大阪市の橋下市長の発言がマスコミで取り上げられることが多くなっています。橋下市長はマスコミで取り上げられることを意識して発言しているように見えますから、尤もなことではあります。それはとりもなおさず、自らの政策を実現させるための作戦です。
大阪市に限りませんが、現在の社会にはいろいろなところでたくさんの問題が山積しています。僕には、橋下氏は大阪市をモデルケースにしてそれらの問題を解決する方策を世の中という社会に提示、提言しているように思えます。
「皆さん、今の社会は大変な問題を抱えているのですよ。それらを解決するにはひとりひとりが問題と向き合ってください」と。
こう書いて思い出すのは、ケネディ大統領の演説です。
「国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるのかを問うてほしい」。
今聞いても、ほれぼれする演説です。
報道を見ていますと、橋下市長が最も重点を置いているのは労働組合対策のように感じます。大阪市の財政は「待ったなし!」の状態ですが、それを改善するには労組対策は避けて通れません。
僕がこのように書いても今ひとつ「ピンッ」とこない人もいるのではないでしょうか。しかもかなりの人数だと想像します。今の労組の組織率は20%代ですから、労組について知ったり考えたりする機会はほとんどないと思うからです。しかも、民間の労組は「善い悪い」は別にして、会社と敵対関係にあった60年代のような労組ではありません。御用組合とまでは言わなくとも、会社と親密関係にある労組がほとんどです。ですから、労組の強さ恐さに起因する問題点に接する機会はないはずです。
僕は50代半ばですが、僕が社会人になったときには既に民間の労組は「強い恐い」労組ではありませんでした。たぶん、僕より10才くらい年長の方の時代からすでに、特別な経験でもない限り、「強い恐い」労組の実態がわからないと思います。このような状況ですから、今の若い人たちはなおさら、橋下市長が指摘することに対して実感できないと思います。ですが、本当はとても重要な核心です。
大手新聞などで報道されることは少ないですが、公務員の労組は昔の「強い恐い」労組の残像が残っています。橋下氏はそれを改革しようと挑戦しています。しかし、これは一般の人が想像するよりもとても手強く今までに幾人もの挑戦者が返り討ちに遭っています。なにしろ既得権を失うことは、即ち、組合員の生活を脅かされることにつながるからです。
橋下市長は改革を成功させるためにマスコミを上手に活用しています。たぶん、そうするしか改革を進める方法はないように思います。それほど公務員の労組は「強い恐い」組織です。労組は労働者を守るために必要ですが、強さが行き過ぎると企業の運営に対して障害になります。昔、国鉄の赤字が累積したのも日産が赤字体質から脱却できなかったのも「強い恐い」労組が存在したからです。
「強い恐い」労組は従業員の定期異動にさえ口を挟みました。ですから、日産や国鉄は転勤辞令を発する前に労組に「お伺い」をたてる必要がありました。また、仕事の能率が上がり過ぎないようにする覚書を上司に求めることさえありました。そして恐ろしいことにその要求を飲まざるを得ない慣習が職場に出来上がっていました。信じられない読者もいるでしょうが、そうしたことが行われていたのが労組全盛時代の職場でした。橋下市長の話が真実であるなら、今の大阪市公務員の職場も同様です。
そのような悪慣習が堂々と行われていたのは一にも二も労組が「強い恐い」組織だったからにほかなりません。今までの政治家は「強さ恐さ」に腰が引け本気で改革に取り組んでいなかったのが実状です。それを思うとき、橋下市長の勇気に敬服しています。
「勇気」と口で言うのは簡単ですが、実際にその現場にいますと決して簡単ではありません。大の大人が涙を流さんばかりに打ちひしがれます。いわゆる「つるし上げ」です。ラストエンペラーという映画がありましたが、その一場面で、紅衛兵が知識人を「つるし上げる」場面を思い起こしてしまいます。
橋下氏が市長に就任したあとに公務員の意識を象徴する話をしていました。
橋下市長は今までと全くやり方が違う方法で市政に取り組んでいますので、今までのやり方がよかった幹部連は戸惑うこと、いえいえもっと正確に言うなら反発心を抱いている幹部がいても不思議ではありません。そうした幹部は橋下市長にこう言ったそうです。
「いっそ左遷してもらったほうがすっきりする。どこかに飛ばしてくれ!」
これに対して橋下市長はこう言ったそうです。
「それは違う。左遷させてくれ、というのは働かないで給料をくれというのと同じだ。市長のやり方に従いたくないなら、辞表を出してくれ」
一般の民間に勤めている方なら、どちらが正しいか言わなくともおわかりでしょう。先週、最も世間の目を引いたのは大阪市営バス運転手の給料です。なんと年収740万円。ちょっとした企業の部長クラスの給料です。これでは大阪市の財政が悪化して当然です。
僕は他人の給料の多寡をうんぬんするのは下種の勘繰りとは思いますが、それが公務員の話となるなら話は別です。理由は簡単で、倒産がないからです。倒産がない組織の職員が多くの給料をもらっているのは下種と言われようと勘繰られて当然です。なにしろ給料の原資は税金ですから。多額の給料は批判されて当然と考えます。
今まで、それが改められなかったのは一にも二にも労組が「強い恐い」存在だったからです。そして、それを許していた大阪市の住民にも責任が半分とまではいかなくとも少なくない責任があります。
故マザーテレサは貧しい人々を救う活動で知られていますが、テレサ氏は言っていました。
「愛の反対語は憎しみではありません。…無関心です」
同じように、僕は思います。
「行政の停滞や悪化の原因は政治家や職員の責任ではありません。住民の無関心です」。
住民、ひいては国民の関心を集めるために橋下市長はパフォーマンスをしています。それしか公務員の意識改革をする方法がないからです。
それにしても、あれほど忙しい橋下市長がいろいろな問題に適切に対処しているのが不思議です。しかもバランス感覚がずれていないのが七不思議のひとつです。いったいどのようにして情報を集め、分析し、判断を下しているのか。
そんな疑問を持っていたときにテレビで知ったのが30人~40人ほどといわれるブレーンの存在でした。しかもそのブレーンの能力の高さが素晴らしそうです。「そうです」と自信なげに書くのは会ったことがない人ばかりだからです。ただ、その前歴や経歴から判断するなら「有能さ」は折り紙つきでしょう。なにしろあの橋下市長が抜擢したのですから…。
今は上昇気流に乗っているときですからいいですが、一度なにかの拍子で躓いたときはこれまでの反動がすごいでしょうね。反動の凄さは小泉改革のあとで証明済みです。思い起こせば、長野県を「改革する」と知事になった田中康夫氏は就任後に身体に異変が起きるほどプレッシャーを受けていました。それを思うとき、橋下氏の精神力の強さに驚かせられます。しかし、長野県は結局、元に戻ってしまっています。先ほども書きましたが、元に戻った責任は住民にも責任があることを忘れてはいけません。皆さん、政治に無関心になってはいけません。政治家を、いえいえ社会を最後まで見続けて行きましょう。
ところで…。
僕が最近、You Tube で長渕剛さんの動画を観ているのは書きましたが、今はハマショーこと浜田省吾さんにはまっています。今までは「もうひとつの土曜日」とか「傷心」とか一部のバラードの歌だけを観ていました。しかし、いろいろとサーフィンをしているうちに違う歌にも「いい歌」があることを知りました。
先週、観つづけ、妻から「飽きるほど聞かされている」と言われているのが「丘の上の愛」です。「言われている」と過去形でないのは今も続いているからです。
ハマショーさんの歌はメロディも素晴らしいですが、メロディに引けを取らないくらい素敵なのは歌詞です。「もうひとつの土曜日」などは歌詞を読んでいるだけで、ひとつの映画を観たような感覚になるくらいストーリーがあります。僕などは昔の日活の青春映画が頭に浮かんできます。読者の中には日活と聞いてポルノ映画を思い浮かべた人もいるでしょうが、青春映画です。
今、ハマっている「丘の上の愛」はひとりの女性が「純粋な愛」よりも「豊かな暮らし」を求めてお金持ちと結婚したあと、後悔して本当の愛に目覚めるストーリーです。僕なりに解釈するなら、「丘」はお城を連想させお金持ちを象徴しています。つまり、貧乏な生活より裕福な暮らしを求めて結婚した女性のお話ですね。
歌詞の肝はサビにあります。
♪愛が買えるなら その涙の理由(わけ)教えて…♪
♪愛が買えるなら ため息の理由(わけ)教えて…♪
と「愛は買えるものではない」と訴えています。
僕はこの「愛が買えるなら」の部分が歌詞もメロディも好きでなんどもなんども歌っていました。ある日、歌を口ずさみながらなにげなくコメントを読んでいますと、こう書いてありました。
…愛が蛙なら…
僕はこれを読んだ瞬間、なぜか、不思議とツボにはまってしまったのです。僕は笑いがこみ上げてくるのを我慢することができませんでした。しまいには腹を抱えて笑ってしまいました。この話を妻にしますと、妻はそれほど面白くなさそうでしたが、僕は妻に話しながらも笑いが止まらなかったのです。笑いのツボって不思議ですね。
それ以来、僕はこの♪あいがかえるなら♪のサビの部分のあとに、勝手に擬音語をつけたして歌っています。
♪あいがかえるなら~♪
♪ゲロゲロゲロゲロ♪
♪その涙の理由教えて…♪
じゃ、また。