<立ち位置>

pressココロ上




 このコラムを書いている時点では、参院選の結果が判明していませんが、先週は候補者を応援する人が幾人か訪問しました。僕はいつも「浮動票」の立ち位置ですので、そのときどきで投票を決めています。しかし、投票する際の基準は決めていまして、それはある一定の方向に偏り過ぎないことです。政治に100%正しい政策はあり得ないと思っていますので、そのときどきにより支持する政党および政治家を変えています。ですから、いろいろな候補者の話を聞くにしても、その際は先入観を持たず中立の立場で聞くことを心がけています。
 僕が中立の立場でいることにこだわるのにはもちろん理由があります。それは、与えられる情報を正確に捉えたいからです。せっかくたくさんの情報に接することができたとしても、その情報を得るときの立ち位置がある一方に偏っていたならその情報を正確に理解することはできません。当然、正確に情報を理解していないのでは正しい判断などできません。そして、その情報には2種類ある、と僕は思っています。
 2種類とは、1つは「中立な情報」で、あと1つは「主義・主張のある情報」です。例を上げるとすれば、前者はマスコミが発する情報であり、後者は政党や政治家が発する情報です。精緻に考えるなら、マスコミも100%中立とは言い難いですが、政党などが発する情報よりは中立というフィルターがかかっているように思います。ですが、マスコミの中立フィルターにも限界がありますから、そこから先は、個人個人でフィルターをかけるよりほかはないように思います。
 選挙が行われる際に、必ず出てくる言葉に「組織票」があります。僕はこれまでにも幾度か組織票に対する疑問点を書いていますが、今週も書きます。
 組織票については、「どれだけ固められるかが当落の分かれ目」などと言い表されます。この表現からわかるように、組織票は「固める」もののようです。票に限らず「固められた」ものに選択の余地はありません。「固まっている」のですから、考えることさえ許されません。そのような投票のやり方で優れた政治家が選出されるはずもありません。
 ですから、僕は組織票に反対です。組織票の立ち位置は明確です。自分たちの組織が「有利になる」、「得をする」立ち位置です。しかし、この立ち位置が社会全般から見て公平でないことは明らかです。例えば、建設業界は自分たちの業界が栄えることだけを考えていますし、医師会は自分たちの収入が増えることだけを考えています。また、労働組合も同様です。組織票で当選した議員が組織の意向に逆らって議員活動をできないのは今の政治状況を見れば明らかです。もし、国民が自分たちの立ち位置だけに執心して投票するなら、歪んだ社会になってしまいます。もっと、日本全体を俯瞰する立ち位置で投票を考えてほしいものです。
 先日読みました「R25のつくりかた」(著:藤井大輔)はとても興味深い内容でした。皆さんも駅などで手にしたことがあると思いますが、リクルートが発行しているフリーペーパーです。フリーペーパーというからには「無料」ですが、雑誌を作る際の考え方に疑問を感じました。
 著者は編集長を務めた方のようですが、情報というものに対して偏った考えを持っているように感じました。「偏った」とは、もちろん企業側の立ち位置にです。
 文中に「記事と広告のタイアップ」という文言が出てきますが、本来「記事」と「広告」は区別しなければならないものです。なぜなら、「記事」は中立の立ち位置であることが求められますし、「広告」は企業サイドの立ち位置であることが求められる種類のものだからです。
 その相反する「記事」と「広告」をタイアップすることなどあってはならない、と僕は考えます。僕のこうした考えは、ラーメン店時代の経験が強く影響していますが、あたかもラーメン店を開業したなら誰でも儲かるかのような記事を載せているメディアを見ていたからです。テキストにも書いていますが、資金さえ用意できるなら開業は誰でもできます。ですが、儲けられる人は一握りの人であるのが現実です。そうした事実に触れることなく開業を勧めるメディアに不信感を持ちました。
 本来、フリーペーパーの内容は全て、「記事」ではなく「広告」と表現すべきものです。理由は「無料」であるからです。フリーペーパーの収入は企業から広告料を取ることのみで構成されています。そうしたフリーペーパーが中立でいられるわけはなく、内容は全て「広告」です。ですから、基本的に、「記事と広告のタイアップ」ということはあり得ません。
 情報の受け手は「記事」として読むときと、「広告」として読むときとでは受け取り方が違います。「記事」ならば事実と受け取るでしょうし、「広告」なら宣伝として受け取ります。この差を曖昧にすることは企業側に有利な状況を作り出します。つまり、受け手に正しい情報が伝わらないことになります。
 こうした歪んだ状況を生じさせないために「記事」と「広告」を明確に分けることは、情報の発信者としては当然の義務です。その意味で考えますと、「記事と広告のタイアップ」などはあってはならないこと、と僕は考えます。
 しかし、著者は「記事と広告のタイアップ」によって企業の売上げが伸びたことを捉え、「効果が高かった」と評しています。そこにはフリーペーパーとしての立ち位置に対する認識が欠如しています。
 僕はネットで情報を発信しており、そして、ネットで幾ばくかの「収入を得たい」と思い、テキストに広告を載せています。その際に意識することはやはり「立ち位置」です。僕のモットーは中立ですから、広告を載せることに躊躇いの気持ちもありました。広告を載せることは広告主側に立つことになり、中立の立ち位置を放棄することにつながる、と思ったからです。
 しかし、テキストの内容が中立な立ち位置を守っているならば、僕の躊躇いも解消されると考えました。理由は、僕のその立ち位置に賛同する広告主だけが広告を載せることになるからです。仮に、僕の中立の立ち位置に対して不快に思う企業があるなら、決して広告を載せないでしょう。
 選挙も同様です。立候補者は自らの立ち位置を表明して、その立ち位置に賛同する人がその立候補者に投票すればよいのです。それがたまたま組織票であるなら、その組織票は価値あるものですが、組織票を目当てに立ち位置を決めることは正しい立候補のあり方ではありません。ですから、大きな組織が組織票を頼みに立候補者を擁立するあり方は賛成できかねます。組織票をあてにした候補者擁立は多数決の、如いては民主主義のマイナス面が前面に出ることです。
 「完璧な民主主義はない」と言いますが、それぞれが立ち位置を明確に表明することが民主主義の第一歩です。
 ところで…。
 先週、W杯における日本代表が賞賛されている話を書きました。岡田監督が口にしていた「ベスト4」が達成されなくとも、賞賛される流れになったのは、一にも二にも初戦で勝利したことが大きな要因と書きました。その最初のきっかけは本田選手の先取点です。この先取点で日本は一気に団結が強まり、そして国民の好意的な流れができたと言ってもいいでしょう。
 大まかに言って、サッカーにおいて「うまい」「下手」を決める要因には2つあります。1つはテクニックです。トラップやドリブルなどボールを操る術に長けていたなら「うまい」と言われます。あと1つは、テクニックに比べて派手さはありませんが、ポジショニングが長けている「うまさ」もあります。自分の立ち位置の選択に優れていることです。相手の裏をかく、またはフリーになれる位置を見つける、などにより自チームに有利な展開を作る術です。日本選手で言えば、岡崎選手などがその最たる選手です。岡崎選手はボールを扱うテクニックには今一つの感がありますが、ポジショニングの感覚には優れたものがあり、それが岡崎選手をFWとして成功させています。
 本田選手が先取点を取ったときのポジショニングを覚えているでしょうか。右サイドから松井選手がセンタークロスを上げる前、最初、本田選手はゴール中央よりやや左寄りの位置で相手ディフェンスの中に埋もれており、決してフリーではありませんでした。それが、松井選手が上げる瞬間に、スルスルとディフェンスの間を潜り抜け、ゴール左隅、つまりディフェンスの後方に移動していました。まさに、その位置に移動していた本田選手の足元に松井選手のセンタークロスが届いたのでした。そして、その一瞬だけ、本田選手はフリーとなり、ゴールを決めることができました。
 この例は、いかにポジショニングが重要であるか、を教えています。自分の立ち位置如何でその後の展開がガラリと変わります。サッカーに限らず、立ち位置の選択はとても重要です。ですから、立ち位置を決めるときは、慎重に熟慮しなければなりません。一歩間違えると、そこは誰からも支持されない「絶ち位置」になっている可能性もあります。
 じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする