先々週から体調を崩していまして仕事は休んでいないのですが、家に着くといつも倒れこむように床に伏せる生活が続いています。いわゆる「夏バテ」というやつかもしれません。午後に入ってから身体がだるくなり、段々と体温が上昇し家に着く頃には高熱になり、帰宅するなり倒れこむ状態でした。体温を測りますと、いつも39度を越えていました。そして毎日、足がパンパンに浮腫んでいます。
当初は風邪かと思っていました。僕の風邪の治し方はシンプルです。体温を下げるのは汗をかけばいいのですから、とにかく厚着をして布団にくるまりドンドン汗をかきます。ちょうど、プロボクサーが減量をする感じです。そうです。そのときの僕の気分はまさに試合前のプロボクサーです。ちょっと、ナルシスト…。
汗をかき、30分ごとにタオルと肌着を代え、これを3~4回繰り返すとだいたい37度くらいまで体温が下がります。僕はいつもこうやって風邪を治していました。ところが、今回ばかりはこのやり方では完治しませんでした。一応、帰宅してからボクサー治療法を行い夜には体温が下がるのですが、翌日、午後からまた同じように体温が上昇してしまうのです。そこが、これまでと違うところです。ですから、僕は現在、毎日ボクサー治療法をする羽目に陥っています。もしかしたら、風邪ではないのかもしれません。
それはともかく、まだ、このような体調ですので、更新が遅れてしまいました。申し訳ありません。それにしても、年をとると「回復力も衰える」ものですねぇ…。
先々週は僕の高校生時代のお話をしましたが、今週も…。
僕は高校生のときはバレーボールに熱中していました。僕の高校は公立でしたが、練習量は半端ではなく、私立にも負けないほどでした。これは顧問の先生の主義によるものです。日体大出の、当時27才の先生は燃えていました。先生のニックネームはロボットでした。ロボットのように筋肉が隆々としていたからです。それはともかく、猛練習の甲斐あって、僕たちの代のチームは予選大会では常に優勝する高校になっていました。
予選大会のあとは当然本大会があります。通常は僕たちの高校がその会場に指定されていました。交通の便がよいことと、学校の敷地が広いこと、もしかすると顧問の先生の高校バレー界での立ち位置も関係していたかもしれません。ときたま会場が違うことがありましたが、それでもどこかの高校の体育館が会場になっていました。
ところが、ある大会で僕たちが戦う試合会場が高校の体育館ではなく、東京体育館で行われることになりました。やはり、高校の体育館と東京体育館では雰囲気が違います。試合コートを取り囲む観客席も広いですし、なにより天井の高さが違います。僕たちのような公立校が試合をするのは少し場違いな感じさえしました。
この感じはチームの誰もが持ったようで、試合会場に入るなり会場の雰囲気に圧倒された表情をしていました。言葉を変えるなら、「会場の雰囲気に飲まれた」と言ってもいいでしょう。
そのような足元が浮き足立った状態で練習をすることになったのですが、僕も含めて思い通りに身体が動いていないのがわかりました。僕はセッターでしたので、ほかのみんなにトスを上げるのですが、みんながみんな固くなっているのが手に取るようにわかりました。
それでも、試合は始まります。こちらの調子が上がるまで、会場の雰囲気に慣れるまで待ってなどくれません。
最初は、相手チームのサーブでした。相手チームも予選大会を勝ち抜いてきたチームですから強いのは間違いありません。さて、相手の選手がサーブを打ち、それを自チームの選手がレシーブをしました。相手のサーブが強かった分、サーブレシーブが想定したよりも高く上がりました。そのときです。僕にとって驚くことがありました。
「あれ?」
僕は心の中でつぶやきました。
サーブレシーブで僕に向かって上がったボールを見つめますと、当然ですが、その後ろの風景も目に入ります。つまり、ボールの背景です。今までに経験したことのない背景がそこにはありました。先ほども書きましたように、練習時間にアタッカーにトスを上げていました。しかし、そのときはアタッカーが僕に渡すパスはそれほど高いパスはよこしません。ただ、僕が上げやすいようなパスを渡すだけでいいのですから、わざわざ高いボールをよこす必要がありません。ですから、練習のときは、ボールを見上げたときの天井の高さに意識が行っていませんでした。
試合に入って、初めてのサーブレシーブで初めて天井の高さを意識したのです。そして、これまでに経験したことのない背景に驚いたのでした。一般の高校の体育館の天井と立派な建物の体育館の天井では全く背景が違うのです。結局、この試合は惨敗したのですが、その多くの理由はセッターであった僕にあるように思っています。ボールの背景が違うことに戸惑い、最後まで満足のいくトスを上げることができませんでした。僕のバレー生活の最も苦い思い出です。
僕はバレーの試合で、ただのボールがそのボールの背景によって全く違ったものに感じるという教訓を得ました。その後、この教訓をほかの場面でも思い出すことが多々ありました。自分が見ようとしている対象が背景によって影響を与えることは間違いなくあります。モノや事実、真実を見極めようとするときにその背景を考慮に入れることを忘れてはいけません。
「背景」といっても、その要因は様々です。時代背景もありますし、地域背景も、そして国家背景、忘れていけない宗教背景です。民族背景も同様です。それらを考慮に入れて相手と相対しなければ、対立を解消することや協調を行うことなど望むべきもありません。
先日の新聞に「元特捜部長VS検察」という見出しが大きく出ていました。ニュースで元部長氏が自信満々に無罪を主張していましたが、その姿を見ていますと、余程の自信があるのがわかります。また、驚くべきことに、この部長氏の弁護団はなんと140人もが名を連ねているそうです。いったい、事件の真実はどこにあるんでしょう…。
このときの、特捜部と検察の対立は「職場環境の背景の違い」にあるように思います。環境が違うとき、真実が違って見えても不思議ではありません。本当に世の中って複雑ですね…。
ところで…。
体調が悪く、家に着くなり布団に伏せている僕です。体調が悪くなりはじめの頃、布団に寝ていますと、娘が帰ってきました。そのときの僕は「きれいに身体をまっすぐに伸ばし、両手を胸の前で組んで目を閉じて」いました。普段ですと、僕は落ち着きがないほどになにかしら身体を動かしています。パソコンをやったり、販売用チラシやポップを作ったり、ジッとしていることが少ない僕です。そんな僕が、おとなしく綺麗な寝姿で布団に手を組んで横渡っているのですから、娘が不思議に思うのも当然です。
娘は僕の部屋を覗くなり言いました。
「お父さん、なにしてるの?」
僕は答えました。
「棺に入る練習…」
まだ、冗談をいう余裕があるころのお話でした。
じゃ、また。