<V字回復>

pressココロ上




 パナソニックまでもが大幅な赤字に陥り家電業界は総崩れの感があります。パナソニックといえば今から10年ほど前ですが、当時の松下電器産業の中村邦夫社長が大幅な赤字から翌年には黒字に変換した、いわゆるV字回復が思い出されます。当時、ドキュメント番組で中村社長に密着していた映像を見た記憶がありますが、的確な判断力と類稀な突破力は充分に感じることができました。
 中村氏の果たした功績を否定するつもりはありませんが、それでも奇跡のV字回復から10年も経たないうちにあっさりと赤字企業に転落してしまうのはどうも合点がいきません。あのV字回復は本物だったのか、疑問を感じずにはいられません。確かに、今は時代のスピードが早く「十年一昔」とはいいますが、今の段階で赤字決算の発表ということは十年も経っていないときから赤字になっていたことです。つまり、数年前から赤字になる兆候が確実にあったことになり、それはV字回復してからほんの数年で赤字になっていたことでもあります。このように考えるなら、中村社長のV字回復は本物だったのかどうか疑問に思わざるを得ません。
 また、社長を退いたあとにも会長として仕事をしていたはずですし、幹部が集まる研修などでは講話などもしていたそうです。ですから、経営に全く無関係ということではないと思います。無関係どころか経営の中枢に関する案件には積極的に判断をしていたようで、2年前のパナソニックによるサンヨー子会社化を主導したのも中村氏ともいわれています。
 そうした一連の流れを思うとき現在のパナソニックの業績悪化の現状に中村氏も充分に責任があるはずです。それはとりも直さず10年前のV字回復について検証せざるを得ません。果たして本当に回復していたのか…。
 V字回復という言葉が最初に使われたのは僕の記憶では日産のゴーン社長ではなかったか、と思います。ゴーン社長もわずか1年でV字回復を果たしたことで名を馳せましたが、本当にV字回復だったのか疑問に感じています。日産が赤字体質になったのは労使関係の悪化から組織としての意志の疎通がなされていなかったことと、過去のしがらみから組織の、企業の膿を出すことができなかったからと言われています。最後の日産の日本人社長となった塙義一氏は経済誌のインタビューで「日本人では過去のしがらみを絶つのはもう無理」と判断してルノーの傘下に入ることを決断したと語っていました。ゴーン氏は確かに過去のしがらみにとらわれずにリストラを進めていました。そうした面が赤字体質を改善するのには役立ったでしょう。しかし、それだけでV字回復はできないと思います。
 V字回復の裏に隠されているのは経理マジックです。実は「隠されているわけではなく」単にマスコミが深く報道しないだけであって、多くのビジネスマンは経理マジックを感じているはずです。普通に考えて売上げが悪く赤字になっていた企業が簡単に「おいソレ」と黒字になれるわけがありません。だいたいにおいて大企業といわれる企業が赤字になるのはそうは簡単ではありません。そもそも決算発表における赤字はある程度の数字までは経理マジックで消すことは容易です。それが表面化するときはある程度の数字が積もり積もって巨大になり経理マジックでは消せなくなったときです。ですから、その積もり積もった赤字の数字を一括処理をしたあとですからV字回復が可能なわけです。ですから、V字回復自体はそれほどすごいことではありません。ただマスコミが騒いでいるだけのことで、大切なのはそのあとの黒字体質に変換できるかどうかです。
 その意味でいいますと、パナソニックはこれほど短期間にまたもや赤字に転落しているのですから黒字体質に変換ができていなかったことになります。それに対して日産は体質的には黒字に変換されているように見えます。そうは言いましても、ゴーンさんは報酬をもらいすぎだろ…。てな気分にはなりますがな…。
 このようにV字回復とは簡単にはいかないものですが、それは人間の心にもあてはまりそうです。朝日新聞は今、冤罪に関する記事を連載しています。先日も東電OL殺人事件でマイナリさんの無罪が確定しましたが、今の警察や検察の事件に対する対応の仕方では冤罪を作り出してしまうばかりで改善される可能性が低いように思います。新聞の社説などでも取り調べの可視化などを強く主張していますが、これだけの冤罪を起こしていながら未だに可視化に反対している警察検察はどのような感覚を持っているのか不思議です。
 田中角栄元総理がロッキード事件を起こしたときに担当した検察の人に堀田力氏という方がいます。この方が有名になったのは検察で出世の道を選ぶより社会の弱者を助ける仕事に従事する道を選んだことでした。今は弁護士としての活動のほかに財団法人さわやか福祉財団理事長という肩書きもありますが、「驕るな!上司」という本も出しています。僕はこの方はとても謙虚で弱者の立場になってまたは弱者の視点でものごとを考えられる心優しい方という印象を持っています。そうであるがゆえに今回の冤罪などを見てもっと冤罪を生まない方法などについて意見を表明してほしいと願っています。やはり専門家が意見をいうのが最も説得力があると思うからです。心優しく弱者の気持ちが分かる人が少ない警察検察関係者の中で頼りになる数少ない人物ですので、是非ともお願いしたい気分です。
 話を戻しますと…、朝日新聞で連載している記事に、冤罪により長期間服役した人が再審請求で無罪を勝ち取り一般社会に出てきた方のインタビュー記事が乗っていました。その方がしみじみと語っていたのは、無罪と確定して晴れて社会に出てきても人々の心の中では回復していない、ということでした。一度犯罪者の烙印を押されたならそのイメージが一生つきまとい、当人のいないところでは「あいつうまく逃げやがって」と陰口をたたかれるそうです。人格のV字回復はほとんど不可能なのかもしれません。
 僕はこの記事を読んだとき同情の念が湧き上がって仕方ありませんでした。もし自分がそんな立場に置かれたなら生きていけないでしょう。長い刑務所暮らし、しかもなんの罪も犯してないのに課された刑務所暮らしです。刑務所での暮らしは自由がないことで人格を否定されることにほかなりません。そのような状況から、無実が証明され社会に出てきても周りの人たちの心には殺人者というレッテルが消えていない現実に直面することになります。そして一番の問題点はそうしたイメージを持ってしまっている自分について深く考えない普通の人々の対応です。
 どんなことでもものごとには時間の経過の中で積み重ねられたイメージがあります。そしてそのイメージは深く堅く刻みつけられています。それがある限り人格のV字回復はあり得ません。
 僕はどんなことでもV字回復を信頼していません。世の中はそんなに簡単に回復できるとは思っていないからです。
 ところで…。
 ユニクロの柳井社長がまた本を出版しているのですが、ちょっと「出しすぎ」の感は否めません。これはなにかを焦っているのか、イメージを変えようとしているのか、わかりかねますが出版数が多すぎです。本の出版数が多い経営者として思い出すのはワイキューブの元社長安田佳生氏です。安田氏も倒産してしまう前に頻繁に本を出版していました。ワイキューブとユニクロでは規模が全然違いますから安易に比較はできませんが、流れとしては同じ線上にいるように感じます。
 本の表紙を飾っている柳井氏は穏やかな笑顔を見せていますが、経営の第一線ではあのような笑顔を部下に見せることはないでしょう。僕はそのような乖離が好きではありません。相手によって態度を変える人は信用できない、と僕は考えています。
 僕が以前見た中間管理職は部下の前では怒鳴り散らし、上司の前では足を揃えて立ち上半身を少し前に傾け、両手を腰の前で揃え、なんどもうなづいている人でした。この落差をいったいなんと表現したらよいのでしょう。人間の最も見苦しい姿です。
 僕はこういう人を見ると身体がフリーズしてしまいます。
 じゃ、また。




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