<夢と収入>

pressココロ上




 財界・経団連の会長を務めた御手洗氏は、経団連の会長に就任した当初、いろいろなメディアのインタビューを受けていました。たくさんのインタビューを受けますと、自然と同じ話をすることが多くなりますが、その中で印象に残った話があります。
 御手洗氏はキヤノンの会長でもあったわけですが、御手洗氏がアメリカの社長を務めていたときの話です。当時、アメリカのキヤノンは業績がよくなく利益がほとんど出ていない状況だったそうです。そんな中、御手洗氏は金融機関に融資のお願いに行きますと、キヤノンの業績を見て、金融機関の人は御手洗氏にこう言いました。
「このような利益率しか出していないのなら、すぐに日本に帰ったほうがよい。これなら、銀行にお金を預けているほうがマシだ」
 御手洗氏は自身の体験を紹介して、利益を出すことの大切さを訴えていました。確かに、事業を行なっていて、利益が銀行の利息より少ないのなら、事業をしている意味がなくなってしまいます。これは法人に限らず個人であっても同様で、儲かっていないのに商売を続けるのは資本主義の世界では罪と言われても仕方ありません。
 昨年のことですが、久米さんのラジオ番組にメジャーリーグの審判を目指している男性がゲストとして出演していました。メジャーリーグの選手になることも大変ですが、メジャーリーグの審判になることもとても難しいようです。審判の世界でも選手と同様に、マイナーリーグで経験を積み実力を認められた者だけがメジャーリーグに昇格できるようでした。マイナーリーグの待遇が厳しいのは選手と同じです。
 この男性は自らの夢を追い求め実践しているわけですが、先ほどの御手洗氏の話に照らし合わせるならその姿勢に疑問がなくもありません。男性は、年齢が30代半ばでしかも結婚もしており小さなお子さんもいるそうです。このような家族状況で、マイナーリーグの待遇でいることは、即ち、「銀行の利息のほうがマシだ」と同じことになります。男性がメジャーリーグの審判に兆戦できるのは、奥さんも働いておりそれなりの収入を得ているからにほかなりません。しかし、この状態はいつまでなら許せるものなのでしょう。
 僕は昨年10月から禁煙をしており、新しく「禁煙をする前に」というテキストを書きました。このテキストを書くにあたって参考にするために、禁煙についてネットで調べました。そのときに面白い掲示板でのやりとりを見つけました。
 トピックを立ち上げたのは30代半ばくらいの結婚して子供もいる男性です。男性は次のように問いかけていました。
「自分は小さな事務所を構え、個人で事業を営んでいるが、最近になり業績が思わしくなく赤字に陥っている。なんとか挽回しようと、事務所に泊り込むなどして頑張っているが、好転する気配がない。しかし、私の努力を無視するかのようにフルタイムで働いている妻は私に冷たくあたり、私がタバコを吸うことさえ快く思っていないようで、嫌味ばかりを言う。このような妻にどのように接すればよいのだろうか」
 大まかにはこのような内容なのですが、これに対する投稿が凄まじい批判の嵐でした。「そんな家計状況でタバコを吸おうという気持ちがなってない」とか「奥さんは全く悪くない。奥さんに感謝こそすれ非難する資格などない」とか「自営業者の甘え」とか「儲けが出ていないのならさっさと事業を止めるべきだ」などなど。読んでいて、問いかけた男性が気の毒になるほどの非難のオンパレードでした。
 この非難の嵐に倣うなら、先ほどのメジャーリーグの審判を目指している男性も同じです。利益が出ていないのに事業を続けようとするのと同じです。このようなとき、つまり、自分のやりたい仕事に従事し、まだ成功していない段階のとき、周りはどのように対応すればよいのでしょう。ずっと応援し続けるのが正しい対応なのでしょうか。
 先週は、「ソコソコの儲け」を理想とするお店の話を書きました。こういったお店も同じ問題を抱えています。自分の理想とするお店を開業するにしても、成功とまではいかなくとも赤字にならないことが最低条件です。その条件をクリアできるようになるまで、どのように対応すればよいのか。貯金があるなら貯金でまかなうこともあるでしょうし、奥さんが安定した収入を得ることで生活を成り立たせることもあるでしょう。実際、先週紹介した新聞記事の中では、新しく開業した人の奥さんは公務員で、それを当てにした開業でした。
 ちょっと下世話な話になりますが、昨年末に、知的女性タレントと通信社の代表も務めている男性ジャーナリストの不倫問題が世間を騒がせました。僕はこの醜聞を聞いたとき、不倫うんぬんよりジャーナリストという職業の収入について興味を持ちました。報道によりますと、女性タレントが男性ジャーナリストに資金援助をしていたそうです。このことから、ジャーナリストという職業が「いかに収入の面で恵まれていないか」がわかりました。ジャーナリストという職業は高い志を持っている人だけがなるはずですから、ある意味、当人にとっては夢を実現していることになります。
 ある職業に就くことを夢とするとき、その夢を追いかけることと収入は密接な関係があります。夢を追いかけるとき、まかり間違うと生活が成り立たないほど経済的に苦境に追い込まれることもあります。そして、そのようなケースのほうが多いのが実状です。もし、成功が約束されているなら、誰も夢を追い求めることに迷いなどしないでしょう。そこにリスクがあるから悩み、逡巡し、躊躇します。
 テレビや雑誌などいろいろなメディアでは、独立して成功している例を紹介することがあります。そのときに成功に至るまでの途中経過の苦境の期間を、簡単に、軽く、あっさりと「頑張った結果」とか「歯を食いしばった結果」などとありきたりな表現で終わらせているケースがままあります。しかし、情報の受け手に一番役に立つのは苦境のときの具体的な対処の仕方です。そして、その中でも最も欠かせないのが収入の面における対処です。それなくして、「頑張った」も「歯を食いしばった」もありません。
 夢を追い求めるとき、最初から収入が伴うことはほとんどありません。その苦境のときを「どのように乗り越えたか」が一番大事な情報です。そして、そのことがあとに続こうと考えている人たちに役立つ情報のはずです。しかし、その最も大切なことを軽くしか触れず、そのあとの成功してからの部分だけを強調している例を頻繁に見かけます。このような例は信頼に値しないと言っても過言ではありません。
 ところで…。
 サッカー日本代表の優勝は感動しました。今大会は奇跡と言ってもいいような戦いぶりが続きましたので、特別感激の度合いが強かったように思います。「日本の実力、地力は成長している」と感じた人も多いのではないでしょうか。また、かつてのドーハの悲劇の場所で優勝したことも大きな意義があるように思います。
 あのドーハの悲劇は、残り時間僅かの時間帯に同点ゴールを決められてW杯出場の機会を逃したのでした。あのとき、イランの選手が右サイドからゴール中央にセンタリングを上げたのですが、そのイランの選手の動きに対応できていたのは三浦カズ選手だけでした。ピッタリとマークしていたのはカズ選手だけでした。疲れた肉体にムチ打って最後まで力を振り絞って走っていたのはカズ選手だけでした。あとの選手は、疲れから足が動いていなかったのです。それがW杯出場を逃した大きな要因だと僕は思っています。あの場面で、ゴールキーパーの松永選手でさえ集中力が途切れていたようで、センタリングに合わせたヘディングシュートに身体が反応せず、ただボールの行方を眺めていた姿が印象に残っています。
 今回の決勝戦、延長戦までもつれ込んだ試合で決勝点を上げたのは李選手でした。その場面をビデオで見ますと、なんと李選手はゴール前で全くのフリーでした。普通なら、あり得ない、考えられないことです。それを許したのはオーストラリアの選手が疲れていたからではないでしょうか。僕は、あの場面でドーハの悲劇の日本チームと同じような感じをオーストラリアチームから感じました。李選手のボレーシュートに対するゴールキーパーの反応も、松永選手と同じように身体が反応せずボールの行方を追っているだけなのも因縁めいたものを感じます。
 決勝戦を見ながら、僕は夢を追い求める行為について考えてみました。この試合で日本人選手の中で一番走った距離が長いのが永友選手だったそうです。そのスタミナがあったからこそ、最後の最後にあの素晴らしいきれいなセンタリングが上げられたように思います。そして、李選手がゴール前でフリーになれたのはオーストラリアの選手が疲れていたからです。
 夢を追い求めるとき、一番大事なことは、「疲れちゃいけない」ことです。
 じゃ、また。




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