<言葉>

pressココロ上




 マスコミ報道によりますと、菅首相は松本健一内閣官房参与と会談したおりに、福島原子力発電所避難区域には「当分住めないだろう」と発言したそうです。この菅首相の発言の出所は松本氏ですが、反響の大きさに驚きすぐに「発言を否定」しています。この発言の真否は定かではありませんが、普通に想像して「火のないところに煙は立たない」と考えるのが一般的ではないでしょうか。
 真否は定かでなくとも煙を出させたのが松本氏であるのは間違いありません。そこで疑問が沸き起こります。
 なぜ、松本氏は菅首相の発言としてあのような言葉をマスコミに話したのか?
 今の社会状況を少しでも理解していたなら、「当分住めないだろう」とう不謹慎な発言が社会にどれほど大きなインパクトを与えるかが予想できたはずです。しかし、現実にマスコミで報じられたのですから、松本氏はインパクトを「想像する力に欠けていた」と思われても仕方ありません。
 震災が起きてから原発事故が発生し現段階に至るまで、現政権の対策が「後手後手に回っている」批判がありますが、松本氏のこのような出来事ひとつを見ていても、菅政権の危機管理能力に疑問を感じざるを得ません。
 もしかしたらなら、危機管理能力などという大げさなものではなく、単なる言葉遣いの間違いと考えている可能性もあります。もし、そうであるなら、それはそれで言葉の重みについて考える姿勢に欠けていると言わざるを得ません。
 昨年のことですが、新聞に次のような投稿が載りました。
「 いつも行くガソリンスタンドで店員さんが自分のことを『お母さん』と呼ぶことに対して不快に感じる」
 投稿者によりますと、馴れ馴れしく「お母さん」などと呼ばずに、普通に「お客さん」と呼んでほしいようでした。店員さんが「お母さん」と呼んでいたのは親しみを込める意図があったのかもしれません。投稿者は「お母さん」と呼ばれることに反発していましたが、中には「親しみを感じる」お客さんもいたかもしれません。ですから、ここで問題なのは呼び方を「お母さん」とするかどうかという言葉の問題ではありません。
 このようなケースで大切なのは感性です。なんの感性かと言えば、それは相手の気持ちを察する感性です。相手がどのように感じているかを読み取る感性が大切です。相手の気持ちがわかるなら呼び名を間違えることもありません。まさか接客業に就いている人で、相手が嫌がっている呼び名をわざわざ使う人はいないでしょう。
 僕は企業のトップがインタビューを受けているときに注意する言葉遣いがあります。それは、消費者を表すときの「言葉」です。さらに具体的に言うなら、「お客さん」というか「お客様」というかでその社長の器量を見極めます。もちろん、「お客さん」という言葉を使う社長は失格です。
 僕は初めての人と会うときに想像することがあります。それは「この人は心の底から真剣に他人に頭を下げたことがあるかどうか」です。先月、三愛というファッション企業の田中氏のお話を紹介しました。商品を消費者に販売するときは、心の底から土下座をするくらいの心がけで接客に臨まなければいけない、というお話を紹介しました。
 もし、田中氏が指摘するような気概で販売に携わるなら間違っても「お客さん」などという言葉は使えません。必ず「お客様」という言葉が自然に口をついて出てくるでしょう。もし、口をついて出てこないなら、その販売員の方はまだ「心の底から真剣に他人に頭を下げていない」ことになります。
 また、僕はこうも思います。
 心の底から真剣に他人に頭を下げた経験がある人は「他人の痛みがわかる」と。
 「心の底から真剣に頭を下げる」ことはなにも「頭を大きく深く垂れる」外見上の振る舞いではありません。そのような外見的なことは誰でもいくらでもできます。深くお辞儀をしながら相手に見えないように口元で「あかんべぇ」をすることも可能です。大切なのは心がこもっているかどうかです。
 最近はあまり見かけなくなりましたが、スーパーやデパートなどではなく個人商店や商店街にある魚屋などで、お店の人がお客さんに向かって「お母さん」などと呼びかけることがありました。また、それが普通だった時代もあります。そのような時代は「お母さん」が「親しみ」を表していた割合も高いものがありました。しかし、だからと言って、今現在も通用するかといえば疑問があります。
 僕の知り合いに接客する際に、お客様に「友だち言葉を使う」人がいました。例えば、「~なんだ」とか「そうそう、~だよ」とか「よろしくね~」などと気軽に接客していました。当人はその友だち言葉を「親しみ」を表す方法と思っていたようでした。確かに、お客様の中にも「違和感を持たない人」もいましたが、明らかに不快に感じていたお客様たちもいました。当人はそうしたマイナス反応を気にも留めないように見えました。いえ、相手が嫌な気分になっていることに気づかなかったのです。
 相手との接し方を表す言葉として「ざっくばらん」という表現があります。辞書によりますと「遠慮がなく率直なさま」と説明していますが、つまりは「お互いの関係に垣根がなく、言いたいことも言える関係」を表す言葉です。ですから、友だちでもなんでもない仕事上の関係でしかない「販売員とお客様」の間には「ざっくばらん」はありえません。もし、販売する側がお客様に「ざっくばらん」の関係を求めるなら、それは「仕事における手抜き」をしていることにほかなりません。それを「ざっくばらん」という言葉を隠れ蓑にしてごまかしているに過ぎません。仕事をするときはいつも真剣に手抜きなどしないで真摯に取り組むことを忘れてはいけません。
 言葉は人と人の関係に欠かせない伝達手段ですが、使い方を誤ると関係を失わせる刃ともなります。皆さん、くれぐれも言葉の使い方には気をつけましょう。
 ところで…。
 僕はほとんどテレビを見ないのですが、今年のお正月に偶然、「JIN~仁~」というドラマを見ました。そして、その面白さに驚愕しました。そして、本日只今、続編を見ております。
 いやぁ、面白い。ホント、面白い。言葉には人の心を動かす力があります。
 じゃ、また。




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