<現役>

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 いつの日経ビジネスだったかは忘れましたが、少し前の号でセコム株式会社の創業者である飯田亮氏がインタビューを受けていました。現在の飯田氏の肩書きはセコムの「最高顧問」ですが、やはり創業者ですから僕からしますとセコムの「顔」と映ってしまいます。インタビューの内容はセコムに対する質問というよりも経営者としての心構えなど大所高所の立場から経営者全体に対して意見を述べるという赴きでした。
 飯田氏についてはこれまでも幾度かこのコラムで紹介していますが、飯田氏は今で言うベンチャー企業家のはしりでした。普通の起業家とベンチャー起業家との大きな違いは立ち上げる企業がそれまでの世の中に存在していたかどうかです。それまでの世の中に存在しない社会に初めて登場した企業の創業者だけがベンチャー起業家といえます。飯田氏はまさしくベンチャー企業家でした。なにしろ、それまで誰も見たことも聞いたこともなかった警備業という業種の会社を立ち上げたのですから。
 しかし、厳密に言いますと「誰も見たことも聞いたこともない」業種ではありません。何故なら、既に外国には存在していた業種だったからです。このように戦後の日本は欧米諸国の後追いをすることが経営の主流でした。ですから、どれだけ早く外国の情報や生活状況を知るかが事業の成功を決める要因という部分がありました。勝負の分かれ目と言っても過言ではありませんでした。
 このようにして成功した業種はそのほかにもあります。僕が社会人の第一歩を踏み出したスーパーマーケットもそうですし、ファミリーレストランもそうです。当時は日本にはそうした業界がありませんでした。
 現在の小売業の雄と言えばセブンアイグループとイオングループですが、この両社も創業時に遡れば若手の経営者が団体を組んでアメリカに視察に訪れたのが発端です。話は少し逸れますが、若手経営者たちをアメリカ視察に連れて行った人がその後経営コンサルタントとして活躍するようになっていました。見方を変えるなら、経営コンサルタントは商社のような役割を果たしていたともいえます。外国の情報をどれだけ早く日本に紹介できるかが仕事だったわけです。それはともかく、当時はアメリカの経営手法を日本に導入することが経営の風潮でした。
 同様にセコムという企業も警備業という新しい産業を日本に取り入れ、そして飯田氏の努力の甲斐あって成功した例です。その際の苦労した詳細を知りたい方は、セコム株式会社のサイトに創業物語として紹介されていますので、ご覧になってはいかがでしょうか。起業を考えている方にはとても勉強にそして参考になるのは間違いありません。
 僕が飯田氏と同年代の経営者して思い浮かぶのは、リクルートの江副浩正氏や秩父セメントの諸井 虔氏、ウシオ電機の牛尾治郎氏などですが、こうした方々と飯田氏との大きな違いは現役を引退した時期でした。なんと飯田氏は40代半ばで経営の第一線から退きました。普通、40代半ばと言えばビジネスマンとしても、ましてや経営者としても働き盛りの真っ最中のときです。そのときに引退したのですからマスコミの注目を集めました。
 厳密に言うなら、代表取締役であることに変わりはありませんでしたので会社で1番偉い人であることには違いありませんでした。しかし、今の時代と違い当時では社長から会長に肩書きを変えることは第一線から退くことを意味していたはずです。それを思うとき、やはり「早すぎる引退」と映ります。
 経営者が現役を引退する決意をするとき、そこには良い理由と悪い理由があるように思います。
 よい理由としては「自分の能力の限界を悟った」場合や「後継者に譲ることが企業にとって最適である」と判断した場合です。反対に、悪い意味では「責任逃れの意図がある」場合や「楽をしたいという怠け心」が出た場合です。
 少し古くなりますが、1997年に山一證券が倒産した際に悪い理由での経営者の現役引退がありました。責任追及から逃れるために社長の椅子を次期社長に譲ったのでした。このケースなどは悪い意味での最たる例といえます。
 悪い意味でのあとひとつの理由として「楽をしたいという怠け心」と書きましたが、経営者ほど大変な業務はありません。全ての責任が自分にかかってくるのですから命が縮む思いで業務に取り組んでいるはずです。その立ち位置から逃れたいと考えるのもわからないではありません。
 そうであるからこそ、現役を続けている人の偉大さがわかるというものです。ですから、僕はその現役の人が下した決断に対して引退した人が安易に論評することに抵抗感があります。つい、「気楽な立場にいるからって…」と思ってしまいます。
 財界に限らないなら、「現役」と聞いてすぐに頭に思い浮かぶのはサッカー界のキングカズさんです。先だって「やめないよ」という本を出しましたが、同年代の選手がかなり前に引退している中でまだ現役を続けています。野球界でも今年はまだ活躍していませんが中日の山本昌投手も現役です。また、かつて西武、ソフトバンク、巨人などで活躍した工藤投手も今年の所属チームは決まっていませんが、まだ現役を目指しているようです。
 スポーツ界では長い間現役でいることを賞賛します。現役でいることは即ち努力や鍛錬を続けることですから、そうした行為が評価されるからです。しかし、努力や鍛錬をしたからといって必ず現役でいられるとは限りません。結果が伴わなければ現役でいられないのが世の中です。だからこそ、現役でいることは賞賛に値します。
 ここまでは現役でいることの功罪のうち「功」について書いてきましたが、最後に「罪」についても書きたいと思います。「罪」を一言でいうならそれはナルシストです。いつまでも「注目されていたい」とか「スポットライトを浴びていたい」といった人間の欲です。この業ほど他人を傷つけ苦しめる欲はありません。経済界という世界ではこのような財界人をたまに見かけます。スポーツ界のように目に見えて結果がわかりづらいところがあるからです。現在でも少し見渡すだけでそのようなワンマン経営者がいます。本当に、「ほどよく」現役でいることほど難しいことはありません。
 あっ、政界にもいるかも…。
 ところで…。
 いやぁ、とうとう日曜劇場「JIN~仁」が終わってしまいました。僕にとっては近年で最も感動感激したドラマでした。歴史性や物語性において丁寧に構築された秀逸なドラマではなかったでしょうか。もう見られないと思うと残念でなりません。
 最後の場面、時代を越えて南方先生と咲さんの純愛が成就するシーンはこみ上げるものがありました。僕は、感動のあまりつい涙を流してしまったのですが、それを見た妻が薄ら笑いを浮かべながら言いました。
「バッカみたい…」。
 人間の一生を「現役」と考えるなら、「引退」は人生を終えているときです。妻の一言で僕は思いました。
「あぁ、現役の間に真の愛に出会いたかったなぁ…」
 じゃ、また。




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