< 1年後 >

pressココロ上




 昨年の今日でした。…大震災。…それと僕のお店の廃業日。それから以前も書きましたが、僕たち夫婦の結婚記念日でもありました。…早いです、…月日の経つのは…。
 3月11日を迎えるにあたりいろいろなマスコミが特集を組んでいます。被災地の方々には申し訳ありませんが、東京に住んでいますと、やはり、震災の痛みを実感する機会が段々と減っていっているのが正直な気持ちです。「これではいけない」と思いながらも、生きていくのに精一杯で、他人の苦難にまで思い至らないのが実状です。
 それでも、マスコミが特集をすることで一時期とはいえ震災について考えることは意義のあることだと思います。そんな気持ちで震災に関する報道を読みますと、震災時、いかに政府の対応が拙劣だったかが表面化しています。歴史に「たら、れば」は意味がありませんが、「もし、自民党政権だったなら、震災後の展開は違っていたかもしれない…」と思うことがあります。
 やはり、政府に慣れていない民主党でしたので、どう対策をとっていいかわからなかったのではないでしょうか。いろいろ問題点もありながらも、50年以上政権を担ってきた自民党の経験は重いものがあるように思います。政権を担うということは、即ち、国政において、最終責任を負うことです。国政とはまさしく日本という国を運営することですから、日本の運命を握っていることです。そのような重責を果たすのは生半可な覚悟で果たせるわけがありません。
 「腐っても自民党」と言っては自民党を褒めすぎでしょうか。政権を失う前の自民党は「腐っても、自民党」でしたが、今の自民党は「腐った自民党」になってしまった感がなくもありません。
 その政治の世界に生きる政治家。
 僕の通勤通路には、ある政治家のポスターが貼りだされています。この政治家のウリは「コツコツ」やることです。なにをコツコツやるかというと、街頭演説です。街頭演説とは毎朝、通勤時間に合わせてマイク片手に通行人に政治について自らの主張を訴えかけているあれです。ポスターには街頭演説を長年続けていることを記載してあります。
 「言うは易く行うは難し」で毎朝とは言わずとも週に1~2回でも簡単ではありません。それを実行することで、政治家としての姿勢を有権者にアピールしています。
 しかし、有権者へのアピールになるのは、あくまでも実行に移していてこそです。もし、「ほんのたまにしか」やっていなかったなら、それは「コツコツ」やっているとはいえません。ましてや、政治家として誠実とはいえません。僕が毎朝見ているポスターの主はこれに属しているように僕には思えました。
 僕は、その政治家を通勤時間に駅前で見たことはあります。しかし、それは僕が1年間利用していた駅でたったの1回でした。それは、毎朝街頭演説を行っていた若い初々しい若手政治家の隣に立っていたたったの1回でした。
 その若い政治家は毎朝7時頃にほぼ毎日駅前に立ち演説をしていました。僕は、早歩きでしたので演説の内容まではわかりませんが、一生懸命語りかけているその姿勢には好感を感じずにはいられませんでした。
 その場所にある日、ポスターの政治家が「街頭に立つことに恥ずかしそうに」若い政治家の隣に立ち、紹介されていました。そうなのです。そのポスター政治家の立ち姿が堂に入っているように見えませんでした。僕の印象では、「どうみても、普段は街頭演説をしていない」ふうに見えました。
 実は、このポスターの政治家は選挙が行われる1年ほど前から選挙区の至るところに数種類のポスターを貼りだしていました。これだけ貼ると、「絶対目立つだろう」と思えるくらいのポスターの数でした。いかにも物量作戦といった按配でした。
 結局、この方は当選したのですが、僕は「コツコツ」とはかけ離れた政治家と認識しています。あれだけのポスターを長期間貼りだすのはかなりの資金が必要なはずです。つまり、金権選挙と相通ずるものを連想してしまいます。選挙民の方々はどのような判断で当選させたのでしょう。
 今週の日経ビジネスには震災時の首相であった菅氏の当時を振返った手記が載っています。率直な気持ちが綴られている感想を持ちました。菅氏は当時の対応を批判されることが多いですが、それは本人も自覚していました。批判される点で最も多いのは、菅氏が「細かいことにまで判断を下していた」ことです。ですが、菅氏はそのことさえも自覚していました。しかし、それを踏まえてもなお、僕は菅氏が「細かいことにまで判断しすぎ」の印象を持ちました。
 菅政権で、僕が一番信頼していたのは片山総務相ですが、当時の様子を「情報が官邸に正確に伝えられていない」ことを指摘していました。僕は、その点が菅政権の一番の欠点だったように思います。つまり、至極簡単なことで、情報がトップから末端に、または反対に末端からトップへ正確に届いていないことです。このような組織が有効な機能を果たせるわけはありません。
 菅氏を擁護するつもりはありませんが、そのような状態の中では菅氏の対応は仕方のなかったことではなかったか、と思います。しかし、そのような組織を作ってしまったのは菅氏率いる民主党であることも事実です。
 そのような政府を簡単に言ってしまうなら、「官僚を使いこなせていない政府」です。それが、僕が「もし、自民党政権だったら…」と思うゆえんです。テレビでの現在の被災地の映像を見ていますと、まだまだ復興とは縁遠い感は免れません。復興が中々進まないのも、また、民主党政権に責任があります。もちろん、自民党にも責任があります。現在のような状況のとき、徒に民主党政権を批判ばかりしている余裕はないはずです。今の状況は与党野党関係なく被災地を早く復興させる道筋を示すことです。政治家はそのために存在するといっても過言ではないでしょう。
 震災を特集する新聞に震災時の国土交通省東北地方整備局局長の手記が載っていました。局長は震災発生時に国土交通大臣からの指示に勇気づけられた話を綴っています。震災時に真っ先に着手しなければいけなかったのは被災地へのルートの確保だったそうです。しかし、正確な情報が得られていない状況で対応を決めかねていました。そうした現状を当時の大畠大臣に直言したところ、大臣は局長にこう言ったそうです。
「いいと思うことは全部やれ。私や次官に相談しなくていい」
 なんと素晴らしい判断であり覚悟でしょう。局長は迷っていた対応がこの言葉で吹っ切れたと述べています。これこそが政治家と官僚の理想的な関係です。官僚が日本を動かしているという批判も的外れではない部分があるのも事実です。そして、その官僚が局という縄張り内でしか考えられないのも事実でしょう。志ある政治家はその点を必ず批判します。しかし、官僚が批判される振る舞いをするのは政治家に責任がある面もあります。批判するばかりで覚悟がない政治家が多いからです。
 今の時代はパフォーマンスに優れていることが政治家に必要な資質のひとつです。しかし、パフォーマンスしかない政治家もいます。政治家の真の姿を見抜くのが被災地から遠く離れた国民の、せめてできる役割です。
 1年経っても全く復興が進んでいない、瓦礫の山とまっさらな被災地を見て、そんなことを考えた3月11日でした。
 ところで…。
 菅さんはイラ菅と言われるほどイライラする政治家というレッテルを貼られていたそうです。そんな菅さんですから、震災で原発が危機に陥っていたとき正確な情報が上がってこないことに怒りが爆発しても当然です。
 菅さんは厚生大臣時代に動きの鈍い官僚を動かして薬害エイズの重要資料「郡司ファイル」を提出させて名を上げました。このときに中々動かない官僚を目の当たりにしていましたので、官僚に対する不信感は強かったように思います。そんな菅さんでしたが、結局は官僚の力を借りることなしに政権を運営することはできないことを痛感した首相期間だったのではないでしょうか。
 政権が政権足りえるのは官僚を遠くへ追いやるのではなく、官僚の力をどれだけ活用できるかにかかっているのかもしれません。菅さんも官僚を遠ざけるのではなく、官僚をどれだけ「菅僚」にできるかが勝負の分かれ目だったように思います。
 じゃ、また。




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