<保守的>

pressココロ上




 今は、というか数年前から新宿区大久保駅周辺はコリアンタウン(韓国街)となっているそうです。先週、テレビで特集をしていましたが、住人の半分くらいが韓国の方々になっているそうです。よく米国で日本人街などという名称を聞きますが、それと同じような日本における韓国版といった感じでしょうか。
 僕にとっては大久保はとても記憶に残っている街です。僕は1年浪人していますが、そのときに通った予備校が大久保にありました。急遽決まった浪人生活でしたので、予備校に関する準備も知識もなく3月の終わりに一番安い授業料だったその予備校に通うことになりました。しかし、当時我が家は経済的に苦境の真っ只中でしたので新聞配達のアルバイトをしながら浪人生活を送ることになりました。
 そして大久保での予備校生活が始まったのですが、予備校に通ううちにいろいろな情報が耳に入ってきました。
 まず最初に耳に入ってきたのは、大久保という地域がホテル街であることでした。もちろんホテルとはラブホテルのことです。ですから、勉強するのに適している場所でないことは明らかです。3ヶ月も経つと午後から授業にやってきたカップルが「ラブホテルから直行してきた」などという噂がまことしやかに囁かれることもありました。真偽はわかりませんが、近くにたくさんラブホテルがあるのですからさもありなんといった感じです。
 次に僕が大久保と出会うのは20代後半のタクシー時代です。僕が一番最初にロングのお客様を乗せたのが大久保でした。そのときの面白い顛末は大分前ですが、以前このコラムで書きましたので覚えている方もいるでしょう。
 大久保は深夜になると必ず向かった地域でした。タクシーは完全歩合制でしたので一日の売上げがそのまま収入に直結します。最近の求人広告を見ますと、固定給+歩合給と書かれていることがありますが、当時はほとんどが完全歩合給だったように記憶しています。
 深夜になると大久保に向かった理由は乗車する確率が高いからです。当然ですが、お客さんを乗せるには人がいる場所に行くことが必須条件です。深夜に人がいる場所といいますと繁華街とラブホテル街でした。ですから、大久保に向かっていたのです。
 基本的に当時の大久保周辺は危険な雰囲気が漂う地域でした。昼間でもそうした感じがしていましたが、深夜は尚更です。僕が大久保で見かけた光景で最も記憶に残っているのは、30代半ばの男性が同年代の女性の背中を思いっきり蹴り上げている場面です。二人の関係は恋人同士でもありそうですし、商売オンナとそのお客といった感じでもありましたが、その蹴り方が尋常でなかったのがとても記憶に残っています。
 このように僕にとって大久保は恐く猥雑な印象が強くありました。それが、韓流ブームにより一気に女性たちが集まる明るい雰囲気の地域になりました。そのコリアンタウンは、その名の示すとおり韓国の方々が半分を占めるのですから、昔からの住人が不快感を持っていても当然です。
 先週見た特集では、最近の両国間におきている領土問題からの緊張関係を取り上げていました。やはり緊張関係の影響からコリアンタウンへの人の集まりが悪くなっているようでした。そうした雰囲気を変えようとコリアンタウンの幹部の方がお祭りを計画している模様を取材していました。しかし、昔から住む住民たちには反発心があるようでした。番組ではコリアンタウンが開催するお祭りに対する日本側の反応をあまり伝えていませんでしたが、それでも反発している感じはわかりました。
 なぜ反発するかというと、「元々の住民である」という自負心があるからです。この先住民という意識は誰でもが必ず持っているものです。僕はこの感覚を保守的感覚と思っています。基本的に人間は保守的な考え方を持つ生き物です。
 どんな環境でも先に存在している人は「それまでの慣習ややり方を続けていきたい」という願望があります。例えば、職場に新人が入ってきたとき先にいる先輩社員たちはそれまでのやり方に従うように直接的間接的に強要します。また、自分が住んでいる地域に新しい住民が引っ越してきたときなども同様です。その地域のやり方に従うように暗に伝えます。そして、このように「先にいる人たちのやり方に従うこと」とは、だいたいにおいて先にいる人たちが「得をする」「有利になる」場合が多いのも事実です。
 この「得をする」「有利になる」という願望は少し誇張した言い方でしたが、これをもう少しオブラートに包んだ表現にするなら「それまでのやり方を守りたい」です。そして、この考え方はまさしく保守的といえるものです。
 先のテレビの特集に戻りますと、コリアンタウンは韓国の方々の割合が半分を越えていますが、そうした事態を招いたのは元々の住民である地元の人たちが韓国の方々に不動産を売却したからにほかなりません。
 しかし、日本という国全体からしますとコリアンタウンの方々はやはり新入りであり、日本人は先住民です。そして、先住民は保守的な考えを持っています。
 僕はこの保守的な発想というものに疑問を抱いています。日本には全国どの地方にも地方議員がいます。国会議員は国の政策を司るのが仕事ですが、地方議員はその地方に住む住民にとって最適な政策を司るのが仕事です。しかし、実際はそのようになっていないことが多いように感じます。それには保守的な発想が関係しています。
 どの地域にも昔から住んでいる地元の人というのがいます。たぶんどの地域でも同じでしょうが、それぞれの地域には地元の人という人がおり、そしてその幾人かが地方議員に名を連ねているはずです。理由は、大久保と違い地元の人が影響力を持っているからです。そして、新たな住民という人たちは得てして住んでいる地域の政治に関心が高くないことが多いからです。その証拠に、どこも地方選挙での投票率が高くありません。そうしたことがまた、地元の人たちが力を影響力を持ち続けていることを可能にしています。そして、それは保守的な人々が考える政策が続けられることを意味します。僕はそれに対していい気持ちを持っていません。
 「郷に入れば郷に従え」は理に適った格言だとは僕も思います。やはりそれまで築いてきた慣習や風習がないがしろにされるのはその地域に長く住み生きてきた人々にとって気持ちのいいものではないでしょう。ですが、それが行き過ぎるとやはり弊害は出てきます。同じ地域に住みながら住民としての境遇に公平感平等感が欠けるならその地域はいつしか退廃するしか道はなくなるでしょう。
 人間は保守的な生き物です。それはそのほうが楽だからです。しかし、楽な道を選んでいて進歩することはありません。それを証明するかのようにイチロー選手はヤンキースに移籍してから復活しています。ややもすると楽を選ぶことにつながる保守的な発想からは脱却することが大切なようです。
 ところで…。
 先週はプロ野球の世界で僕が印象に残ったニュースがありました。元楽天で現在はヤクルトに在籍していた一場靖弘選手の戦力外通告を受けたニュースです。一場選手についてはスキャンダルも一部報道されていますが、僕はそんなことよりも、やはり選手としての評価について書きたいと思います。
 鳴り物入りでプロ野球界に入りながらも結局あまり活躍できなかったわけですが、一場選手の心情を思うとやはり同情心が起こります。剛速球でならしそれなりの実績を掲げてのプロ野球界入りでしたから、たぶんある程度の自信もあったと思います。しかし、思うような成績が残せなかったのですから、プロ野球界というところは本当に厳しい世界です。
 しかし、このような選手は一場選手だけではなくたくさんいます。プロ野球界に入りながらも一軍にも上がれずそのまま引退に追い込まれる選手のほうが多いはずですから、業界の人にとっては見慣れた光景でもあるでしょう。
 昔、なにかで読んだのですが、2軍生活が長くなる選手はいつの間にか2軍の生活に慣れてしまい、そのことが成長を止める要因になるそうです。そうした気持ちにならないことが「プロ野球界で成功する第一歩である」と書いてありました。これも保守的発想と通じるものがあるように思います。常に革新を続けることは大切です。元アップル代表の前刀氏はセルフイノベーションを主張していますが、マンネリは自分の意志で防ぐことができます。
 人生を生きていますと、いつも自分の思い通りにいくとは限りません。思い通りにいかないことのほうが多いのが現実です。それでも、あきらめずにイノベーションを続けることが大切と、朝日新聞で前刀氏が語っていました。
 じゃ、また。




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