<ジョニー大倉さん>

pressココロ上




 僕は20代後半の頃、タクシーの運転手をしていましたが、そのときにジョニー大倉さんを乗せたことがあります。しかし、ジョニー大倉さんの名前を今の若い人はあまり知らないでしょう。でも、矢沢永吉さんはご存知でしょう。その矢沢さんがリーダーだったバンド・キャロルのベースを担当していたミュージシャンです。ここまで書いて、思い出した方もいるのではないでしょうか。
 ご存知のとおり、矢沢さんはバンド解散後もソロとして第一線で活躍しつづけていますが、ジョニーさんなどほかのメンバーは今ひとつ活躍とはいえない活動になっていました。その当時ある番組で、ジョニーさんは「矢沢は、宣伝がうまいから」と取りようによっては批判とも嫌味とも取れるコメントを発していました。その真意はともかく、成功するまでに下積み時代をともにしたメンバーと成功後に確執を感じさせるメンバー間の関係は音楽界に限りません。
 成功者といわれる人たちが、下積み時代の初期の頃に一緒に夢見た仲間たちと、成功するにつれ段々と距離が開いていくのは仕方のないことかもしれません。
 僕は日経ビジネスでは「旗手たちのアリア」を好んでいますが、7月9日号にTNPパートナーズ社長・呉雅俊氏が紹介されていました。この記事を読むまで僕は呉氏を知りませんでしたが、居酒屋を中心に成長しているフードサービス企業ワタミグループの創業時の幹部だったそうです。日経ビジネスでは呉氏を時代の旗手として取り上げているのですが、それを象徴するような韓国企業の社長の会見を紹介していました。その会見での社長の発言が呉氏の現在を象徴していると思いますので、日経ビジネスより引用します。
 2011年12月。東証マザーズに株式上場したダブル・スコープの上場記者会見で、韓国サムスン電子の液晶事業部出身の社長の崔元根は、よどみなくこう述べた。
「私には義理がある。会社を設立した時、日本のベンチャーキャピタルが当社の技術力を信じて投資してくれた」
 この義理を感じさせた人物が呉氏です。そうしたことで日経ビジネスは時代の旗手として呉雅俊氏を紹介していたのですが、僕が興味を持ったのは「ワタミグループの元幹部」という肩書きでした。ただの幹部ではなく創業者である渡邉美樹氏とは同じ大学で学んだ仲ということも一層興味を引きました。つまり創業者の片腕と言っても過言ではない幹部の立場にいた人でした。
 僕は渡邉氏が成功するまでの足跡を綴った本を幾つか読んでいますが、それらの中には呉氏の名前は一度も出てきたことはありません。しかし、記事によりますと呉氏のワタミに対する貢献度はかなり高いようで、というよりも呉氏の力があったからこその上場だったようにさえ思えます。
 記事中で呉氏は渡邉氏の学生時代のようすなども話していますし、創業時の渡邉氏の経営者としての才覚についても触れています。もちろん、批判的なコメントではなくカリスマ性も含めた経営者として素晴らしさを紹介しています。ですが、僕には書いてある記事とは異なったイメージが膨らんでいきました。
 くり返しになりますが、呉氏は渡邉氏を決して批判非難しているわけではありません。ですから、日経の記事を素直に読むなら単に呉氏のワタミ時代の苦労話を語っているように読めます。でも、僕にはその「苦労話」の言葉の端端にカリスマ性を持つ創業者への反発心が感じられました。嫌悪感といったら言い過ぎでしょうか…。
 先に紹介しました韓国サムスン電子社長の崔元根氏の発言。「義理がある」と話していましたが、そこに僕は、呉氏がワタミ時代に体験したことへの意趣返しを想像しました。呉氏がワタミ時代に感じていた「義理のなさ」を見返したいという思いが、韓国企業の社長に「義理がある」と感じさせるような対応をしたと想像したのです。
 今の時代、ネットに批判非難を書き込むことは簡単ですが、日経ビジネスほどの経済誌ではある特定の人物について批判非難をおおっぴらに書くことは簡単ではありません。それ相応の規制が必要です。その中での婉曲的な精一杯の批判だったように思います。
 さて、その真偽はともかく、企業という組織は創業時のメンバーが企業の成長拡大に伴い少しずつ、もしくはいっぺんに、またはどんどん入れ替わっていくのが一般的です。入れ替わるスピードは様々ですが、「入れ替わる」ことは当然の流れです。中には創業時のメンバーがいつまでも在籍していることもありますが、そうした例は稀です。現在、大企業といわれている企業は全てそのような歴史を持っています。
 その理由は簡単です。個人商店から零細企業、そして中小企業、さらに大企業というように、企業の規模が大きくなるに従い業務が複雑かつ高度になるからです。個人商店もしくは零細企業までですと、根性を前面に出し朝早くから夜遅くまで真面目に必死にしかもコツコツ働くだけでこと足りますが、それ以上の規模になりますと経営者としての能力が求められます。
 こうした状況になることが「いいか悪いか」は別にして、企業の幹部が企業規模に合わせて経営者として成長しない限り、企業としての成長はあり得ません。もちろん、そこには人間ドラマがあって当然です。
 僕が社会人として最初に勤めた企業はそれこそ個人商店から零細企業、そして一応一部上場企業にまで成長したスーパーでした。僕がスーパー業界に入ったのはちょうどスーパーの成長が著しい時期で、大卒の受け皿になっていました。
 一部上場企業とはいえ、あくまでスーパーですから精肉部門では包丁で肉をさばくこともあります。口の悪い人は「大学まで出て、包丁握ってんのかよ」などと冷笑していましたが、それが現実でした。せっかく大学まで出たのだからブルーカラーではなくホワイトカラーに属するのが当たり前という考えが強かった時代です。現在の「大学は出たけれど…」とはまた違った社会風潮がありました。
 僕はたまたま衣料部門でしかもその企業の創業の地に配属されました。つまり、個人商店として開業していたお店です。チェーン化されたときに1号店となったお店です。そんな場所でしたから、お客様たちから社長たちの個人商店時代のことなども知ることがありました。
 このような企業の成長背景でしたから、先ほど話しました規模の成長による幹部の入れ替わりが行われていたようです。「入れ替わり」と書きましたが、ことは単純ではありません。創業時からいた幹部にしてみますと、「入れ替わり」を簡単に受け入れられるはずもありません。せっかく創業時から苦労してきてやっと上場会社の幹部にまでなった栄光の立場を簡単に手放す気持ちになれるものではありません。
 ですから「入れ替わり」に行くまでには「対立・抗争」があります。新興役員対古参役員の対立・抗争です。もちろん経営に関する能力だけで判断するなら新興役員のほうに圧倒的に軍配が上がります。しかし、対立・抗争を制するのは経営能力だけではありません。豪腕もときには大きな力を発揮します。
 このような新旧勢力の戦いが企業の上層部で行われていたときに僕は新入社員として働いていました。このように新旧勢力の戦いが起きている企業の特徴として、創業者にカリスマ性がないことが上げられます。創業者にカリスマ性がある場合は、新旧の戦いなど起きません。ワタミグループの渡邊氏にはカリスマ性がありました。強烈なカリスマ性がありましたから、能力が企業規模に適さない幹部は有無を言わせず退任に追い込まれていったのは想像に難くありません。
 現在でも、ビジネス界を見渡しますと、成功者と言われる人たちがたくさんいます。その方たちのうしろには多くの去って行った一緒に夢見た仲間たちの努力の足跡があるはずです。成功者のうしろには多くの「ジョニー大倉さん」がいたはずです。
 例え、その方たちが規模に相応しい能力を持っていなかったとしても、その方たちが費やしてきた努力や支えが消えることはありません。現在、どんなに立派な企業であろうと、その原点は夢見た仲間たちの努力があったればこそです。カリスマであろうとそれを忘れてはいけません。
 有名人が成功したあとに、下積み時代に苦労をともにした奥さんと別れ、若くてきれいな人と再婚するさまは、「ちょっと悲しい…」思いにかられます。
 ところで…。
 細野豪志環境大臣が福島原発事故独立検証委員会で「菅首相は日本を救った」と発言していたそうです。その発言の真否はともかく、今の状況で堂々と菅氏を擁護した姿勢は評価されてしかるべきです。
 僕はそこに、細野氏の生き方の信念を見ました。世の中には、風見鶏よろしく勝ち馬に乗ることだけを考えている人が多いのが実状です。そんなさもしい世の中にあって、一服の涼風のようにさえ感じました。
 僕は、妻がどんなに太ろうがどんなに純真さを失おうが、いつまでも一緒にいようと思っています。
 えっ? 違うよ。 …、…、恐いからじゃないようぉ~。
 じゃ、また。




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