<栄枯盛衰>

pressココロ上




 先週は、僕たち中高年にとって感慨深いニュースがありました。それは情報週刊誌「ぴあ」の休刊です。今の時代に「情報週刊誌」という呼び方も相応しいのかどうか疑問ですが、僕たちの年代は青春時代に映画や演劇などの情報を知りたいときは「ぴあ」を利用するのがごく一般的でした。
 「ぴあ」の創業者である矢内廣氏は学生起業家の走りとも言われる人です。当時からマスコミなどに取り上げられることが多く立志伝中の起業家のひとりでした。その「ぴあ」が休刊するのですから、僕が感慨深い思いに駆られるのも頷いていただけるのではないでしょうか。栄枯盛衰は世の流れです。
 僕が大学1年生のとき、アルバイトで知り合った先輩はしきりに「電電公社に就職できたらラッキーだなぁ」と話していました。電電公社とは正確には日本電信電話公社と言いましたが、今のNTTのことです。なぜ先輩が電電公社を望んでいたか、といえば大きくて安定していたからです。また、真否は定かではありませんでしたが、給料も高く仕事の内容が楽であることも上げていました。このような話を聞いていましたので、先輩が電電公社を希望するのも理解できました。
 しかし、その電電公社を含む三公社五現業はそのほとんどが民営化されています。理由は簡単で民営化しなければ立ち行かなくなっていたからです。これらの企業に「安定を求めて」就職した人たちは、その後の展開に心中穏やかではなかったでしょう。民営化されたことで仕事内容も変わったはずです。それこそリストラと無縁でもいられなかったでしょう。そのような厳しい環境の変化もあったでしょうが、誰も将来を見越すことはできないのですから仕方ありません。
 今、福島の原子力発電所は危険な状況にありますが、安定した大企業という視点から東京電力を見るとき、東京電力に勤めている方々の心情を考えることがあります。たぶん、震災が起きるまでは自らが想像、予定したとおりの仕事人生を送っていたはずです。しかし、震災によって全ての予定の変更を余儀なくされています。
 先週のニュースで、東京電力の社長が避難所を訪れ謝罪している模様が流れていました。どんなに非難・批判されようとも反論することもなく、ただひたすら頭を垂れ謝罪する姿は、仮に東電に100%の責任があるにしても、やはり同情の念も沸き起こってきます。
 僕は数週間前、このコラムで東電の社長を批判しました。それは社長が記者会見に全く姿を現さないからでした。しかし、後日わかったことですが、社長は体調を崩していたのが理由のようでした。その理由を知ってから、僕の社長に対する評価は高くなっています。報道では、体調を崩し入院までしていたそうですから、そのまま入院を続けて社長業から逃げることも可能でした。しかし、退院もしそして社長業にも復帰していますから、その姿勢は評価に値するように思います。なにしろ誰が考えても「非難の的」になるのは明らかな状況でした。それを承知で社長業に復帰したのですからその姿勢は認めるべきです。
 東電の社長が逃げ隠れせず各方面からの非難・批判に真正面から対応している姿に比べ、狡猾さを感じる人たちがいます。それは原子力発電政策を推し進めていた政治家や学者たちです。
 特に、現在野党となっている自民党の政治家には不快感を免れません。たまたま震災が起き原発事故が発生したときに政権党でなかっただけで、本来なら今回の原発事故における諸問題は自民党にも責任があります。
 福島第1発電所を作ったのは紛れもなく自民党です。スリーマイル島やチェルノブイリでの事故で原子力発電所に対する不安が高まり原発の設置場所が確保できなかったとき、電源3法を作って原発を推進したのは田中角栄氏だったそうです。田中氏に限らず、そもそも原子力発電でエネルギーを賄おうと考えたのは自民党です。僕に言わせるなら、自民党に民主党を批判する資格はありません。
 ある週刊誌で自民党の河野太郎氏が「僕を脅した原発推進派政治家」について語っていますが、原発の族議員についてマスコミはもっと報道するべきです。そうでなければ、不公平です。ネット上ではそうした事実も紹介されていますが、今の時代は本当にいろいろな情報に接する機会が増えたと実感しています。
 先週は、原発事故を報じる新聞に少し毛色の変わった記事がありました。内容は「福島県の予算で、原発事故により核燃料税の収入が全く見込めない」といったものでした。僕はこの記事をとても興味深く感じたのですが、うがった見方をするならこの記事は「福島県は原発から多くの税金を得ていること」を紹介する目的のように感じました。
 先週の日経ビジネスでも原発を自治体の税金収入の視点から報じた記事がありましたが、原子力発電所を誘致することによるメリットもあったのも否めない事実です。今の段階では、原子力発電所を持っている自治体は被害者の側面だけが報じられていますが、誘致したことにより得をしたことについても少しずつ報じられるようになるのではないでしょうか。その視点を婉曲的に報じたのが先ほどの新聞記事のように感じました。
 実際、「大きな声では言えないが」と前置きしながら僕の知り合いの年配の元官僚は「原発のある自治体は、誘致したことで、これまでにたくさんのお金を得てきた」とマスコミなどとは違う意見を口にしていました。この意見はとても難しい側面があります。原発のリスクを負うことで多額のお金を得ているのですから、そのリスクが現実のものとなったからと言って文句ばかりを言うのは公平ではない、という意見も一理あるように感じます。しかし、放射能汚染により住むところや農業や漁業、酪農といった仕事まで失うことまでは想定していなかったように思います。
 実際、当事者である東京電力でさえ、そこまでの事故の大きさは想定しなかったのですから、原発を作る際にそのリスクまで説明しているはずがありません。その意味で言いますと、いくら誘致によりお金を得ていたとしても、そのお金に見合う以上の損害を被っているのは間違いないように思います。もし、ここまで大きな被災を被ることがわかっていたなら、福島県も原発を誘致することはなかったでしょう。
 このように考えていきますと、いったい「どこに」「誰に」責任があるのかわかりづらくなります。現在、東京電力や協力会社、下請け会社の方々が必死に、命がけで修復に臨んでいますが、この方々は被害者なのか、加害者なのか、判断が難しいものがあります。
 津波が起きなければこのような事故は起きなかったのですから、東京電力は津波による被害者でもあります。しかし、原発事故により周辺の住民に損害を与えていることにおいては加害者です。さらに言うなら、東京電力の社員においても、社員は全員加害者なのか。役職によってわかれるのか。例えば、部長以上は加害者でそれ以下は被害者なのか…。
 人の評価は時間とともに変化しても不思議ではありません。
 ところで…。
 日曜の昼間、家にいましたら玄関のブザーが鳴りました。たまたま僕しか家にいませんでしたので「はぁーい」と言いながらドアを開けました。そこには40才半ばくらいの男性と30才前後の男性が立っていました。
 結論を言いますと、この方々はキリスト系の宗教の布教者でした。しかも世間的にはあまり評判の芳しくない有名な団体です。普通、こういった感じの勧誘には敢えて関わらないのが一般的です。ですが、変わり者の僕は反応してしまいました。
 マスコミ報道で批判的な論調が多いことをどのように思っているか、尋ねてみました。当人たちはそのことも充分に認識していますし、その批判に必死に抗う文言もありませでした。冷静に自然に受け入れている雰囲気でした。この団体は「子供に輸血を拒否したことで子供を死亡させた」ことがニュースで大きく取り上げられたことがありましたので、そのことについても質問しました。ですが、気色ばむこともなくごく普通に反応しました。
 僕は宗教の専門家ではありませんが、キリスト教や仏教やイスラム教などの比較などから「どうして、宗教で人の殺し合いが起きるのか。それが不満です」などと普段僕が思っていることをお話しました。
 結局、20分ほど話したでしょうか。僕が話していた中で区切りのよさそうなタイミングを見計らって男性は言いました。
「それでは、あまり長居をするのも申し訳ありませんので、そろそろ失礼いたします」
 普通はなにかの勧誘に来た場合は、勧誘をされる側がなんとかして追い返そうといろいろと算段をするものです。しかし、僕の場合は勧誘する側が自ら帰る意思を示しました。
 僕の想像するところ、たぶん、この男性は「これ以上いたら、なにかに勧誘される」と思ったんですよ。
 じゃ、また。




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