<煙>

pressココロ上




 大学生の時期というのは身体は大人ですが、社会的常識のおいてはまだまだ子供の面があります。そんな中途半端な精神年齢ですので、相手や周りに対する心配りが足りないときがあります。相手がどんなふうに受け取るか、または感じるかという意識など希薄です。そんな大学生時代の僕の苦い思い出をときどき思い出すことがあります。
 僕の友だちは1年に100冊文庫本を読むことを目標としていました。1年は52週ですからだいたい1週間に2冊のペースで読まないと目標を達成できません。文庫本を対象にしていたのは単に価格が安いからでした。そんな友人ですから、いつも文庫本を手にしていましたし、よく本を買っていました。
 そんな友人に対して僕はといえば、まだ読書に目覚めておらず、読んでいたのはマンガ週刊誌だけといってもいいくらいでした。このコラムでも書いたことがありますが、ビッグコミックオリジナルは欠かさず毎週買っていました。
 その日はちょうどオリジナルの発売日で、僕は売店で買ったオリジナルを手にして友だちと大学に向かって歩いていました。その途中、友だちは本屋に立ち寄りたいと言いました。僕は友だちと一緒に本屋さんに入り、お目当ての文庫本を手にした友だちとともにレジに向かいました。
 友だちがレジに並び、僕はその横に立ち、友だちがお金を払うようすを見ていました。僕は、友だちが本とお釣りを受け取ったあとの本屋さんの言葉が忘れられません。あれから30年以上の月日が流れていますが、耳に残っています。
「そちらは180円になります」(金額は正確に覚えていません)
 と僕が手に丸めて持っていたオリジナルを手のひら全体を上にして指しながら言いました。その口調はとても丁寧で取りようによっては慇懃とも取れるほど馬鹿丁寧な言葉遣いでした。その話し方と表情は「うちで買ったんでしょ」と言っていました。
 急な言葉に僕は驚きすぐに「あ、これは違うんです」と答えるのが精一杯でした。僕の返答に、店員さんは謝罪するわけでもなく表情を変えるでもなく無言のまま視線を逸らしました。後味が悪かったのはいうまでもありません。
 本屋さんを出たあと、僕と友だちは「あれ、まずかったよね」と反省しきりでした。僕も友だちも心配りという観点から、相手に失礼な振る舞いをしていました。これも、社会経験の未熟さがさせたことです。
 通産省の要職にあった官僚がインサイダー取引で逮捕されました。まだ、逮捕されただけですので罪が確定したわけではありませんが、株売買を行ったことは認めているようです。問題は、株に影響を与える情報を知る立場にいたかどうか、つまり「インサイダーにあたるかどうか」に絞られているようです。
 もちろん、当人は「インサイダーに当たらない」と否認しているようですが、僕はこのニュースを見て「インサイダーに該当するかどうか」は全く関係ない、と思います。通産省の要職に就いた時点で、株取引など行わないのが筋です。どんなに言い訳をしようが「疑われて当然」といってもいいでしょう。
 この僕でさえ、大学を卒業するころには、あの苦い体験から、他人から疑われるような行為は慎む習慣がついていました。それに比べて、通産官僚の鈍感なことよ…。どう考えても、非常識です。立派な大人ですから、官僚に相応しい行動をわきまえてほしいものです。
 先週、フィギュアスケートの浅田真央さんのエッセイ集の発売が中止されたことが報道されました。理由は「宣伝文の内容が納得できない」とのことでしたが、その内容とは「母親の死を強調している」ことでした。僕はこの理由に共感しましたし、そう感じた浅田さんを尊敬します。
 この報道を知ってから、出版社を調べましたところ、あのポプラ社でした。ポプラ社と聞いてあのことを思い出す人は偉い!
 イケメン俳優の水嶋ヒロさんが俳優業を引退したあと、ある小説公募で大賞を取りました。小説家を目指して努力している若い人がたくさんいる中で、どう考えてもそれまで小説の勉強などしたことがないと思われる、俳優を引退したばかりの若者が大賞を取ったのですから注目を集めないわけがありません。その公募をした出版社がポプラ社でした。世間が、水嶋さんに大賞を与えたことを「ポプラ社の宣伝のひとつ」と考えたのも無理はありません。
 その後、水嶋さんが賞金を全額寄付すると発表しましたが、あまりの騒動、バッシングが影響したのは間違いないでしょう。ポプラ社がいくら「厳正に審査した」と主張しても説得力に欠けます。疑われるような結果をしたこと自体が問題です。
 浅田さんの今回の対応を思うとき、水嶋ヒロさんも辞退するのが賢明な対応だったように思います。
 僕が注目している文化人に藤原和博氏がいます。藤原氏についてはコラムでたまに取り上げていますので覚えている方もいるでしょう。その藤原さんが昨年末、「坂の上の坂」という本を出版しました。朝日新聞では一面全部を使って大々的に宣伝していましたからご存知の方もいると思います。僕もその大々的な宣伝に驚いたひとりですが、出版社を見て落胆しました。ポプラ社だったからです。
 僕の印象では、ポプラ社は「本の売上げは宣伝にかかっている」もしくは「注目を集める広告を出すことが本を売る最良の方法」と考えている節が感じられます。確かに、どんなものでも販売に際してはそういう側面があるのは否めません。しかし、あまりに度が過ぎると興味も失せてしまいます。それが強いてはイメージ悪化につながります。
 僕にこのように感じさせるのは、疑われるような行為をしているからです。「火のないところに煙は立たない」の格言を肝に銘ずるのも社会の器と言われる企業の使命です。
 その煙が他人の一生に影響を与えた事件が元大阪地検特捜部長の大坪弘道氏に関わる事件でした。検察が「証拠品を改ざんしている」という煙は火の存在を究明することになりました。この事件を思い起こすとき、村木元厚生省局長の冤罪について考えるとき、検察が持つ権力の強大さを思わずにはいられません。人間ひとりの行動を制限する力を持っている検察・警察の権力には常に監視が必要です。
 昨年末に大坪氏が逮捕され勾留された体験を綴った本が出版されました。この本の中で大坪氏は自分が被疑者になり勾留される「体験をして初めて」被疑者の気持ちがわかったと述べています。このような感想は、大坪氏に限らず多くのエリートから聞かれることが多いのですが、僕はそれが不快です。
「自分が弱い立場になって初めて弱い人の気持ちが理解できた」
 僕はそのような感想にとてもがっかりさせられます。想像力の足りない社会的地位の高い人ほど傲慢な存在はありません。
 以前、弁護士会の会長まで務めた方の奥様が逆恨みで殺害されたことがあります。そのときにその元会長は「自分がその立場になって初めて被害者の気持ちがわかった」と話していました。弁護士という弱者に寄り添うことが第一使命であるはずの人が、しかも弁護士のトップまで登りつめた人が、実際に被害者なるまで「被害者の本当の気持ちを理解していなかった」という感想は僕をがっかりさせました。いかに、それまで上辺だけの対応だったかの証明でしかありません。
 社会的地位の高い人は、体験をしていなくとも弱者の気持ちが、弱者の心の襞がわかるような柔らかい心を養ってほしいものです。同じように、煙と火の関係を察知する感性も養ってほしいものです。
 ところで…。
 大坪氏の本には「逆境の立場になって初めて本当に信頼できる人がわかった」とあります。順調なときは皆、取り巻くものです。大坪氏によりますと、事件後に離れていった人たちは「自分と付き合っていたのではなく、検察官という職位と付き合っていた」人たちだそうです。
 お正月は年賀状を見るのが楽しみですが、その中で何人が「逆境になっても年賀状をくれる人」か考えてみるのも一興です。
 じゃ、また。
 




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