<「ら」と「れ」>

pressココロ上




 昨年の10月頃でしょうか、通勤途中のある場所に新しい飲食店が開店しました。その店構えは「独立して小さな飲食店を開きたい」と夢見ている人が好みそうな、また理想と感じそうな外観に造られています。広さといい内装の施し方といい、僕から見ても脱サラで始める店として満点に近い飲食店のような印象を持ちました。
 僕は店内に入ったことはありませんので、ガラス越しに見た推測だけで言いますと、広さは10坪弱、カウンター席が4~5席、4人掛けテーブルが2体、2人掛けテーブルが1体です。この坪数でこれだけの客席がありますから、当然厨房はとても狭い設計になっています。厨房内もガラス越しに見えますが、人ひとりがやっと通れるくらいの通路を挟んで前後にガス台やシンクなど厨房機器が横に並んでいます。厨房の広さは2坪弱くらいでしょうか。
 このお店、見れば見るほど、「新しく飲食店を開業したい」と考えている人が「理想的と思うお店」のように見えます。店主らしき男性は30代半ばで、店主のほかに20代と思しき女性が2名働いています。つまり、3人でお店を回していることになりますが、この広さで3人は「ちょっと多い」というのが僕の正直な感想です。もしかしたらなら、軌道に乗るまでの臨時態勢かもしれませんが、この人数でずっと続けるなら人件費が大きな負担になるのは間違いありません。
 次に、このお店の立地環境について説明しますと、駅からは大分離れており決して人通りが多いとは言えない場所です。しかし、車の通行量がそれなりにある交差点の角地に立地しており、目立つ場所ではあります。僕がこのお店の存在に気がついたのは、たまたま赤信号のときに立ち止まったときでした。僕のように赤信号で止まり、お店を知った人は多いでしょう。そうした中の幾人かが、「いつか行こう」と考え、お客様になってくれます。
 そのお店を見つけて以来、僕はその交差点で赤信号で止まったときは必ず店内を見るのが慣例になっています。そして、そのときのカウンター席に座っているお客さんの様子を見て、店主の気持ちを慮っています。
 「いますいます」、薀蓄を語っていそうな臭いをプンプン発した単独、もしくは女性同伴の中年男性が。このような男性は、大概、食べ終わったあとに、上半身を前のめりにして、片方の肘をテーブルに乗せ、肘から伸びた手のひらにあごを乗せ、ちょっと顔を右に傾け、表情は穏やかな笑みを浮かべ、まるで相談に乗っている占い師のような雰囲気を醸し出していることが多いものです。
 僕には、そのときの店主や女性従業員の方々の気苦労が手に取るように感じられます。店内は薄暗く落ち着いた雰囲気がしますので、たぶん、価格も高めの設定になっているでしょう。このようなお店は、ある意味、薀蓄を語りたがる人の格好の餌食となりやすい傾向があります。それを承知で開業したのなら問題はありませんが、単に「自分好みのお店」というだけでお店の雰囲気を作ったのだとしたら、その辛さ、息苦しさに戸惑っているのではないでしょうか。
 このように、お店を開くということは、ことのほか自分の考えていたこととは違う面で気苦労が多いものです。お店とはそのようなものですが、昨年11月頃に本屋さんのビジネスコーナーで興味を引かれる本を見つけました。題名は減速して生きる―ダウンシフターズです。題名からもある程度、本の趣旨が伝わりますが、この本は「ソコソコの儲けで善し」とすることを目指している方が書いた本です。「ソコソコの儲け」とは曖昧な表現ですが、つまりは「必死でなく、余裕を持って、少ない儲けでお店を営む」ことを指しています。仕事よりもプライベートを大切にする、重んじる生き方を選択した人生、と言っても差し支えないでしょう。
 今の時代は、お金至上主義が世の中に蔓延していますが、一方ではそれとは正反対の「お金より自分のペースで働く」生き方も支持されています。つまりは、お金や収入にあくせくするのではなく、また効率ばかりを追い求めるのではなく、人間らしい生き方を目指す考え方です。
 僕は昨年11月にこの本を本屋さんで見つけたとき、興味は持ちましたがこのコラムで紹介することまでは考えていませんでした。理由は、内容にちょっと違和感があったからです。しかし、年末に偶然にも新聞でこの本を肯定的に紹介していましたので、僕が感じた違和感について書くことにしました。
 この本の著者は6~7年前にオーガニックバーを開業し、その店のコンセプトは「ソコソコの儲け」のようです。無理をして朝から晩まで必死になって働いてボロボロの人生を送るのではなく、余裕を持って自分のペースでゆったりと仕事をして人生を楽しむことを目指しているようです。
 この店のコンセプトを僕流に理解するなら「売らない店」と言ってもいいように思います。「売らない」というと語弊があるかもしれません。確かに、言いすぎの部分もありますが、それでも「無理をしてたくさんは売らない」ことを目標にしているのですから、「売らない店」と捉えても間違いではないように思います。
 普通、お店を開業したときに一番に考えなければならないことは「売れる店」にすることです。「売れて」儲けを出さなければお店を続けることはできません。しかし、この本の著者はその反対の「売らない店」を目指しています。その理由はと言えば、昨今流行っている「人間らしい生き方」を求めているからです。この考えの根底には「儲ける」ことに走りすぎることへの反発があるように思えます。
 今から5~6年前、村上ファンド代表の村上世彰氏は逮捕される前の記者会見でこう言い放ちました
「お金儲けは悪いことですか?」
 村上氏はこの一言で社会全体を敵に回した感がありますが、僕は自営業者ですので、お金儲けを一概に悪いとは考えていません。「お金儲け」という言葉の響きからは悪い印象を感じますが、「お金を儲けることは悪いことではない」はずです。もし、お金を儲けなかったなら、お店を続けることはできません。この発想は、僕のような小さな自営業者だけに限りません。というよりは、自営業者以上に規模の大きな企業はお金儲けを第一に考える必要があります。理由は、雇用を守らなくてはいけないからです。もし、企業が儲けを考えなかったなら、どうやって従業員に給料を払うのでしょう。もちろん、給料だけではありませんが、いちいち指摘するまでもないでしょう。
 そうした資本主義社会での基本がわかったうえでの「売らない店」を目指すことは決して悪いことではありません。みんながみんな、同じようにお金儲けだけに邁進するのではなく、自分のペースで働き、生きることを目指す人生があってもいいように思います。人によっては「他人を蹴落としてまで売る」ことに抵抗感を持つ人がいても不思議ではありません。どんなに言い繕おうと「自分が売ることは他人の売上げを奪う」ことにつながるからです。
 このように「売らない店」の賛否は個人の考え方、生き方に大きく影響されますが、それ以前に、この「売らない」には大きな落とし穴があります。それが僕が感じた違和感です。
 僕がこれまでに体験し、見聞きしてきた経験からすると、「売らない店」はあり得ないのです。正確には「売らない店」で存在し続けることができないのです。なぜか。理由は、「売らない店」は必ず「売れない店」になるからです。「必死に売ろうとする店」でさえ「売れない店」になるこのご時世で、「売らない店」が「売れない店」にならないはずがありません。「ら」と「れ」ではたった一文字の違いですが、根本的に全く違います。「売れない店」は儲けを出すことが出来ず、市場から淘汰される運命にあります。読者のみなさん、それを覚悟のうえで「売らない店」を選択肢のひとつに加えましょう。
 ところで…。
 新聞の記事には「『減速に生きる』という本に背中を押された」人の話が出てきます。自分のそれまでの仕事人生に疑問を感じ、悩んでいる人が「減速に生きる」を読んで同調し、感動し、賛同し、同じような道を選択するお話です。その記事を読んで僕は思いました。
 もし、「減速に生きる」の著者と同じような道を選択する人がたくさん出現したならどうなってしまうのだろう。そして、もし、その人たちがこの本の著者のお店の近くに同じような店を構えたら…。
 じゃ、また。




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