<転換点>

pressココロ上




 W杯サッカー・パラグアイ戦の視聴率が50%を越えたようで、国民の注目度がいかに高かったかがわかります。僕も、リアルタイムで見ることができました。試合をリアルタイムで見たのは久しぶりでしたが、やはり結果がわからない状況で見るのと、結果がわかっていてニュースなどで見るのとでは、気持ちの張りが違います。
 それにしても、負けたとはいえ日本代表の頑張りは素晴らしいものがありました。先週も書きましたが、前評判が今イチでしたので余計に奮闘ぶりが際立ちました。マスコミの論調も好意的な評価が占めましたが、これも全て予選リーグの初戦カメルーン戦に勝利したことが大きな要因のように思います。もし、初戦で負けていたなら日本代表に対する評価も散々な結果に終わっていたでしょうし、それ以前に、W杯への盛り上がりもこれほど大きくはならなかったでしょう。初戦で勝利したからこそ、2戦目のオランダに負けてもそれほど批判に晒されることなく、予選の最終戦デンマーク戦に期待が高まったというものです。予選最終戦の時点では既に日本代表に対する好意的な流れがマスコミを始め全体的にできており、そのうえ予選最終戦に勝利してでの決勝トーナメント進出でしたから、決勝トーナメントでの勝ち負けはそれほど重要ではなかったのではないかと思います。やはりなんと言っても、今回の日本代表に対する評価の流れを決めたのは初戦です。初戦の勝利が大きな転換点でした。
 僕はサッカーフリークと言えるほどのファンではなく、普通のファンに過ぎませんので、ゲームキャプテンを務めていた長谷部選手を知りませんでした。海外へ移籍したうちの一人、という程度の認識しかありませんでした。しかし、今大会における長谷部選手の存在感は大きなものがあり、もしW杯がこれほど盛り上がらなかったなら長谷部選手に注目することもなかったでしょう。
 僕の記憶では、本大会前までゲームキャプテンは中沢選手だったように思いますが、いつのまにか長谷部選手に代わっていた印象です。新聞報道では、本大会直前に正式にゲームキャプテンに任命されたそうですが、この交代についてマスコミはあまり大きく取り上げませんでした。しかし、週刊誌の見出し的に考えるなら、ゲームキャプテンの交代は大きな出来事のはずで、選手間の対立などが囁かれてもおかしくはありません。ですが、そういう醜聞が流れることなくゲームキャプテンの交代がスムーズに行われていたのですから、選手の誰もが認める交代だったことが窺い知れます。
 たぶん、長谷部選手のゲームキャプテン就任はその人柄によるところが大きいように思います。人柄というよりも人格といった言葉のほうが適切なような感じがしますが、インタビューなどの受け答えを見ていますと、キャプテンに任命されたのも頷けるというものでした。代表に選ばれる選手たちはそれぞれの所属するチームでは主要な立場にいる選手のはずで、当然技術的にも精神的に普通の選手よりは「抜きん出ている」という自負もある人たちです。それほどの選手たちから認められての就任ですから、どれほど素晴らしい人格の持ち主であるか想像に難くありません。
 人格の素晴らしさとともに、僕が驚かされたのは26才という年齢でした。代表の年齢の中では下のほうに位置するのではないでしょうか。そうしたことを考えますと、長谷部選手の評価がさらに高まろうというものです。
 普通に考えて、年齢が下の者がチームを取りまとめる立場にいるには能力や人格だけでは足りないように思います。それ以上に、他人を惹きつける「なにか」が必要なはずです。その「なにか」を具体的に表す言葉を持ち合わせていませんが、敢えて言うなら「魅力」でしょうか。能力や人格を上回る人間的「魅力」があったからこそ長谷部選手はキャプテンを務めることができたのでしょう。
 長谷部選手の素晴らしさを考えるとき、忘れてはならないのは、先週書きましたチーム和ークです。チーム和ークがよいことが年齢が若い長谷部選手がキャプテンを務められた大きな要因です。チーム和ークのよさは帰国後の記者会見にも表れていました。
 記者会見の最後に、岡田監督が今野選手にマイクを振り今野選手が闘莉王選手の物真似をしたとき、そのときのほかの選手たちの屈託のない笑顔と楽しそうな表情にチームワークのよさが表れていました。どんな種類であろうとも、ある一定の人数があつまった集団ではチーム和ークが最も大切です。
 翻って、民主党。
 現在の民主党を見ていますと、間違ってもチーム和ークがいいとは見えません。小沢氏と反小沢氏の対立がマスコミで報じられていますが、僕は鳩山首相が退陣したときに、小沢氏が「第一線を退く」と予想をしました。しかし、最近の小沢氏の行動は僕の予想をあざ笑うかのように執行部批判を繰り返しています。結局、僕の予想ははずれたようですが、民主党は今回の参議院選をどのように戦うのでしょう。
 かつて、小泉首相は反小泉勢力を抵抗勢力と位置付け、対立の構図を自民党内に作ることで世間の注目を自民党に集めました。本来、自民党内の対立は、自民党には不利に働いてもおかしくない構図で、自民党が惨敗してもおかしくなかったはずです。しかし、対立を強調し自民党に国民の注目を集めることで、逆に自民党を勝利に導きました。つまり、野党の存在を霞ませる効果があったことになります。さらに、その力により党内における自らの力も増すことに成功しました。
 今回の民主党の小沢対反小沢の対立も、穿った見方をするなら、小泉戦法と似てなくもありません。小泉首相が抵抗勢力との対立を強調し自民党に注目を集めたように、小沢対反小沢で民主党に注目を集める作戦の可能性もなきにしもあらずです。
 仮に、そうした意図が菅執行部にあるのなら、菅執行部は考え違いをしているように私には思えます。なにが違うかと言えば、一番大きな要因は小泉氏のようにヒーローになり得る舞台が整っていないことです。ヒーローとは、大きな悪にたった一人で立ち向かう勇者といったイメージですが、現在の民主党内における菅氏はそういった状況にありません。小泉氏がもし派閥の領袖の立場で反対勢力を抵抗勢力と位置づけ、自民党内に対立構図を作っていたなら、単に自民党内の派閥争いという印象にしか国民には映らなかったでしょう。そのようは状況では、「自民党をぶっ壊す」などというフレーズは空虚な響きにしか聞こえなかったと思います。
 同じように、今の民主党で小沢対反小沢はグループ同士の争いにしか国民には映りません。決して小泉氏のときのようなうねりは起きないでしょう。つまり、民主党が圧勝することはないということです。やはり、政党という集団ではチーム和ークが求められます。今のように、菅執行部と小沢氏との対立が激化していては国民は民主党に期待することを躊躇するのではないでしょうか。
 選挙結果によっては、今回の選挙が民主党の転換点になる可能性が高いと思います。そして、転換点になるかどうかは国民の投票にかかっています。皆さん、是非とも選挙には行きましょう。いえいえ、必ず投票しましょう。投票もしないで政治家を批判する人が僕は嫌いです。
 ところで…。
 W杯の今大会でも、審判の誤審が問題になっています。誤審により不利を被ったイギリスなどにFIFAの会長が謝罪したそうですが、野球などと違い試合が止まる時間が少ないサッカーではビデオ判定を導入することもままならず、今後も誤審を防ぐのは難しいように思います。
 誤審は過去にも問題になったことは幾多もあり、今大会でもその言動でマスコミの注目を集めているマラドーナ監督は、現役時代、「神の手」と言われる技(?)を披露しています。普通の選手であれば単なる「ハンド」というルール違反ですが、マラドーナ選手ほどになると「神の手」となります。
 「ハンド」と「神の手」の差は、まさに「紙」ならぬ「神一重」でしょうが、つまりは「神」と周囲から認められる存在であるかどうかです。「ハンド」が「神の手」になるには、それ相応の転換点が必要です。マラドーナ選手は「5人抜き」のあとにゴールを決める、という超美技の転換点がありました。それなくして「神の手」はありえなかったでしょう。
 このように「ハンド」が「神の手」になるには、誰もが賛辞を送る転換点を通過する必要があります。ですが、転換点の先の進むべき道もとても重要です。進むべき道を間違ってしまうなら、その先に待っているのは「神の手」ではなく「悪魔の手」ということもあります。皆さん、くれぐれも気をつけましょう。
 じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする