴えていました。つまるところ、あれから20年間全く変わっていなかったことになります。今度こそ、幾らかでも独立行政法人の改革が行われることを期待しています。
 事業仕分けは鳩山内閣になったからこそできたわけですから、鳩山政権になった意義はあります。しかし、最近の鳩山政権を取り巻く政治状況を見ていますと「行き詰まり感」が見て取れる場面が多くなっています。
 普天間基地問題では錯綜していますし、高速道路料金でも同様です。しかも、国会で鳩山首相は「職を賭す」とまで言い切ってしまいました。この発言を聞いて僕は、鳩山氏は辞める気持ちに傾いているのではないか、と想像しました。実際問題として、今の状況で普天間問題が解決するとは思えません。そうした中で、「職を賭す」という発言は、辞めるための大義名分を作ったように感じたのです。
 これだけ支持率が下がりますと、鳩山さんが辞めたくなる気持ちもわかります。でも、支持率が下がることは悪いことばかりではありません。なにしろ、圧倒的な支持が生じる社会は健全な社会ではないのですから…。
 じゃ、また。




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